いっぽ自然整体院

いっぽ自然整体院のブログ。千葉市中央区新田町にて再開院しました。

生み出す苦しみ

2018年03月27日 | 日記、独り言
整体の理論をまとめようとすると
いくつものポイントがあり、
かつそれらが相互に絡み合ってくる。

それぞれのポイントは
単純で当たり前なことなのに
どうしても他のポイントと結合してゆき
導かれる答えはどんどんと深く複雑になってゆく。
結局、その明確な答えは引き出せていない。

けれども、そういった試行錯誤を繰り返し続けて
いくしかない。
内心では答えは解っているけど、それを明らかにするのを
自分の奥底でストップをかけているような気もする。
何かが足りないからか、
知るのを、明らかにすることが怖いのか、

そもそもなんでこんな苦しいことを
懸命に考えようとしてるのか、、

自身の心や思考自体わからないことは
いっぱいある。

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やっぱり、ふくろうだったのか

2018年03月25日 | 日記、独り言
夕べすでに暗くなった家に帰ると
屋根のテレビアンテナになにかがいた。

「ほーほー」と鳴く声。
大きさからふくろうのようだった。

少し離れたところからも
「ほーほー」と声がする。

すこしして、カラスくらいの大きさの鳥が
飛んできて
一緒になって飛び去っていった。

暗く影しか姿を確認できないけど
ふくろうなのだろう。

前から夜おそくに「ほーほー」という声はきこえいた。
ふくろうかなとおもっていたが
犬が遠くで甘えた声をだしてるとも思っていた。
どちらかと言えば自分自身も
「まさふくろうじゃないだろう。」と
思っていた。

気づかない、
気づいていながら無視していた
気づいたけど、確信できない。

今は気づきが確信となり、ちょっと嬉しい気分。



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手技療法にわずかに光る何か

2018年03月24日 | 日記、独り言
科学の進歩、技術の進歩は
今までできなかったこと、
わからなかったことなどを、
できる、わかるようにしてきまました。

新たにわかったことが、
わからないことを生み出すこともあります。 
新しい発見が
これまでの常識を変えてしまうこともあります。


これまで脳などの中枢神経が
体のコントロールをしているということから、
最近は各臓器、器官が、他の臓器、器官とも
連絡しあって、体のコントロールもしているという
ことが明らかにされている。

脳などの中枢神経だけが各臓器、器官にトップダウンで
指令をしているという考えを
くつがえすことになります。

最新の顕微鏡などの開発がそれを確認して
新たな事実が発見されて
これまでの定説が変わってゆく。

でも、考えてみると、その新事実は
前からそうであったことです。
ガリレオが地動説を唱えるまえから
地球は動いていたのに、、、

時として、整体などの手技療法は
奇跡的な効果を起すことがあります。
その発現は稀ですが、
なぜ、そんなことが起きるのかはわかっていません。
わからないから、再現性がとぼしい。

でも、わかったら、、、、
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力をぬくことと、歳をとっても元気という理念の関係とその効果

2018年03月23日 | 日記、独り言
「力を抜く」ことは当院の理念や
当院の特徴などではほとんど述べられていません。

しかし、「力を抜く」ということは
当院の施術や理論の最も重要な柱です。
前の記事でもあった理念のひとつである
「年齢を重ねても、体が自由に動かせる、
生涯元気にすごせる身体創りを
サポートする。」
においても
この「力を抜く」ことが
重要なポイントとなります。

力を抜くことでそのパワー、エネルギーを
感覚、感性に向けることができる。
その効果は感覚、感性を磨くことととなり、
より繊細な感性は脳を維持、活性させる。

力を抜くことで、より自分の力を生かすことになる。

力を抜くことで、他の大きな他力を使うことができる。

これらは、若いころよりも
ある程度の経験、深みを知った人だからこそ
身につけやすい、つまり大人から高齢者だからこそ
得られる心技体といった総合的な技である。

今挙げた事項は力を抜くメリットであり、
性質、特徴ですが、
これはさらに年齢とともに、高め、磨いていくことが
可能です。

つまり、歳をとれば、それだけ
自身の心身、脳、感性を高めていくことになります。
これは、若いときのような
力に頼った身体の使い方ではないし、
そして、はやりものとか、他人の評価とか、
表面的な価値感ではなく、
自身の内面にある絶対的な価値を基準にするなどの
若い時とは全く違ったことをすることとなります。

なんかとんでもないことに
なるみたいに書きましたが、
実際には本来、
若いうちにもそれを目指していたことを
皆、気づいていないだけで、
それに気づき、あらためてそこに目を向け
それを磨いていく、、、
わかれば「ああそうか。」と
いうようなことです。

それが身についたからといって
なんか凄い超能力が使えるとかはありません。
ただ、死ぬまで元気に心身が使え、
それは社会生活も当然元気にやれる、
長寿を楽しめるという可能性が高まります。
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歳をとっても元気な心身を、

2018年03月23日 | 日記、独り言
介護保険の値上げは家計への負担や
これからの世代への負担の増加という
ことと、さらに将来このままの制度では
やっていくことが不可能なのではという不安を
感じさせる。

人はいやおうなく歳をとっていく。
若いころのパワー、活力がなくなることで
仕事ができない、存在感が減るどころか、
いらない、邪魔な存在とされていく、、、。

けれども、今、若い人も
やがては歳をとり、老いてゆくのは確実なのです。

それが自然の理なのだから
しかたない、、、、と思うかもですが
私はいやです!

これまでも、人類はそういった「自然」を
克服しようと努力してきました。
無論完全ではないけど、
天気の予測から防災設備を作り、災害に備える。
医療を発展させて今までなら死んでしまう状態でも
回復させることも、
というようにあがきながらも自然に抵抗する術を
発達させてきています。

介護の問題の根本的な原因は
歳をとることで身体や脳がうまく働かなくなることです。
歳をとってもしっかり心身が使える人ばかりなら
介護は不要です。

そうなれば、歳をとっても仕事も社会でも
どんどん活躍していける。

理想的すぎると思うかもしれませんが
そういった理想的なことを求めて
科学や技術は発展してきたのです。

いっぽ自然整体院の理念のひとつに

「年齢を重ねても、体が自由に動かせる、
生涯元気にすごせる身体創りを
サポートする。」
とあります。

まだまだ理想とは程遠いけど
理想を実現できるよう今後も発展させていきたいと思います。
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根本の原因にこだわってもいないけど、

2018年03月21日 | 日記、独り言
根本の原因というテーマだけで
最近はずーーーーと書き綴ってきてしまい
どんどん深くなってきてきたが
まだまだ書ききれない気がする。

でも、私の頭で整理できているのは
このあたりまでだろう。
書ききれてないと思うのはまだ整理きてないが
まだ先があると感じるからで
実際まだまだ先があるのは確かなことです。

しかし、根本の原因を追究することが
必ず痛みなどの症状を無くすことになるわけではない。
なぜ、なぜを繰り返して堀進んでも
それは1本の根をたどるだけであって、
他の根の問題を見ないことになる。

原因は一つとは限らないのです。

私は実際の施術において
時には深く、時には広く
時には浅く狭くとやっている感じです。
施術でその根本を治すわけでもない。
根本を探る手立てでしかない。

「骨盤のねじれ」とか
「頚椎のゆがみ」とかを無くすのは施術では簡単です。
それで症状を改善解消できても
それは根本ではありません。
それでよくなればいいけれど、
それで良くならないことも多々あるのです。

良くする手立てのひとつの手がかりとして
根本の問題の研究がありますが
あくまでも課題の一つでしかない。
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根本に向き合わなくても生きてはいけるけどたまには考えると自身の世界が変わる、、、と思う

2018年03月20日 | 日記、独り言
根本の原因がストレスとなると、
その解決は自身の内面にある程度
踏み込まなくてはならない場合がある。

自身が無意識に恐れ、不安を感じることを
意識することもあるなど
今まで無意識に隠して自身をあざむいていたことを
自身に公表するみたいなもので
それはやはり、
勇気と覚悟がいることかもしれない。

しかしそういったことに
時々でも触れていくことで
人は深さをもち、
本当の人の真実に近づいていこうとすると
わたしは思います。

「無神経とか楽天的な人は
そういうふうに深く考ることがないのでは、
と思うことがある」と患者さんが言われたことがあった。

そうかもしれない、
知っていながらそう振舞っているのかもしれない。
知っていながら表現が下手なのかも知れない。」

「知らないで死んでいってしまう人も、
いるかもしれないけど、それはそれで、
その人はある意味幸せなのかもしれませんね、、」

そうですね、
でも、表面的な世界だけで生きるのは、
私はあまり人生に興味を感じないかもしれない。
実際に「深み」を感じずに生きているひとは
自分で自分を誤魔化していることに
気づかずにいるのかもしれない。

でも、結局それに気づかずに死ねるならいいけど、
間際になってふと気づいたら、
、、、なんというか私ならそのまま死ぬのは
嫌だと思う。たぶん、、、」


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根本の問題はデリケートな対応が必要

2018年03月19日 | 日記、独り言
根本の問題とした
日々の些細な心身ストレスから
さらに根本を掘り下げていくことは可能ではある。

しかし、さらに堀下げていくと
私たちの生活、健康の維持増進、
病気けが予防という分野においては
しだいに意味がなくなってゆく。

その必要があるケースもあるが
必要のない場合もある。

根本の原因を避けようとするのは
さらに深く探られることへの恐れなら
必要以上に掘り下げることのないよう
注意がいる。

その間合いを計ることは
施術者として重要なポイントとなる。

表面的な対応である
ゆがみや、硬さ、緊張などの解消と
それを手がかりにして
根本の原因との間合いを感じることが
施術と私は意識しています。
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根本の問題の解決法、コントロール方法は心身の感性、センスを高め、スポーツや芸術的的センスの種でもある

2018年03月18日 | 日記、独り言
多くの物、情報や、技術、サービスなど
私たちはその表面だけを享受して満足します。
その本質的なことはあまり意味はなく、
表面のところで価値の判断をしていることが
多いと思います。

本質に意味がないのではなく、
理解できないから、目にみえることで
評価するのだと思います。

しかし、病気やけがの根本的な原因は
本来はけっして難しいことではありません。
ただ、そこにちゃんと目を向けることをすれば
自然に理解できるものです。

根本の問題を知り、理解すること、
そしてその調整、解決の方法を知り
実践することは
病気やけがの根本の原因を減らすだけでなく
その感性はスポーツや芸術などに
応用もできる。

なにもスポーツ、芸術に用いずとも
それは日常生活をより楽に、
より味わい深くさせる種となるものと
私は感じます。

ところが、私たちは
表面に目がいって
本質、根本には関心を向けません。
いつも本質を知ることをさけてきたかのように、、

それは、わからないと思い込んできたということだけでなく、
理解することへの恐れ、不安が
「わからない」と思うほうがいいとさせているのでは
ないだろうか、、、。





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根本の問題を理解することを,人は無意識に避けようとする

2018年03月18日 | 日記、独り言
根本的な不調の原因の多くが
とるに足らないような
日々の心身のストレス、、、ということを
理解することは簡単なことではない。

他にとても重要な原因があるはず、

そんな些細なことでこんなに苦しむことに
なるわけがない。

もしそうだとしても、
何で私だけこんなに苦しい思いをするの?
そんなのみんな同じことだろう、、、

そうして根本の原因に向き合うことを
人は避けようとするというか、
そうではないと考えてしまうからです。

しかし、理解すると
その対策は難しいことではないのです。
(具体的にはここで記載しません)

重要なのは「はじめの一歩」である
理解することができるかです。
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