mRNAワクチンを生んだカタリン・カリコにインタビュー「夏までには新型コロナウイルスに勝利しているでしょう

カタリン・カリコの名前は、一躍世界中で知られるものになった。 彼女が人生を捧げ、研究してきた「メッセンジャーRNA(mRNA)」の技術によって、世界はいま、新型コロナウイルスから救われようとしている。ノーベル賞受賞も近いと噂されるカリコに、仏「ル・ポワン」紙がインタビューした。
3/9/2021
【画像】研究者カタリン・カリコの成功の軌跡 大西洋を挟んだスカイプでのインタビューは、彼女のメールボックスに押し寄せるメッセージの波によって、ときどき中断された。
「リサーチゲート、フェイスブック、リンクトインなどで毎日、数百件の質問が来るのです」。ハンガリーのソルノク出身、66歳のカタリン・カリコはこう説明する。 彼女は、mRNAワクチン開発の偉大なパイオニアの一人である。逆境にも負けず、この革新的な方法を信じ続け、ファイザー、ビオンテック、モデルナの超迅速なワクチン開発・実用化を可能にした。 まずは、ハンガリーの共産主義から逃げることが必要だった。
「お金を持って出国すると思われないように、娘のクマのぬいぐるみに少しのお金を隠しました」。アメリカに着き、フィラデルフィアのテンプル大学を経て、5年後にペンシルバニア大学に辿り着いた。 当時、流行していたのはDNAの研究だった。だが彼女は、その操作はあまりに危険だと判断し、研究費を申請しながら、RNAの研究に没頭することを選んだ。その結果、彼女は役職を降格させられ、不遇の時代を過ごすことになる。
「カタリン・カリコはスーパースターです。私は、彼女の集中力、倫理観、予想外のことを成し遂げる能力を目の当たりにしてきました」と、ニューヨークにあるレノックスヒル病院の神経外科長デヴィッド・ランガーは語る。
多くの人が、彼女が将来ノーベル賞を手にすると見ている。2013年に、ドイツのビオンテック社の立ち上げに参加しながらも、彼女は変わらず研究に夢中であり、世界中の研究者との交流を続けている。
「世界の状況をより良くできるなら」という思いがあってのことだ。 各自が彼女のように自信をもってワクチンを接種するならば、それもあり得るだろう。彼女はすでに12月18日と1月8日に、ペンシルバニア大学でワクチン接種を受けた。「私はいま、94パーセントぐらい守られているということです」。
夏までにはコロナウイルスに勝利しているでしょう」
──あなたの技術を使ったワクチンが大きな効果を示したとき、どう感じましたか? 驚きませんでした。私たちの動物実験は、ジカ熱、インフルエンザ、エイズまで多岐にわたっていましたが、それらが信じられないぐらい上手くいっていたので、単純かもしれませんが、成功を信じて疑いませんでした。コロナウイルスのことをよくわかっていなかったというのもあるかもしれません(笑)。
──あなたのおかげで、人々はまた外出して人と会うことを夢見ています。 私のおかげだけではありません。それに、ペンシルバニア大学の研究者ノルベルト・パーディやドリュー・ワイズマンといった、私たちのチームを支えてくれた人々だけの成果でもありません。 ビオンテック、モデルナ、ファイザーの研究員たちの力も偉大でした。本当に多くの人々が関わっています!
この点は強調させてください。彼らの才能や専門知識は、ワクチンを完成させ、治験を早め、流通を保証するために必要不可欠でした。 ビオンテックのウグアー・シャヒンCEO、モデルナのステファン・バンセルCEOには先見の明があり、彼らは2020年1月から何かしなければならないと考えていたのです。
──私たちは「以前のように」生活できるようになりますか? 私たちの生活は普通に戻ると思います。夏までには新型コロナウイルスに勝利しているでしょう。ワクチンへの抵抗感が計画を遅らせることを危惧していましたが、いまのところ問題はそれよりも、ワクチンが不足していることですね。
──しかし、変異株がまた私たちをふりだしに戻すことはありませんか? mRNAワクチンは2種類の免疫反応を導きます。1つ目が体液の反応「液性免疫」です。「抗体」がウイルスを捕獲し、ウイルスの表面にある「スパイクタンパク質」と結合することで、細胞内へのウイルスの侵入を妨げます。 2つ目は細胞の反応「細胞性免疫」です。T細胞(Tリンパ球)が、感染した細胞の表面にある、ウイルス由来のスパイクタンパク質の微小片を探し出し、細胞を破壊します。 イギリス型、南アフリカ型、ブラジル型などの変異株は、抗体による捕獲を逃れるかもしれませんが、T細胞からは逃れられません。 ですから、変異株もmRNAワクチンが引き起こす免疫反応を逃れることはできないでしょう。私たちは、イギリス型変異株が、mRNAワクチンを接種した人の血清によって無力化することも示しました。つまり、イギリス型変異株は抗体反応も回避できないということです。
──フランスでは特にワクチンに対する不信感があることをご存知ですか? ワクチンの完成があまりにも早かったので、長い期間をかけて判明する後遺症を恐れている人が多いのではないかと思います。しかし、このワクチンは見知らぬ化学物質を体に入れるわけではなく、人間の体内で生成されているmRNAを接種しているだけです。
──いつからmRNAに情熱を傾けていますか? ハンガリーにいた頃からすでに、mRNAの研究をしていました。1980年代の初め、私の研究室では誰もDNAについては話していませんでした。それは下品な言葉でした(笑)。
──なぜアメリカで研究をしようと決めたのですか? 1985年、愛する研究室を離れてハンガリーを出るという決断は、厳しいものでした。ですが、設備の不足という大きな問題があり、そこで研究を続けることは不可能だったのです。それに、大きな製薬会社にとって、RNAは説得力のある研究領域ではありませんでした。
フランスのモンペリエにある研究室にもポストを見つけて応募しましたが、当時はまだハンガリーから西ヨーロッパの研究センターに近づくことは困難でした。そこで私たちは、リスクを覚悟しながらもアメリカに出発しました。夫とのあいだには2歳半の娘がいて、ハンガリーでは、洗濯機もある居心地の良い家も持っていました。フィラデルフィアでは、夜間に地下室で洗濯物を手洗いすることになりました。 しかし、私は状況が良くなること、すべてが可能であることを確信していたのです。もしハンガリーに残っていたら、皮肉屋で気難しい、平凡な人になっていたことでしょう。
道が探索に値するとき、人はそれを辿るものです」
──フランスのバイオテクノロジーの状況をどう思いますか? フランスは、夏のバカンスにはぴったりの美しい国です。しかし、なぜフランスの研究者たちが、アメリカに来なければならなかったか考えてみてください。モデルナのCEOであるステファン・バンセルは、フランス人でありながらなぜ、ワクチンを完成させるにあたってフランス企業を経営しないのか。なぜビオンテックのような会社がフランスにはないのか……。
資金の面で問題があると私は思います。アメリカでは、ベンチャー・キャピタルによって、中小企業に多くの投資がされます。おそらく文化の違いでしょうが、ヨーロッパにはそれがありません。アメリカではバイオテクノロジーに多くの投資がされ、ときには30余りの企業へ投資することもあります。そのうち一つでも成功すれば万々歳ということです。道が探索に値するとき、人はそれを辿るものです。 ──渡米は、あなたに翼を授けた……。
このことは私たち家族全員を良い方に導きました。娘のスーザン・フランシアはオリンピックのボート競技で2度金メダリストになりました! 彼女が言うには、コースの500メートルを過ぎてから、筋肉に強い痛みを感じましたが、決して諦めませんでした。彼女の目標は一位で終えることでした。おそらく、それがアメリカなのです。
人は大きなリスクを冒しますが、それは潜在的に大きな効果が見込まれるからです。移住をしてゼロから出発するなら、何も失うものはありません。私の夫は、ハンガリーではエンジニアでしたが、アメリカに来てからは、警備員や家事をしています。 夫、娘とともに。2012年ロンドンオリンピックにて
──そしてあなたはRNAについての研究を続けた。 フィラデルフィアに着いてからも、私は研究を続けました。1986年から、私たちはRNA(編集部注:まだmRNAではない)による最初の臨床試験を行いました。エイズウイルスに感染した患者の体内で、インターフェロンという免疫に関係する分子の生成を引き起こしたのです。
──なぜ、当時のほとんどの研究者のようにDNAを研究しなかったのですか? 1990年代は遺伝子治療の10年間と言えるでしょう。RNAはDNAの影に隠れていました。ヒトゲノム計画によって、私たちの染色体全体を解析することが可能となり、新たな遺伝疾患を見つけることができるようになりました。 当時は誰もがDNAに注目し、RNAについては1年に2~3本しか論文が発表されませんでした。しかし、1956年から、タバコモザイク病のウイルスに関する研究のおかげで、mRNAもDNA同様にすべての遺伝情報を運搬することがわかってきました。
──科学者たちはなぜそれに興味を持たなかったのでしょうか? 研究室でmRNAの合成ができるようになるまでには、1980年中頃まで待たなければなりませんでした。さまざまな革新のおかげで、mRNAを作り、操作し、細胞内に取り入れる工程すべてが、よりシンプルになり、それから、細胞に遺伝情報を運搬するのにRNAが使えるということがわかってきました。 私にとってはとても刺激的なことで、すべてが可能になるように感じるものでしたが、それに興味を持つ人は、まったく、あるいはほとんど、いなかったのです。
──ドリュー・ワイズマンとの出会いも決定的でしたか? 1998年のことでした。私はすでに10年ほどペンシルバニア大学にいて、チームでRNAの研究をしていました。 いまではすべてがデジタルですが、当時はゼロックスのプリンターのそばに張り付いていました。あるとき、そこで別の部署の見知らぬ人と出会い、私は彼が印刷しているものを一瞥して、会話を交わしました。 彼がドリュー・ワイズマンで、そのときアンソニー・ファウチ(編集部注:現ホワイトハウス感染症アドバイザー)の研究室で、HIVに対する予防、治療ワクチンに関する研究をしていると言いました。 私も彼に、自分の研究について話しました。
「私ならRNAをベースにしたワクチンを作れますよ」。それがきっかけになったのです。 しかし、そのワクチンは最初、かなりの炎症反応を引き起こしました。私は悩みました。人々を治療するにあたって、ここまで強い反応を起こしてはいけません。しかし、ドリューはそれに夢中でした。彼にとって、それは免疫システムの反応であり、まさしくワクチンに期待していることだったのです。 そこで、私たちは実験を重ねました。改良されたRNAを用いてずっと強力なタンパク質の生成を促すことによって、炎症を和らげる方法がわかってきました。多くの病人を治療するための道が開けたことは、すぐにわかりました。 ─
─その研究の流れで、2005年にドリュー・ワイズマンと素晴らしい論文を発表し、ペンシルバニア大学はあなた方の開発に関連した特許を登録します。その後はどのようになりましたか? 私たちは研究を進めるための助成金を獲得しました。その間に、ペンシルバニア大学は、私たちではなく、エピセンター・バイオテクノロジー社(編集部注:現セルスクリプト社CEOのゲイリー・ダールによって経営されていた)と特許売却の交渉をしていました。
私たちは怒りました。エピセンターは私たちにこの特許のサブライセンスを売りつけようとさえしたのです! 普通は、特許のライセンスは開発者に与えるものです。私たちこそがmRNAについて誰よりも知っており、最大限の効果を引き出せるでしょう。しかし、大学はそのようには考えなかったということです。
軍事ではなく研究への投資を
──モデルナ社の共同設立者であり、ハーバード大学教授である、デリック・ロッシは、あなたの革新的な研究がノーベル賞に値すると評価しています。 ハーバードで彼に会ったとき、彼は私に面と向かってそう言いました。しかし、正直に言うと、私は真面目に受け取りませんでした。まったくノーベル賞だなんて! 私はただ、2006年に研究資金をもっと得られていれば、モデルナ同様に尊敬される企業を作ることもできたのに、と思います。
それに、ノーベル賞の受賞者は、メディアの対応をし、知っていることを繰り返し話すことに時間を費やし、新たなことを学ぶことができず、研究能力の多くを失うことになると考えています。 私は同僚たちに言っています。「もし私の研究論文が時代遅れになったときには、そう言ってね。そのときにはメディアに語るのを止めるから」と。
──より多くの資金を得ることによって、新たな発見が可能になり、mRNAで別の病気が治療できるようにもなるのでしょうか? これは私がよく考えているテーマです。お金だけの問題ではないでしょう。もし科学者たちが自分のエゴを捨てて、情報を共有するならば、私たちは別の病気にも立ち向かうことができると思います。 キュアバック、ビオンテック、モデルナの3社が2013年からmRNAについての学問的交流を組織し、私も参加しています。私たちは、日本、韓国、中国とも多くのデータを共有しています。しかし、激しい競争のなか、研究者たちを結びつけ、協力が最高の戦略であると、すべての当事者に納得してもらうことは非常に困難です。
──私たちは、即座の収益を考えることなく、基礎研究にもっと投資するべきでしょうか? もちろんです! 今日、多くの人が死に、世界経済は行き詰まっています。すべては、軍事への投資が好まれてきたことが原因です。基礎にしろ、応用にしろ、研究に投資すること、そして、子供たちに「研究者になりたい」と思わせることが、すぐにでも必要です。治療すべき病気も、発見すべき事柄も山ほどあります。
──あなたが最も影響を受けた本は何ですか? 高校生のときに読んだハンス・セリエの『生命とストレス』です。彼は初めて人体に「ストレス」という言葉を使いました。それまでストレスは、基本的に物理学用語として使われる言葉でした。 その理論は、人々は後悔することで時間と人生を無駄にしているということです。誰も信じていないなか、私がRNAを守り続けられたのは、誰かから肩を叩かれて「ケイティ、よくやったね!」と言われることを期待していなかったからです。私は、自分のしていることが良いことだと、そしてそれが良い方に向かうと、確信していました。
──若い研究者たちにアドバイスはありますか? お金や栄誉などの見返りを求めないこと。ベストを尽くし、それに満足することです。うわべだけのこの社会において、重要なのはあなたの見栄えではなく、あなたが創り出す価値なのです。
一時の栄光は大切ではありません。 結果を得るために何ヵ月も、何年も研究し続けることもあります。今回のパンデミックがなかったとしたら、誰も私のことは知らなかったでしょう。私にとってはそれで良かったのでしょうが。
──研究を止めようと思ったことはありますか? 一度もありません。いまでは、何もせずに家に籠っていられるだけのお金はあります。それでも決して研究は止めませんでした。私には常に目標があり、新たな計画がある、それが私の動機になっています。まだ研究に貢献できると思っています。いつか研究中に倒れるかもしれませんが……。