タイヤを売って付ける仕事をやり続ける中で
その道を28年間続けてきました。
私というタイヤはすり減って残り溝もあまりないかもしれませんね。
「私」というタイヤは今日もその道を走っています。
いつの頃からか 「私」というタイヤの軸に
車美容業という歯車を装着して一緒に回すようになりました。
「私」というタイヤが回ることで 車美容業の歯車も回りだして
いつの間にか弾みがついてきて車美容業の歯車の回る力が今期には
タイヤが回る力を上回ることが濃厚な気配となってきた感じです。
「私」というタイヤは 正確には4輪車になっていて4名のベテランが
やっとこせ~おっとこせ~と老体に鞭打って廻しているのが実状です。
連結している車美容業の歯車は
新品同様の新しさでますます勢いよく回ってきつつあるので
近い将来 「私」というタイヤから伝わった力は逆転し
車美容業という歯車が主力となってまわり その力のお蔭で
「私」というタイヤは回るギアの逆転が起こります。
つまり世代は タイヤ主役の時代から車美容業主役の時代に
構造転換が進んで世代交代が起こる方向へ進んでいるのです。
しかし「私」というタイヤは推進力を失うわけではありません、
逆にパワーアップして行くと考えています。
その理由は 小さな経営体にとって絞り込みという専門性を強く打ち出せる、と思えるからです。
そのキーワードは「お役に立てること」に特化することにあります。
「私」の強みは何か、
それは「タイヤの作業がキチンとできること」にあります。
そしてその運用は「自社販売品の為に」だけにサービスとして提供する。
ここまでの絞り込みを行います。
お客様の期待は
「専門店として吟味したタイヤを選んでくれて すぐ装着してくれること。」
に あって
最安値やどこよりも安値を第一にされるお客様はお越しにならない。と思います。
この時代はネット等で比較がすぐできるので
リアルな店舗が最安値を提示できないことは 誰もがご存知です。
「価格も近所の量販店の平均よりお値打ですぐ装着してくれる価値」
その為に 2番手戦略を駆使したり
仕入れを工夫したりしています。
スモールタイヤ商売のタイヤ専門店イマージンの商売は
「売る・付ける・会話する」のセット提供という狭い道を走るわけです。
「私」というタイヤは 4輪が長年走り続けてきました、
冒頭に書いたようにすり減ってきています、無理はできません。
でもローカルな地域のタイヤ需要には 毛細血管の役割は果たせます。
グローバルな価格競争とは争わず
ネット販売で購入された品の装着だけの取り引きはしません。
タイヤの取り換え作業は肉体労働ですから
「私」というすり減ったタイヤに喩えられる老体には
過度な腰への負担を低減する必要があります。
もちろんヘルパー装備の機械へチェンジすることも始めます。
平成の時代が終われば 12月の無休営業も無くし定休日を入れます。
「私」というすり減ったタイヤも
的を絞りいろいろな工夫をすることで まだまだ長持ちします。
それだけでなく
生み育てた車美容業の黒子的な仕事も
こちらが躍進するにしたがってますます増えてきますから
タイヤ販売という季節的な繁閑波動を利用すれば
およそ8か月の非繁忙期に車美容業の黒子仕事に力を注げます。
これは孝行息子が老体のオヤジに 適度な仕事を与えてくれる・・・という感じです。
開業時に友人が作成してくれた木の看板
これも来年にはリフォームクリーニングして
平成の時代の最後を迎え それに続く新しい時代を迎えましょう。
平成元年から始めた小さなタイヤ屋は
平成30年で平成が終わるのに連動して
壮年期・老年期のタイヤ屋として ますます頑健にやっていくことになるでしょう。
ヘルパータイヤチャンジャ―H29年導入予定。
12月の無休営業平成30年で終了予定。
「私」というタイヤは ここからが第2章の始まりです。
後継者は出るのか それともいづれ廃業するのか 未来は未定です。
イマージンのHPです。
タイヤ専門店イマージンのHPです。
まいぷれ岐阜のキーパープロショップのページです。
その道を28年間続けてきました。
私というタイヤはすり減って残り溝もあまりないかもしれませんね。
「私」というタイヤは今日もその道を走っています。
いつの頃からか 「私」というタイヤの軸に
車美容業という歯車を装着して一緒に回すようになりました。
「私」というタイヤが回ることで 車美容業の歯車も回りだして
いつの間にか弾みがついてきて車美容業の歯車の回る力が今期には
タイヤが回る力を上回ることが濃厚な気配となってきた感じです。
「私」というタイヤは 正確には4輪車になっていて4名のベテランが
やっとこせ~おっとこせ~と老体に鞭打って廻しているのが実状です。
連結している車美容業の歯車は
新品同様の新しさでますます勢いよく回ってきつつあるので
近い将来 「私」というタイヤから伝わった力は逆転し
車美容業という歯車が主力となってまわり その力のお蔭で
「私」というタイヤは回るギアの逆転が起こります。
つまり世代は タイヤ主役の時代から車美容業主役の時代に
構造転換が進んで世代交代が起こる方向へ進んでいるのです。
しかし「私」というタイヤは推進力を失うわけではありません、
逆にパワーアップして行くと考えています。
その理由は 小さな経営体にとって絞り込みという専門性を強く打ち出せる、と思えるからです。
そのキーワードは「お役に立てること」に特化することにあります。
「私」の強みは何か、
それは「タイヤの作業がキチンとできること」にあります。
そしてその運用は「自社販売品の為に」だけにサービスとして提供する。
ここまでの絞り込みを行います。
お客様の期待は
「専門店として吟味したタイヤを選んでくれて すぐ装着してくれること。」
に あって
最安値やどこよりも安値を第一にされるお客様はお越しにならない。と思います。
この時代はネット等で比較がすぐできるので
リアルな店舗が最安値を提示できないことは 誰もがご存知です。
「価格も近所の量販店の平均よりお値打ですぐ装着してくれる価値」
その為に 2番手戦略を駆使したり
仕入れを工夫したりしています。
スモールタイヤ商売のタイヤ専門店イマージンの商売は
「売る・付ける・会話する」のセット提供という狭い道を走るわけです。
「私」というタイヤは 4輪が長年走り続けてきました、
冒頭に書いたようにすり減ってきています、無理はできません。
でもローカルな地域のタイヤ需要には 毛細血管の役割は果たせます。
グローバルな価格競争とは争わず
ネット販売で購入された品の装着だけの取り引きはしません。
タイヤの取り換え作業は肉体労働ですから
「私」というすり減ったタイヤに喩えられる老体には
過度な腰への負担を低減する必要があります。
もちろんヘルパー装備の機械へチェンジすることも始めます。
平成の時代が終われば 12月の無休営業も無くし定休日を入れます。
「私」というすり減ったタイヤも
的を絞りいろいろな工夫をすることで まだまだ長持ちします。
それだけでなく
生み育てた車美容業の黒子的な仕事も
こちらが躍進するにしたがってますます増えてきますから
タイヤ販売という季節的な繁閑波動を利用すれば
およそ8か月の非繁忙期に車美容業の黒子仕事に力を注げます。
これは孝行息子が老体のオヤジに 適度な仕事を与えてくれる・・・という感じです。
開業時に友人が作成してくれた木の看板
これも来年にはリフォームクリーニングして
平成の時代の最後を迎え それに続く新しい時代を迎えましょう。
平成元年から始めた小さなタイヤ屋は
平成30年で平成が終わるのに連動して
壮年期・老年期のタイヤ屋として ますます頑健にやっていくことになるでしょう。
ヘルパータイヤチャンジャ―H29年導入予定。
12月の無休営業平成30年で終了予定。
「私」というタイヤは ここからが第2章の始まりです。
後継者は出るのか それともいづれ廃業するのか 未来は未定です。
イマージンのHPです。
タイヤ専門店イマージンのHPです。
まいぷれ岐阜のキーパープロショップのページです。