突然、歩けなくなった中2女子 体に異常はなく…「父親に言われた通りに生きてきた
武井明「思春期外来の窓から」
3/3/2022
この冬は例年になく大雪で、普段、積雪に慣れていない方には大変な冬だったのではないでしょうか。雪がたくさん積もることは、一般的にあまり歓迎されませんが、思春期外来から見ると、雪が積もることで子どもたちとその家族に変化が起きることがあります。今回は、そのような事例をご紹介します。
突然、足に力が入らなくなって…
彩香さん(仮名)は、「歩けない」ということで思春期外来を受診した女子中学生です。
漁師のお父さん、水産加工場勤務のお母さん、それに弟さん2人がいます。お父さんは漁に出て何日も家に帰らないことがあります。お母さんも毎日、工場勤務で、夜勤の日もあります。家族みんながそろうことは、本当に少なかったようです。
彩香さんは、幼稚園時代からずっと手のかからない子で、弟さんたちの世話もよくしていました。小学校に入学してからは勉強熱心なまじめな子で、成績もいつも優秀でした。中学校では卓球部に入部し、練習に熱心に励みました。中学2年の後半には、顧問の推薦で部長になりました。
ところが、その年の9月になって、彩香さんは突然、下肢に力が入らなくなり、歩けなくなりました。そのため、近くの総合病院の小児科、整形外科、神経内科で検査を受けましたが、異常は認められず、精神的なものと言われました。近くには子どもを診てくれる精神科がないため、遠方にある思春期外来を受診しました。
神経や筋肉には異常がなく
初診時の彩香さんは、お母さんに車椅子を押されて診察室に入ってきました。両方の下肢の脱力感を訴え、歩くことができませんでした。しかし、彩香さん自身は、歩けないという症状を、それほど深刻に悩んでいるようには見えませんでした。主治医からの質問には、ときおり笑顔を交え、ハキハキと答えてくれました。
神経や筋肉の異常がないことから、精神的な原因やストレスで歩けなくなる解離性障害が考えられました。通院は、お母さんが車を運転し、片道5時間かかる道のりですが、1か月に1度の割合で通院してもらうことにしました。
通院を始めても、下肢の脱力はなかなか改善しませんでした。学校でも車椅子を使用しており、同級生が押してくれるということでした。
2か月後、診察室での彩香さんは、
「今までお父さんに言われた通り、勉強も部活もがんばってきました。でも、卓球部の部長になってから、部員をまとめることができなくなり、苦しくてしかたありませんでした。お母さんに話すとお父さんにも知られてしまうので、だれにも相談できないままでいました」 と泣きながら話すようになりました。
病院へ向かう車の中で
その年の11月、雪が積もるようになってからは、お父さんが仕事を休んで車を運転し、彩香さんとお母さんとともに病院を訪れるようになりました。 車の中では、家でほとんど話をしない彩香さんが、学校のこと、大好きな韓国のグループのこと、ペットのトリマーになりたいことなどを、お父さんやお母さんとよく話すようになりました。
お父さんによると、漁で家を空けることが多かったので、それまでは彩香さんと話をする機会がほとんどなかったということです。彩香さんとたまに顔を合わせた時には、「勉強したのか」「いい高校に入るんだぞ」「音楽ばかり聴くな」ということを、命令口調で一方的に言っていたそうです。彩香さんの気持ちや考えを聞くことはなく、お父さん自身の考えを伝えて終わるような会話だったということです。
診察に同席したお父さんは、
「冬場になって一緒に通院するようになり、彩香と一緒にいる時間が増え、話をすることも多くなりました。以前は仕事で余裕がなく、何でもかんでも彩香に自分の考えを押し付けてきたような気がします。今は、少しだけ娘の話を聞けるようになりました」
と述べました。
「本当は高校へ行きたくないんです」
中学2年の冬休み明けから、彩香さんの下肢の脱力はなくなり、しっかりと歩けるようになりました。このころになると、車椅子を使わず、自分で歩いて診察室に入ってくるようになりました。
「本当は高校へ行きたくないんです。お父さんからいい学校に入れと言われ、がんばって勉強してきました。でも今は、中学校を卒業したら働きたいんです」 と、
自分の意見をはっきり述べました。
お父さんは驚いたようですが、彩香さんの気持ちを大事にすることにしました。
その後、彩香さんは、全日制高校には進学せず、通信制高校に進み、コンビニのアルバイトを始めました。
「今までは、親に言われていた通りに生きてきましたが、今は違います。誰かの命令で動いているのではなく、自分で生きているという感じが強いんです。誰の人生でもなく、私の人生なのだから」
高校卒業後は、昔からあこがれていた動物のトリマーの専門学校に進学しました。
通院は単なる病院への道のりではない
雪が積もってから、彩香さんは、お父さんの運転する車で通院するようになりましたが、この通院する道のりが、親子にはとても意味のあるものになったようです。片道5時間も親子で車の中にいることは、普段は忙しくしている両親、なかでもお父さんと長く一緒にいられる貴重な時間になったわけです。彩香さんは、この時だけは両親を独り占めできて、さまざまな話をしながら通院してきました。こうした診察室外での親子のやり取りが、症状の改善に大きな影響を与えたと考えられます。
親子の会話は大切だとよく言われます。でも実際は、お父さんもお母さんも仕事や家事で忙しく、一方、子どもたちも部活、塾や習い事などで忙しい毎日を送っています。そんな親子が時間を十分にとってともに過ごすということは、普段の生活ではなかなか困難なのかもしれません。
そのような状況での通院は、単なる病院に向かう道のりではなく、「どんな話が交わされ、どんな思いを共有しながら病院に向かうのか」という大切な時間になります。
子どもと一緒にいる時間を大切に
親子であっても(親子だからかもしれませんが)、面と向かうと、なかなか思ったことが言えないものです。でも、彩香さんのお父さんがハンドルを握りながら話したように、何かをしながら話をするほうが、普段言えないことを素直に言えたり、感情的にならずに言えたりするような気がします。
家から遠い病院に通院したほうがよいと言っているのではありません。「子どもたちと一緒にいる時間をいかに大切にするか」が重要なのですから、それは家にいる時でも、家族で遊びに出かける時でもいいわけです。親のほうが、主治医よりも子どもたちと一緒にいる時間がはるかに長く、親からの影響を無視して思春期外来での治療は成り立たないのです。
武井 明(たけい・あきら)
武井明
1960年、北海道倶知安町生まれ。旭川医科大学大学院修了。精神科医。市立旭川病院精神神経科診療部長。思春期外来を長年にわたって担当。2009年、日本箱庭療法学会河合隼雄賞受賞。著書に「子どもたちのビミョーな本音」「ビミョーな子どもたち 精神科思春期外来」(いずれも日本評論社)など。