空想のねじ

好奇心のおもむくままに、チャレンジしたこと、行動したこと、感じたこと、思ったことを綴っていこうと思います。

回顧録 日本三大弁財天の旅〜番外編 白鬚神社〜

2020-03-31 00:00:00 | 神社・仏閣巡り


の日の朝早くに宿を出発して向かったのが「白鬚神社」でした。

白鬚神社は湖中鳥居⛩で知られていて、「近江の厳島」とも呼ばれているそうです。朝日があまりにも美しく感動。昇っていくさまを何度も写真を撮りました。後ろの雲がゆったり空を泳ぐ龍のようにも見えますね

近江最古の神社「白鬚神社」





白鬚神社(別社名/白鬚明神、比良明神)
ご祭神 猿田彦命

《ご由緒》HPより
近江最古の大社で、社記によると垂仁(すいにん)天皇の25年(第11代・2000余年前)、皇女倭姫命(やまとひめのみこと)が社殿を御創建(御再建とも)、天武(てんむ)天皇(第40代)の白鳳(はくほう)3年(675)勅旨(ちょくし)を以て「比良明神(ひらみょうじん)」の号を賜るとある。当社の縁起(えんぎ)は謡曲(ようきょく)「白鬚」(観阿弥(かんあみ)作にも謡われ、日本全国に約300の分霊社(ぶんれいしゃ)が祀(まつら)れている。
御祭神の猿田彦命(さるたひこのみこと)は、天孫(てんそん)瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)降臨(こうりん)の際に先頭に立って道案内をされた神で、導き・道開きの神として知られている。当社にお祀りされている猿田彦命は白髪で白い鬚を蓄えた老人のお姿で、御社名の由来にもなっている長寿神である。

◉境内社
✳︎若宮神社
ご祭神 太田命
(社記では猿田彦命の別名または御幼名とも、神祇辞典では猿田彦命の裔孫とも云われる)

✳︎上の宮
伊勢両宮(天照皇大神宮・豊受大神宮)
八幡三社(加茂神社・八幡神社・高良神社)
天満神社(菅原道真公)
波除稲荷社
岩戸社(境内の一番上手にある石室(古墳)の前に社を建て、天岩戸として奉祀)
寿老人社(寿老人・近江七福神巡りのひとつ)
弁財天社(弁財天)
鳴子弁財天社(弁財天)

調べを進めれば進めるほどに新たな発見の連続でした。白鬚神社の総本宮⛩なのですね!
そして倭姫命が建立したとの記録、伊勢両宮が祀られていたり、古墳そして天岩戸社。とても歴史のある神社だったんだとまた驚き。

滋賀の旅でのちょっぴり不思議体験

白鬚神社を後にして琵琶湖を一周してから帰ろうと車を走らせていた時のことでした。土地勘がないので、カーナビに導かれるがままに走っていると、京都に入ったり、滋賀に入ったりして、気がついたら比叡山延暦寺に辿り着きました。湖畔近くを走っていてなぜたどり着いたのかは不明です(笑)この時は車の中から門を少し見ただけで帰路に。

疲れていたので、車の中で皆口数が少なくなっていましたが、滋賀を抜ける少し手前あたりから私の横でチャイルドシートに座っていた姪っ子がずっと誰かと話しているかのようにして笑っているのに気がつきました。

「誰と話してるの?」
と冗談で聞くと、

「おじいちゃんとおばあちゃん」
との返事。

「え〜‼️」と
みんなでびっくり😱

じつは、父方の祖父は京都、祖母は滋賀出身でだいぶ前に他界していたのです。旅の計画を立てているときに出身地のことを知りました。もちろん、姪っ子は会ったことはありません。

もしかしたら本当に姪っ子と話していたのかもしれませんね(笑)

回顧録 日本三大弁財天の旅〜宝厳寺と竹生島神社〜

2020-03-29 22:22:00 | 神社・仏閣巡り
広島・厳島神社に参拝した翌年の11月26日、3歳の姪っ子と母、妹、私の4人で琵琶湖にある竹生島へ行く計画を立てました。母も妹も、私が夢の話をして竹生島へ行きたいというと話にのってくれました。家系なのでしょうか、おかしな母娘ですね(笑)。交通手段は妹のワンボックスカーで、期間は1泊2日。この日は概ねよい天気でした。

フェリーで竹生島へ

調べてみると竹生島へは、今津港と長浜港の2カ所から行けることがわかりました。確か長浜港発の駐車場に15:00頃着き、乗船したと思います。ほどなくして到着、島はたくさんの人で賑わっていました。
※当時の写真が手元になかったので、2018年の写真を掲載。

竹生島 宝厳寺
✳︎本堂/大弁財天
✳︎観音堂/千手千眼観世音菩薩(千手観音)

※無料画像より

《縁起》天照皇大神のお告げから
竹生島宝厳寺は、神亀元年(724年)聖武天皇が、夢枕に立った天照皇大神より「江州の湖中に小島がある。その島は弁才天の聖地であるから、寺院を建立せよ。すれば、国家泰平、五穀豊穣、万民豊楽となるであろう」というお告げを受け、僧行基を勅使としてつかわし、堂塔を開基させたのが始まりです。
行基は、早速弁才天像(当山では大弁才天と呼ぶ)をご本尊として本堂に安置。翌年には観音堂建立を発案しました。後年、その遺志を継いだ浅井の大領が千手千眼観世音菩薩像を安置しました。(HPより)
             ✳︎              ✳︎              ✳︎
日本三大弁財天である宝厳寺のご縁起は、天照大神からの夢のお告げだったのですね。改めて調べると分かることがたくさんありました。観音堂の千手千眼観世音菩薩は、西国三十三ヶ所観音霊場の第三十番札所です。

明治の『神仏分離令』で寺と神社に

竹生島には竹生島神社久夫須麻神社)もあるので、行く前はなぜお寺と神社があるんだろう、弁天さまは神社なのでは?と不思議に思っていました。

竹生島神社の本殿は、もともとは宝厳寺の本堂だったといいます。寺と神社になったのは、明治元年(1868年)発布の『神仏分離令』とそれにより起こった「廃仏毀釈」運動の影響によるもの。大津県庁より廃寺にして神社に改めるようにと命令が下されると、全国から存続を望む声が上がり、本堂の建物を神社に引き渡して今の形になったそうです。

※当時の写真が手元になかったので、2018年の写真を掲載。

★竹生島神社(久夫須麻神社)
ご祭神
市杵島比売命(弁財天)
宇賀福神
浅井比売命(産土神)
龍神

※当時の写真が手元になかったので、2018年の写真を掲載。
◉かわらけ投げ
かわら(2枚組)を購入し、願い事を書いて上から投げます。投げたかわらが下に見える鳥居の間をくぐれば、願いが叶うと言われています。投げるのはかなり難しいです。

もしかして、水のパワーが強すぎた?

竹生島でのハプニング。寒かったからか、3歳の姪っこがまさかのおもらし💦慌てて母が七福神の手拭いを買ってパンツの代わりにしたことがあったなあと思い出しました。
HPより
今回HPを見ていて発見!たぶん同じ七福神の手拭い😆

滋賀の旅、もう少し続きます。

緑のサクラ

2020-03-26 22:22:00 | 思い出



桜が至るところで開花して、見ているだけで癒されますね。☺️

写真は確か、鬱金桜。
北区の飛鳥山公園で撮影したものです。
こちらの写真もかなり前のもの。
今もあるのかなあ。

なんとなく、心がざわざわしているここ数日。この写真を見た方が少しでも、心が和らぎますように

回顧録 日本三大弁財天の旅〜厳島神社〜

2020-03-25 06:30:00 | 神社・仏閣巡り
安芸の宮島・厳島神社への参拝は、高校の同級生と一緒に周ることになりました。彼女は地元でよくつるんでいた友人で、私の編集担当とは中学の同級生でした。この旅行の後は倉敷を旅してから帰るということでした。

 ※当時の写真が手元にないので、今回のお話の画像はフリー素材を使用しています。

厳島神社への参拝

友人と待ち合わせたのは、宮島口桟橋。名物のあなご飯を食べた後、フェリーで宮島桟橋へ向かいました。



★厳島神社
市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
田心姫命(たごりひめのみこと)
湍津姫命(たぎつひめのみこと)

そうです、三姉妹の神様は宗像三女神。
記紀ではスサノオノミコトが高天原を奪いに来たのではないことを証明するためにアマテラスオオミカミと交わした誓約で、スサノオノミコトの劔を噛み砕いてそっと息を吹き出したときに生まれた神様です。宗像大社(福岡県宗像市)を総本宮として全国各地に祀られています。別名を宗像大神、道主貴(みちねしのむち)ともいいます。
航海の安全や交通安全などをご利益とする、あらゆる道の神様として崇敬されています。

境外社
◎摂社
大元神社(大山祇神、保食神、国常立尊)
長浜神社(興津彦命、興津姫命、所翁)
荒胡子神社(素戔嗚尊、事代主命)
三翁神社
(中央殿=佐伯鞍職、所翁、岩木翁、安徳天皇、三位尼、大綿津見命)
(左殿=大己貴命、猿田彦命)
(右殿=御子内侍、竹林内侍、徳寿内侍、各祖神、若宮)

◎末社
豊国神社(豊臣秀吉霊神、加藤清正霊神)
金比羅神社(大物主命、佐伯鞍職)
清盛神社(平清盛)
✳︎御山神社(中央殿=市杵島姫命、左殿=田心姫命、右殿=湍津姫命)
✳︎厳島神社の奥宮。本殿三棟が品字形に並び、三女神が夫婦神ずつ祀られているそうです。
滝宮神社(湍津姫、素戔嗚尊)
粟島神社(少彦名命)
道祖神社(幸神社 猿田彦命)
北之神社(猿田彦命)
今伊勢神社(天照大御神、八幡大神、奥津彦神、奥津姫命、素戔嗚尊、春日大神、猿田彦命、相殿=藤原鎌足霊神)
四宮神社(祭神不明、加具土神)
✳︎地御前神社(大宮本殿に御本社御祭神 市杵島姫命、田心姫命、湍津姫命 客人宮本殿に客神社御祭神 天忍穂耳命、天穂日命、天津彦根命、活津彦根命、熊野樟日)
✳︎廿日市市地に鎮座。

◎七浦神社 厳島神社末社
杉之浦神社(底津少童命)☆
包ケ浦神社(塩土翁)
鷹巣浦神社(底筒男命)
腰少浦神社(中津少童命)
青海苔浦神社(中筒男命)☆
養父崎神社(霊鴉神)
山白浜神社(表津少童命)
須屋浦神社(上筒男命)☆
御床神社(三女神)
☆は上陸して参拝、それ以外は海上参拝

フェリーが宮島に近づき、鮮やかな朱色の鳥居と社殿が眼前に迫ってきたとき、突如私の頭の中に十二単衣の女性が長い回廊を渡っていくイメージが浮かび、なぜか懐かしい気持ちがしたことを覚えています。

この地、厳島神社にはご縁があるのかもしれないと思いました。

夢の中の女神さまは…

宗像三女神の中でも、市杵島姫命は弁天さまと同一視されることもあります。

「夢に出てきたのは、
やっぱり弁天さまなのかもしれない。
夢の中の地図とは違うけれどーー」

そうなると他の弁天島も気になります。もしかしたら日本三大弁財天を周れば何かがわかるかもしれない、そう思ったのです。

私が訪れた数ヶ月後に台風が広島を通過し、厳島神社も大きな被害を受けました。あれから月日がだいぶ経ちました。機会があればゆっくりと参拝したいと思います。

余談ですが、今住んでいる場所のすぐそばにも神社があります。じつは神社⛩があることを知らずに引っ越してきました。ここ数年で御朱印巡りを始め、改めて境内をゆっくり周ると、きれいな池と赤い太鼓橋。厳島神社の市杵島姫命が祀られていました😊
今も変わらないご縁に感謝しています。

回顧録 日本三大弁財天の旅〜プロローグ〜

2020-03-22 17:17:00 | 神社・仏閣巡り



だいぶ前の話です。歳月をかけての旅なので、文章が長くなりますがお付き合いください。
※当時の写真が手元にないので、冒頭の写真はフリー素材を使用しています。

きっかけはある夢から

私が弁天さまとのご縁を感じるようになったのは、30歳を目前にしてちょうどいろいろと進路について悩んでいた時でした。仕事でなかなか自分に自信が持てず、この先の方向性について考えていたのですが、決断できないでいたのです。

     ✳︎             ✳︎             ✳︎

そんなある日の出来事でした。
私は夢の中で地図を見ていました。
それも上空から。

「これはどこだろう?」
と思ったとたん、

「ここに行きなさい」

と、頭の右後ろから声が聞こえたのです。

「えっ?」

声のする方へ振り返ろうとしたとき、目が覚めてしまいました。起きても気になって仕方がない。情報が圧倒的に少ない中で、夢でみた場所はどこだったのだろう、知りたい、行きたいと、ある手掛かりをもとに日本地図とにらめっこが始まりました。

ーーその手掛かりとは、夢の声の主。

姿が見えないのに、夢の中で私は女神さま、それも弁天さまだと直感したのです。

きっと弁天さまの祀られている場所なんだろうなとなんとなく思ったのですが、ここだ!という直感が働くことはありませんでした。その後、家族の病気などもあって妹と2人で実家に戻ることになり、しだいに夢のことも忘れていきました。
 
動き出した歯車

5年後、地元の出版社の知り合いから依頼を受けて、短期間だけフリーで仕事を引き受けることになりました。私の相棒は黒のパジェロミニ・デューク。カメラ、三脚、パソコンを積み込み広島へ。ターボ付きとはいえ、所詮は軽自動車、高速でベタ踏みしてもなかなかスピードはあがらない💦
途中でほとんど休憩時間をとることなく一気に走り続けました。実家からの走行距離は片道650キロ、高速道路を運転するのは免許を取ってから4回目という、今から考えても無謀な挑戦でもありました


そうーー広島からこの旅は始まったのです。


広島へ着くまでの間、不安と期待が入り混じり久しぶりの仕事にずっと緊張していたのかもしれません。着いた途端に、アクシデントが私を襲いました。

まさかの剥離骨折

じつは広島に着いたその日に、左足のくるぶしを剥離骨折してしまったのです

診察してくれたお医者さんが、

「歩いていてやっちゃったの?
これぐらいだったら、
あまり重いものを持って
動き回らなけれ
大丈夫ですよ。」

といって、処置をしてくれましたが湿布とネット包帯、痛み止めが出されただけ😅石膏でガチガチにされなかっただけよかったのかもしれません。

土地勘もなく、ましてや知り合いもいないし、頼れる人もなし。とっかかりからすべて手探り状態で始めなくてはならない仕事。この先どうなるか、まったく見えない状態での怪我にやや気持ちがダウン

でも、すぐに
◎広島来ちゃったしな〜
(せっかく来たから、いろいろ見たい)

◎右足じゃないから車運転できるな
(仕事出来るんじゃない?)

◎誰にも頼れないし…
(やるっきゃない!引き受けた仕事は最後まで)

の結論に達して

仕事を続行することにしました。

その地域の役所、小学校、地元の名士の方、その土地を知る老舗のお店の方、郷土史家、神社関係の方…本当にたくさんの方のご協力をいただきました。持って行った名刺100枚がほぼなくなったので、それだけたくさんの人に出会えたということになりますね。

何度か実家と広島の往復をして、トータル3カ月ウィークリーマンション生活を送りました。途中で観光もできると思っていましたが、足の怪我やスケジュールを見ながらの仕事でゆっくりした気分で過ごすことはほとんどありませんでした。

◉三段峡
それでも、期間中に訪れて感動した場所が『三段峡』でした。平成27年2月のフランスのブルーガイドで3つ星を獲得しています。



※写真とMAPは安芸太田ナビより

     ✳︎            ✳︎            ✳︎

3カ月に渡った広島滞在。最後の滞在期間中には、前から行ってみたいと思っていた安芸の宮島・厳島神社と尾道の旅を決めたのでした。