Insanity&Genius SATOSHIのBlog続編
My Favorite...



大学生の頃、軽音楽部に所属
していました。

部室でバンドの練習をしていた
のですが、部室は全く防音を
していないただのプレハブ小屋。

音は勿論だだもれ。

ただ大学は山の上で近くに
民家もないので大丈夫だろう
と思っていました。

ところが、音は山に反響して
ふもとの民家に聴こえて
いたのです。
RAINBOWじゃないただの
大学生バンドなのにです。

あるときコージーパウエル
大好きな先輩が思いっきり
ドラムを叩いていたら、
猟銃をもった地元民が
殴り込みに来たという、
本当か嘘かわからんような
話まで出てきて、夜9時以降
は部室で練習できなく
なりました。

それで夜に練習するには
スタジオを借りる必要があり
金沢市内で夜中までやっている
スタジオはタイトルのVanVanV4
しかありませんでした。

本当は他にもあったのかも
知れませんがうちの大学では
誰も知りませんでした。

ここはPAのレンタルもやっていて
やっていて軽音楽部のライヴの
時はいつもここからレンタル
していました。


かなり老朽化が目立ちますが、まだ
現存しているようです。



ここは変わっていて1階にはスタジオが
3部屋あって2階はホール。
ホールと言っても
大きさは都内のライヴハウスぐらい。

メジャーデビューはしたけど、
特にヒット曲もないぐらいの
バンドが地方を廻るとたいてい
このVanVan V4が使われた。

いまでも現役のAnthemをここで
一回だけ観たことがある。

ステージの横は楽屋ではなく
外階段への通路兼、物置だ。

本篇を終えてアンコールで
再びステージへ呼び戻される
までパイプ椅子が積みあがった
倉庫で息を潜めていなければ
ならない、現実の厳しさを
叩きこまれる小屋だ。

しかも1階ではアマチュア
バンドが絶賛練習中だ。

なんでこんなことを
知っているかというと
年に1回だけ軽音楽部で
このホールを借りて
ライブをやっていたので、
楽屋はないので
ライブを終えた部員は
この外階段で1階へ出て
次の出演者と交代するの
です。

練習が間に合わなかった
バンドは1階のスタジオで
練習してたりします。

ここのスタジオでちょっと
珍しいしきたりがあって、
このスタジオなんと
土足禁止なのです。

入り口に下駄箱があって、
そこで靴を脱ぐのです。

スタジオは実家の四日市では
1度も入ったことが無かった
ので、スタジオはVanVan V4
しか知らなかった僕は、
横浜に来て初めてスタジオに
入った時、靴を脱ごうとして
笑われました。
ネタではありません。
本当の話です。



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1986年4月、
大学生になって金沢に
住んだ。

まだ金沢のことが何も
わからなかった時に
ハードロック好きの友達の
せんちゃんが中古レコード屋
をみつけてきた。

近江町市場の近くにあった
その店の名はジャングルレコード。

調べてみたら正式名称は
レコードジャングルで、
まだ現存していた。

音楽雑誌で読んだ記事で、
RitchieBlackmoreは他のハードロック
バンドに興味はなく唯一好きなバンドは
JethroTullだけだという記事を読んだ。

金沢市内には山畜というレコード
チェーン店があったが、どこにも
Jethro Tullは1枚も無かった。

いわゆる普通のレコード店だったので
そもそも洋楽アーティストよりも
邦楽アーティストのレコードの方が
圧倒的に多いのでハードロックの
レコード自体も新譜が少しあるだけで
旧譜はほとんど置いてなかった。

そこでジャングルレコードだ。

中古盤屋だから当然、昔のレコードが
あるだろう。

この時点で知っていることは
JethroTullというバンド名のみ。

何枚アルバムがあるかとか、
代表作は何とか、
何も知らなかった。
知らなかっただけでなく
調べる術もなかった。

とにかく行ってみた。

1枚だけ見つかった。
JethroTullなら何でも良かった。


表ジャケット

裏ジャケット

このジャケット。
仙人か?山伏か?
いかにもRitchieBlackmoreが
好きそうなヘンテコリンな
バンドであろうニオイが
プンプンする。

迷わず買って帰った。

レコードプレーヤーを
持ってなかったので、
せんちゃんの部屋へ
直行して、テープに
録音してもらった。

レコードにハリを落とす。

1曲目 WarChild

ハードロックとは
ほど遠い音楽が出てきた。

でもなんとなく良いような
気がする。

2曲目
Queen and Country



これは良いんじゃないか!

録音が終わって自分の部屋で
くり返し聴いた。

隣の部屋の友達に

「なんか最近、妙な曲
 聴いてるね」
と言われた。

ちょっと得意になった。

たまたま1枚しかなかった
JethroTullのレコードが
お気に入りの1枚になった
ことに満足した。

この時点で僕の好きな
バンドの1つにJethroTull
が加わった。

アルバム1枚聴いただけなのに。

実はJethroTullには他に
沢山の代表作があることを
知るのはまだまだ先の話です。

この時点ではWarChildは
JethroTullの代表作に違いない。

確信していた。

その後、沢山の代表作と呼ばれた
アルバムを聴いた今でも、
Jethro Tullで1番好きなアルバムは

WarChild

それは変わらない。

昨日の42枚にも入ってます。

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高校生の頃、毎週土曜日深夜2時から
放送されていたDrシーゲルこと
成毛滋さんのラジオ番組の名前が
PurpleExpressだ。

AMラジオ番組でギター講座をやるという
今ではあり得ない困難な条件の番組
だったが、音も出ない動きもしない
ギター教則本よりは分かりやすかった。

当時はまだ家庭用ビデオデッキはなかなか
高額でビデオソフトも高くて高校生には
手が出なかった頃だ。

そのDrシーゲルの教えがきっかけで
今でもミディアムスケールのストラトを
使い真空管アンプを使うことは、
僕のギターサウンドにおいて絶対に
欠くことが出来ない条件だ。

でも実は成毛さんから受けた最も大きな
影響は世の中には嘘があるということだ。

よく成毛さんがラジオで言ったのは

「ギター雑誌に書いてあることは
デタラメです。絶対に信用しては
いけません」

と言った。

また
「悪徳楽器屋は最初からいい音がする
真空管アンプを勧めずに音の悪い
トランジスタアンプを勧めてそのあと
エフェクターを買わせようとする」

とも言った。

単細胞なガキだった僕はそれまで
ギター雑誌に書いてあることに
まさか間違いがあるなどとは
考えたことがなかった。

しかし実際にギター雑誌に書いてある
方法では運指が難しくてとても
弾けなかったものが
成毛さんの言った通り弾くと
自然な運指で弾ける。

またギター雑誌の弾き方だと
レコードと全然似ていないのが
成毛さんの弾き方だとレコード
そっくりだった。

他にもラジオで紹介した真空管アンプ
H&M30の音は今まで身近にあった
トランジスタアンプにディストーション
の音とは全く違うレコードそっくりの
音だった。

それまで疑ったことがなかった
ギター雑誌や楽器屋さんの
言うことが間違いだったとは・・・。

そう、世の中には嘘や間違いが
あふれかえっているのだ。

それは薬の仕事をするようになって
からも薬の本を読むと随所に
間違いがあったりする。

この本に書いてあることは
本当なのか?

この本に書いてあることは
間違っていないのか?

それからの人生で世の中で正しいと
みんなが信じていることが、
実は間違っていたなんということは
何度もあった。

こんな疑り深い考え方になったのは
間違いなく成毛滋さんの影響だ。

でもこの疑り深い性格のおかげで、
多くの人が気づけなかった世の中の
嘘や間違いに気づくことができた。



嘘はつきたくない
作詞作曲SATOSHI


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僕は知人の誕生日やこの日何が
あったなど日付を覚えるのが
得意です。

例えばRitchieBlackmoreは
1945年4月14日生まれ
Paul McCartneyは
1942年6月18日生まれ
といった具合です。

そして6月25日は僕にとって
2つの音楽的な記念日です。

1つ目は1995年6月25日
横浜に住んで4年の月日が過ぎ
やっと実現した横浜での初Liveの日です。



1回目のLiveで演奏したうちの1曲
WishingHeart

場所はもう取り壊され今は
ドン・キホーテになってしまった
Bund Hotelの一角にあった
ライヴハウスShellGarden

その時のバンドが改名して、
現在も一応、続いている
MirrorMuseumのスタートに
なりました。

その時はYesのAlbum名からとった
Relayerというバンド名だったんですが、
有名なバンドの有名なアルバム名だけに
すぐに同名バンドがいることが
発覚。

それで、今度は同名バンドがいなさそう
な名前をいろいろ考えたうちの
1つがMirrorMuseumだったのです。

名前の由来は結構安易で、
今でも皆さんご存じの
DreamTheater、でちょっとマイナー
なバンドでShadowGallarey
というのもいた。

当時、僕は絵画を見るのが好きで、
同じ1995年の11月には初めての
一人海外旅行でパリに行っています。

で、夢劇場、影の画廊、ときたので、
何とか美術館をバンド名にしようと
考えて、ただ厳密に美術館だと
Museum of Artと語呂が良くないので
博物館でいいや、夢、影ときたので
見えるけど存在しない世界
鏡の中の世界、でMirrorMuseum
にしました。

まあまあ苦労して考えただけに
今まで同名バンドにあったことは
ありません。

で、この時のバンドのメンバーの1人
が現在も活動を共にするHiroshiです。

で、それから月日が過ぎること16年後の
2011年6月25日。

3月に東日本大震災があり世の中に
今とは違った意味での自粛ムードが
漂っていたころです。

16年の間にたくさんのメンバーが
MirrorMuseumに加入、脱退していきました。

その元メンバーのButcher,
Motchyからスタジオでセッションを
しないかと誘われたのが6月25日でした。

その時のセッションで現在のInsanity&Genius
のベース、作詞、MVの撮影、編集を担って
くれているTommyと出会ったのです。


SailingShipの為に書いた最初の曲
1番の歌詞を何とかデタラメ英語で
自分で作ったのをTommyが修正して
さらに2番3番をほんの数日で
書き足してくれました。

この時のセッションからバンドSailingShip
の結成につながり、その時専任のVocalist
が参加出来なかったことから、3人でVocal
を分け合うことになり、
Relayer以来の16年ぶりに自分もVocalを
やることになり現在の活動のほとんどが
この日がきっかけになっています。

ということで過去2回の
6月25日は大きな節目と
なった日だったのです。

で、今年の6月25日は?
というと何も起きない
普通の1日でしたね。


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昔、ジャンボーグA(エース)という
特撮ロボット番組があった。

今のようにタイアップでおもちゃを
売るということを前提に、番組を
作っていないので、主人公の乗る
セスナ機がロボットに変わるという
物理的に絶対実現不可能な変形を
した。

 子供の頃、音楽にもスポーツにも
全く興味が無かった僕が唯一夢中に
なったのが、こういうヒーローが
悪い奴らを倒す子供向けテレビ番組
でした。

 この頃はテレビ番組のヒーローの
ソフトビニールで出来た人形が
いろいろ売られていました。

 ある時、僕はこのジャンボーグAと
敵の怪獣、それに敵のボスの3体セット
のソフトビニール人形のセットを
買ってもらいました。

 僕はそれをとても大切にしていて
その人形が入っていた袋と一緒に
入っていたカードも大事に保存して
いました。

その後、番組には新しいロボットが
登場した。

 主人公は同じなんですが、
セスナ機から何故か、今度は360ccの
軽自動車、ジャンカーZという車に乗り換え
その軽自動車がこれまた物理法則など
完全無視して、巨大ロボット、
ジャンボーグ9(ナイン)になる。

 このジャンカーZ、もとは普通の市販車
ホンダZを赤と白のツートンに塗っただけ。

ジャンカーZのZはホンダZからとったのは
あきらかだが、変形するロボットは
ジャンボーグZではなく、ジャンボーグ9。

なんか、適当に考えたっぽい・・・。



 で、そんなある日、滅多に
駄菓子屋とかに行かなかった
僕がたまたま、家から少し離れたところ
の駄菓子屋に入ってそこで見たものは、


ジャンボーグ9の人形!!


 それは10円のくじの景品で、
10体の人形のうちの1つだった。

 他に何があったか全部は覚えてないけど
ジャンボーグ9と新造人間キャシャーン
があったのは覚えている。

 これは、我が宝物、ジャンボーグA3点セット
にどうしても、このジャンボーグ9を
加えなければならない・・・。

 ものすごい情熱が湧き上がってきた。



 僕は自転車を時速500Kmとも
思えるぐらいに飛ばして、家に帰り
親に10円だけもらって、その駄菓子屋
へ戻った。

 そこには、怖そうなおばさんが店番を
していた。

 僕はその鬼ババアに10円払って
クジをひいた。

 昔のクジはいまのように出来が
良くないので、引いたクジを
開こうとしたら、糊付けがしっかり
しすぎていて、なかなか開かない。

 それを見た鬼ババアはだんだん
イライラしだして、

「何やってんの!

 貸しなさい!」

と言って僕からクジを
とりあげた。

 ところが、これが、見事に
その鬼ババアもなかなかクジ
が開けない。

 鬼ババアのイライラはMAXに
達しながら、クジと格闘。

 その間、僕以外に一人の来客も
ないまま、長い長い時間がたった
ように思えた。

なんとか、かんとか鬼ババアが
ついにクジを開くことに成功。

 
クジの中を見せることもなく、

 鬼ババアはボソっと一言。

 「当たった。」

と、つぶやき、こともあろうか
ジャンボーグ9ではなく、

キャシャーンの人形

を、バリっとガサツにはがして

    「はい」

と、手渡してきた。




 あのクジには、なんと
書いてあったのだろう。

 当たり

だろうか?

キャシャーン

だったのだろうか?

今の僕なら、平気で、

「俺はジャンボーグ9が
欲しいんだ!!!
そのクジになんて書いて
あるのか、見せろ!!!」


とか、言えたと思うのだが、
昔は、気の小さい弱虫だったので
鬼ババアが怖くて、泣く泣く
キャシャーンの人形を、
もらって帰った。



 小学校の何年生だったか、
忘れたけど、丁度今ぐらいの、
夏休みの終わりの頃だった
ような気がする。




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