新宮の産屋敷義夫さんは、だぼ鯊には忘れ得ぬ磯釣りの大先輩です。紀南の釣りの精通者で、何か、といえば、お知恵を拝借するばかりでした。ある年の夏、砂浜の半夜の投げ釣りで六十匹ものイシモチを釣るコツをたずねてみました。
ついついイシモチって
(もうイシモチという魚は居ないよ…若い人に叱られそうですが今しばらくご勘弁を…四十年ほど前、ニベは普通にイシモチでしたから)
コツねェ。まず、第一にエサ。なんだかんだといってもサンマの切り身。それも生きのよいナマで、三枚におろして約十五ミリの幅に切り、カイズバリ十六号に装餌する。次に狙い場。これは小石底に限る。遠投して仕かけを引き「底石に当たった所でとめて神経を集中」ここが勘所。
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夏になると、ここ熊野灘に面する新宮の大浜海岸には、キャップライトを装備した”ナイト・キャスター“が三々五々集まってくる。納涼半夜釣りのはじまりぃ、はじまりぃ、というわけです。
夕暮れが迫って、陸軟風が海浜にそよぐころになっても、コンクリート堤壁はぬくもりがさめないし、渚の玉砂利も、さながら温石(おんじゃく)ですね
折から潮は込み。投げ釣り全盛期のそのころ、イシモチはいまや夏の投げ釣りの欠かせない好敵手で、ファンのキャスターはうなぎのぼり。新宮では半夜で六十匹くらい釣る人も珍しくない。ここで、話は冒頭の産屋敷さんにそのコツを尋ねる下りに戻るわけです。
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さて、最新の魚類図鑑(標準和名の起点とされている)では「ニベ科」に「イシモチ」の名がみあたりません。
大阪泉南の乗合船の名物イシモチ。いまも、釣り人はイシモチと呼んでいますが、釣りジャーナリズムは「シログチ」で統一しています。新宮の浜の投げで釣れるイシモチは釣りジャーナリズムではニベです。オオニベ、コイチもまじります。
当時、NHKの釣り講座テキストに「最近釣り人がイシモチといっている魚をよく見ると、殆どがニベのようです」とありました。いやいや船釣りで釣れるイシモチは殆どシログチですから、こう言い切ってはだめでしょう。
令和時代、釣り人が釣っているイシモチは「ニベ」「コイチ」と「シログチ」で、分類上は「ニベ科の魚」。ここへきて完全にイシモチは消えてしまった。両者はきわめて近似していて尾ビレの後縁が截形か三角形か。などによって分類される以外、ちょっと見た目に区別はつきにくいのです。
この魚、小骨が多く、身が柔らかく、どう見ても練り物材料ですが、自分で釣った「新しいもの」は刺身にしてよし、塩焼も、カラあげもまたグー。
だぼ鯊は、イシモチ、と人々が言いならわしている魚の中身を詮議してあえて毛を吹いて疵を求める必要はなかろう、と思いたいのですが、「科学する釣り人」をもって任ずるならば、権威ある新しい魚類図鑑から「イシモチ」が消えた現実も、受け入れねばならないでしょう。ただ、普遍するまでの過渡期の混乱は当分続くでしょうね。(イラストも筆者・からくさ文庫主宰)
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