成田山新勝寺から麻賀多神社へ。前回、迷走したバス停から戻ってきました(笑)。
「吾妻中」のバス停を降りて、麻賀多神社奥の院へ向かいました。麻賀多神社には奥の院(成田市船形)と本宮(成田市台方)があります。


まずたどり着いたのは金比羅神社。伊都許利命の古墳がある場所の端にあります。立派な鳥居ですが、お社ではなく、小さな祠でした。
麻賀多神社のご縁起に関わる2人の人物
日本武尊と伊都許利命
金比羅神社から麻賀多神社奥の院へ向かう途中に、「伊都許利命 墳墓」があります。とても大きな墓石(石碑)です。伊都許利命「いつこりのみこと」と読むそうです。
伊都許利命は、神武天皇の皇子神「八井耳命(かんやいみみのみこと)」の第八代目の御孫神だといいます。地図では、伊都許利神社(金刀比羅神社)とありますが、どうやら同じではないと考察されている方もいるようです。確かにご祭神が異なりますものね。
その伊都許利神社のご由緒によると、 伊都許利命は応神天皇の命を受けて 印旛國造(いんばのくにのみやつこ)としてこの地方を平定し、産業の指導などに多くの功績を残した人物のようです。麻賀多神社の創祀者でもあります。
ざっくり書くと、はるか昔、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征した時に、この地の大木の虚に鏡をかけて根本に七つの玉を埋め、伊勢神宮に祈願したといいます。
「この鏡をあがめ祀れば永く豊作が続く」
日本武尊のこの教えを聞き、虚にかけた鏡をご神体として稚日霊命(わかひるめのみこと)を手里神社に祀ったのち、霊示によって 七つの玉を掘り出して稚日霊命を台方神社に祀りました。この二つの神社は、麻賀多眞大神(まがたまのおゝかみ)として里人の崇敬を集めて今に至るといいます。
謎多きご祭神「稚日霊命」
地名から連想したことは?

★麻賀多神社 奥の院(成田市船形)
ご祭神 稚日霊命

稚日霊命について調べてみると、『日本書紀』に出てくる女神様とありました。高天原の斎服殿で神衣を織っていた稚日霊命の小屋に素戔嗚尊が馬の皮を逆剥ぎにして、部屋の中へ投げ入れます。その際、驚いた稚日霊命は機から落ちて、持っていた梭(ひ)で身体を傷つけて亡くなってしまいます。それを知った天照大神が天岩戸に隠れてしまったのでしたーー。
そうです、あの天岩戸隠れです。
しかし、こちらの神様については謎が多く諸説あります。天照皇大御神さまとする説や丹生津姫とする説、はたまた瀬織津姫の妹神とする説ーー。いつものごとく、調べれば調べるほど、わからなくなります。

いずれにしても女神様には変わりなく、拝殿まで歩いていくときに、歓迎してくださっているかのような、とてもやさしいやわらかな空気感でした。
地名の由来についても何かあるのか気になりました。麻賀多神社の地名「船形」「台方」は、私はどちらの地名も同じく「船」をイメージしたのです。
神話での稚日霊命の死因は、梭によるものとありました。梭について辞書で調べてみると、「機織りで、よこ糸を巻いた管を入れて、たて糸の中をくぐらせる、小さい舟形のもの」(Oxford Languagesより)とありました。

写真をWikipediaから転載させていただきましたが、確かに舟の形に似ているなあと。さらに、稚日霊命について調べていた時に、水の神様とする記事も見つけました。
貴船神社にも石の舟がありました。水や海に関係する神社でたまに見かける気がします。そういえば以前、なぜか山の上にいて、目の前には木の舟があって、水に沈んでしまうから乗せて行く動物や物を選ばなくてはならないという夢を見たことがありました。このときはノアの方舟みたいだと思いました。水が苦手なことと何か関係があるのかしら?もしかして、宇宙船が隠されているとか?!(笑)※。
※あくまでも根拠が全くない私の戯言です。😆


書いていたら、本宮までたどり着けませんでした。😅
次に、続きます。