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ハーメルンの笛吹き男と 消えた130人のこどもたち>深い意味が

2025年01月02日 23時03分41秒 | 歴史的なできごと

>なんと、700年以上前のお話です。

やはり、子供が突然いなくなる事件は、大きなインパクトがありますね。

1284年、ハーメルンの町にはネズミが大繁殖し、人々を悩ませていた。ある日、町に笛を持ち、色とりどりの布で作った衣装を着た男[注 1]が現れ、報酬をくれるなら町を荒らし回るネズミを退治してみせると持ちかけた。ハーメルンの人々は男に報酬を約束した。


10・18・2020

男が笛を吹くと、町じゅうのネズミが男のところに集まってきた。男はそのままヴェーザー川に歩いてゆき、ネズミを残らず溺死させた。しかしネズミ退治が済むと、ハーメルンの人々は笛吹き男との約束を破り、報酬を払わなかった。 

約束を破られ怒った笛吹き男は「お前たちの大切なものを代わりにいただこう」と捨て台詞を吐きいったんハーメルンの街から姿を消したが、6月26日の朝(一説によれば昼間)に再び現れた。

住民が教会にいる間に、笛吹き男が笛を鳴らしながら通りを歩いていくと、家から子供たちが出てきて男のあとをついていった。130人の少年少女たちは笛吹き男の後に続いて町の外に出てゆき、市外の山腹にある洞穴の中に入っていった。そして穴は内側から岩で塞がれ、笛吹き男も子供たちも、二度と戻ってこなかった。物語によっては、足が不自由なため他の子供達よりも遅れた1人の子供、あるいは盲目と聾唖の2人の子供だけが残されたと伝える。 


この物語への最初の言及は、1300年頃にハーメルンのマルクト教会に設置されていたステンドグラスに見られる[1]。14世紀から17世紀にかけての複数の記録がこのステンドグラスについて述べている。このステンドグラスは1660年に破壊された。残された文献に基づいて、ハーメルンの郷土史家ハンス・ドバーティンにより現在のステンドグラスが復元された。このステンドグラスは、色鮮やかな衣装を纏った笛吹き男と、白い着物姿の子供たちを特徴としている。 
このステンドグラスには以下に記す説明文が添えられていた。

Anno 1284 am dage Johannis et Pauli
war der 26. junii
Dorch einen piper mit allerlei farve bekledet
gewesen CXXX kinder verledet binnen Hamelen gebo[re]n
to calvarie bi den koppen verloren — http://www.triune.de/legend

この文章は、概ね以下の日本語に訳される。


1284年、聖ヨハネとパウロの記念日
6月の26日
色とりどりの衣装で着飾った笛吹き男に
130人のハーメルン生まれの子供らが誘い出され
コッペンの近くの処刑の場所でいなくなった



コッペン(Koppen、古ドイツ語で「丘」の意)とは、ハーメルンの街を囲むいくつかの丘の一つであるとされるが、どれを指すのかは不明。 
このステンドグラスは、ハーメルン市の悲劇的な史実を記念して制作されたと一般には考えられている。また、ハーメルン市の記録はこの事件から始まっている。ハーメルンの最古の記録は、1284年の出来事を起点にした年代記として述べられている。 

我らの子供達が連れ去られてから10年が過ぎた[2]。 」 

何世紀にもわたる調査にもかかわらず、笛吹き男の物語に隠された歴史的な出来事についての明確な説明は与えられていない。いかなる調査結果においても、1559年頃に初めて物語にネズミの集団発生が追加されており、それ以前の記録ではネズミは登場しない。



最も広く支持されている説は[5][6] 、子供達は東ヨーロッパのドイツ人植民地で彼ら自身の村を創建するために、自らの意思で両親とハーメルン市を見捨て去ったとする説である。

この時代に創建された幾つかのヨーロッパの村と都市は、ハーメルンの子供達による開拓者としての努力の結果であると考えられる。この主張は、Querhameln(ハーメルン製粉村)のような、ハーメルンと東方植民地周辺の地域それぞれに存在する、対応する地名によって裏付けられている。この説でも笛吹き男は、運動のリーダーであったと見なされている。



この説のバージョンの一つは1955年に『サタデー・イブニング・ポスト』誌で発表された[7]。植民説の裏付けとなるのは、ハーメルンの旧家の壁から発見された文章である。その述べるところによれば、1284年6月26日に、笛吹き男が130人の子供を街の外へ連れ去り、おそらくはその笛吹き男はモラヴィア(現在のチェコ共和国の一地方)への植民運動を組織していたオロモウツの司教ブルーノ・フォン・シャウンブルクの代理人であったという[8][9]。シャウンブルク司教自身もまたボヘミア王オタカル2世の代理人として行動していた[10]。

更なる考察を加えれば、植民説は13世紀のドイツ地域はあまりにも多くの人口を抱え込んでいたため、長男のみが土地と権力の全てを相続し、他の者は農奴となるしかなかったとの考え方に基づいている[11]。後に黒死病がこの不均衡を破壊した[11]。

また、子供の移民が記録されていない理由の一つとしては、子供達は東ヨーロッパのバルト地方からやって来た植民請負人(英語版)に売られたためであるとの説が提言されている(児童売買は当時は珍しい慣習ではなかった)。

エッセイ『笛吹き男の再訪』Pied Piper Revisited において著者シェイラ・ハーティーは、東方植民地に見られる姓とハーメルンで見られる姓は類似しており、ハーメルンの街で養育できなかった私生児や孤児、その他の児童が売られたというのは納得のいく説明であると述べている。更にハーティーは、これがハーメルン町史におけるこの事件の記録の欠落への説明になるかもしれないと述べる[2]。

ヴォルフガング・ミーダーは自著『笛吹き男ハンドブック』The Pied Piper: A Handbook において、ハーメルンを含む地方の人々がトランシルヴァニアの一部への移民を支援した事を示す歴史的文書が存在すると述べている[12]。トランシルヴァニアはモンゴルによる中央ヨーロッパ侵略を受けており、その時期は笛吹き男伝説が歴史に現れる時期と前後している。

ハーメルン市の公式ウェブサイトに掲載されている笛吹き男伝説のバージョンでは、移民説の別の側面が提示されている。

 様々な解釈の中で、低地ドイツ地方から出発した東ヨーロッパへの移民説がもっとも説得力のある解釈である。「ハーメルンの子供たち」とは、モラヴィア、東プロイセン、ポメルン、チュートン地方への移住を募集する地主達により、移民の意思を抱いていた当時のハーメルン市民の事だったのであろう。過去の時代には、現代でもしばしば行われているように、町の住民全てが「○○の子供達」あるいは「○○っ子」と呼ばれていたのだと推測される。

やがて「子供達の集団失踪の伝説」は「ネズミ駆除の伝説」に統合された。この伝説はまず例外なく、中世の製粉所のある町の最大の脅威であったネズミの集団発生と、時には成功を収め時には失敗する職業的ネズミ駆除人について述べている— The Legend of the Pied Piper Rattenfängerstadt Hameln September 3. 2008 参照 



以下はリンクで





ハーメルンのマルクト教会にあるステンドグラスから模写された、現存する最古の笛吹き男の水彩画(アウグスティン・フォン・メルペルク画、1592年)


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新幹線や飛行機の「窓の日よけ」、開け閉めする「権利」は窓側の人にある? JALとJR東海の回答は

2025年01月02日 11時03分58秒 | 天候のこと

新幹線や飛行機の「窓の日よけ」、開け閉めする「権利」は窓側の人にある? JALとJR東海の回答は(弁護士ドットコムニュース) - Yahoo!ニュース 




新幹線や飛行機の「窓の日よけ」、開け閉めする「権利」は窓側の人にある? JALとJR東海の回答は
12/28(土) 9:20配信




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弁護士ドットコムニュース
飛行機の窓から外を見る子ども(Melpomene / PIXTA)


年末年始、新幹線や飛行機の窓から見る景色が楽しみな人も多いだろう。ところが、移動時間に寝ていたい人が「日よけ」を下ろすこともある。


窓の日よけを開け閉めできるのは、窓側か通路側、どちらの席の人が優先されるのだろうか。X上でも、同じような疑問や議論がみられる。


普通に考えれば、窓に近い窓側ではないだろうか。いやいや、景色を眺める楽しみは通路側にもあるぞ。大手航空会社と鉄道会社に「ルール」を聞いてみた。


●JR東海「客同士で譲り合って」
東海道新幹線「のぞみ」の座席と窓(iwasaki_2020 / PIXTA)


日よけの「開け閉めの権利」は、通路側に座る客ではなく、窓側に座る客にあるのか。あるいは窓側なのだろうか。


弁護士ドットコムニュースは、新幹線と飛行機の窓の日よけの開け閉めについて、JR東海と日本航空(JAL)に取材した。


新幹線の日よけについて、JR東海は「車内の設備は、お客様同士で譲り合い周囲に配慮してご利用いただきますようお願いします。快適な車内環境にご協力お願いいたします」と答えた。


特にどちらかの席に「権利がある」という決まりはないようだ。なお、新幹線の日よけは、「日差しよけ」や「カーテンシェード」などと呼ばれているという。


●JAL「日よけに関する具体的な定めはない」
飛行機の日よけについては、JALが詳しく答えた。


JALによると、関連法令や運送約款(国内・国際)には、「日よけ」に関する具体的な定めはないのだという。


「構造上、窓側に着席されたお客さまが『ひよけ』を操作しやすく、かつ機外環境の影響を受けやすい状況にあることから、窓側のお客さまが操作されているこという状況が一般的ですが、特定のお客さまに『開け閉めの権利』があるという考え方には立っておりません。


窓の『ひよけ』の開け閉めについては、最終的には乗務員の指示に従っていただく必要があると考えており、たとえば、安全上の理由により、客室乗務員から非常口座席のお客さまに対して、離着陸時は『ひよけ』を開けることを指示しています」


機内の安全を保つためには、乗客は乗務員の指示に従う必要がある。これが何より優先される考えだ。


●安全を理由とした場合でなくても乗務員から頼まれることがある?
飛行機の窓から外を見る子ども(Melpomene / PIXTA)


ただ、安全を理由とした場合でなくても、日よけの開け閉めについて乗務員から頼むことがある。


「たとえば、国際線では機内でお休みいただける環境を整えるために、外が明るい状況でも、『ひよけ』を閉めて機内を暗くすることがありますが、このような状況で『ひよけ』を開けているお客さまがいらっしゃれば、お声がけをして閉めていただく場合があります。お客さまにご協力をお願いする場合においては、『ひよけ』を操作される方を含め、搭乗されるお客さまに快適にお過ごしいただけるよう心がけております」

なるほど。乗客同士、乗客と乗務員同士が協力しあって、安全で快適な移動が実現する。窓側に特定の権利があるわけではないということだった。

「日よけの開け閉めの権利」という考えは自宅においてから出発しよう。









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「ここは以前、殺人があった部屋でして」聞いたら知る前の気持ちには戻れない…事故物件に「住みたくない」と思ってしまうワケ

2025年01月02日 03時03分40秒 | 不動産と住環境のこと

「ここは以前、殺人があった部屋でして」聞いたら知る前の気持ちには戻れない…事故物件に「住みたくない」と思ってしまうワケ 



11/13/2024

〈 「先祖のたたりがある」と脅して数百万の壺を買わせ…“霊感商法”を信じてしまう人の心の中では何が起きているのか 〉から続く


 事故物件、あなたは住めますか? どれほど綺麗な部屋であっても、そこが事故物件であると判明した途端、住みたくなくなってしまうという人はかなり多いでしょう。直接的な影響があるわけではないのに、どうしてそう思ってしまうのでしょうか。


 愛知淑徳大学の心理学部教授である久保 (川合) 南海子さんは、自分の認識が世界の見え方に影響を与える「プロジェクション」という心の動きについて指摘します。


 ここでは、そんなプロジェクションについてさまざまな事例を紹介しながら解説していく『 イマジナリー・ネガティブ 認知科学で読み解く「こころ」の闇 』(集英社新書)より一部を抜粋して紹介。事故物件に抵抗感を抱く、その心理学的な理由とは……。(全4回の4回目/ 続きを読む )





© 文春オンライン
◆◆◆


殺人があった部屋には住みたくない
 私にはいわゆる「霊感」というものがないらしく、これまで幽霊のようなものを見たこともなければ、どこかの場所でなんだかゾッとするような感覚をおぼえたこともありません。そんな私でも、住む場所を探している時に「ここは以前、殺人があった部屋でして」と言われたら、どんなに条件が良くて気に入ったとしても、やはりそこで生活することを躊躇してしまうと思います。そしておそらく、たいがいの人は同じように思うのではないでしょうか。


 いまの例のように不動産取引や賃貸借契約の対象となる土地・建物や、アパート・マンションなどのうち、その物件の本体部分もしくは共用部分のいずれかにおいて、なんらかの原因で前居住者がいわゆる「悲惨な死に方」をした経歴のあるものを「事故物件」といいます。



 不動産を含む売買契約に関する民法では、業者には「契約不適合責任」があります。売主や貸主には物件の欠陥を担保する責任があると定められており、事故物件は「心理的瑕疵(欠陥)」に相当するとされています。


 2021年10月、国土交通省は「宅地建物取引業者による人の死の告知に関するガイドライン」で、いわゆる事故物件について、不動産業者が入居予定者らに伝えるべきかどうかの指針案をはじめてまとめました。告知が必要でない事案は、病死、自然死、日常生活にともなう事故死です。告知すべき事案は、他殺、自殺、階段からの転落や入浴中の転倒・不慮の事故(食べ物を喉に詰まらせるなど)以外の事故死、事故死か自然死か不明なばあい、長期間放置され臭いや虫が発生するなどしたばあいとなっています。


自分に関係ない殺人や事故のことが気になるのはなぜ?
 このガイドラインを読むと、心理的瑕疵とされる事故物件の「心理的」の部分がいずれもプロジェクションによるものであることに気づかされます。事故物件の部屋はきれいにリフォームされているはずですから、見たところではもちろん殺人や事故の痕跡など跡形もなく、説明されなければまったくわかりません。けれど、一度でも事情を知ってしまったら、もう知る前の気持ちには戻れないのです。


 動物がある場所や物を回避するばあいは、それがその動物にとって危険であるからです。ところが事故物件のばあい、自分はそこでの事故や事件にはまったく関係ないのですから、物理的にはもちろん、人間関係的にも事故物件を回避する理由はありません。しかし、ふだんは幽霊や死者の怨念などを信じていなくても、「悲惨な死に方」をした人が最後にいた場所で、毎日暮らしていくのはなんだか嫌なのです。そこには、うまく説明はできないながら、悲惨な死への漠然とした忌避感がプロジェクションされています。



 この部屋に住んでいたら、なにか不可解な現象が起こって怖い目にあうのではないか、死者の霊が見えてしまうのではないか、自分のこころや身体になにか不調が起こるのではないか、考えだしたらキリがありません。それはなんの根拠もなく、合理的な説明でもなく、そんな経験をこれまでにしたわけでもないのですが、場所と事情を起点にして私たちの想像力は無限に広がっていきます。


 プロジェクションは表象と対象が必要なこころの働きですから、事故物件という場所(対象)と悲惨な死という事情(表象)がそろったことで、止めようとしても自動的にプロジェクションがなされてしまい、悲惨な死への漠然とした忌避感がさまざまな具体例として顕在化したといえるでしょう。


 悲惨な死への漠然とした忌避感や恐れが事故物件という部屋と結びついたなら、死者の生命感(これは大いなる矛盾であり、非合理的だからこそ不気味なのですが)を事故物件の部屋で感じてしまうともいえます。


 部屋にまつわる事情を知ったことで、ドアがうまく閉まらないとか湿気がたまってカビ臭いなど、住居としての物理的な不具合について、「もしかしたら死者の怨念が…?」というアブダクション(編注:説明のつかない問題について、仮説を立てて考えることで新たな結論を導きだす推論法)で推論することによって、部屋に霊の存在をプロジェクションしてしまうのです。


 ふだんは霊など信じていないような人でも、事故物件となるとあまり気持ちが良いものではないと思うのも無理はありません。私たちは案外、ちょっとした情報ひとつから、手軽に幽霊を出現させてしまうのです。


殺人犯が着ていた服は洗っても着たくない
 環境に対する清潔感や嫌悪感の感覚には、かなり個人差があるといえます。自宅以外の洋式トイレでは、誰が座ったかわからない便座に自分も直に座るわけですが、まあそういわれてみればそうだけどあまり気にならないという人もいれば、それがどうしてもできないという人もいます。


 洋式トイレの例は、自分が対象に物理的な接触があるばあいですが、物理的な基盤を持たなくても性質や価値が事物に伝わるとする信念を「魔術的伝染(magical contagion)」といいます。魔術的伝染は、原始宗教や儀礼に関する文化人類学の分野で最初に注目されましたが、近年では認知科学や発達心理学でも研究されるテーマになっています。



 たとえば、有名な歌手がライブで着用していた服がオークションにかけられ、高値で取引されるのは魔術的伝染によるものです。このような魔術的伝染には、ポジティブな伝染とネガティブな伝染があります。有名な歌手の服のような例は、ポジティブな伝染のひとつで「セレブリティ伝染」といいます。


 セレブリティ伝染では、有名な歌手の価値が服という事物に伝わっていると考えているからこそ、物理的な服としての価値以上の意味がそこに見いだされているわけです。これはまさに、プロジェクション以外のなにものでもありません。


 セレブリティ伝染は、子どもにも見られます。発達心理学のポール・ブルーム先生らは、イギリスの6歳児を対象に同じおもちゃを見せて、片方はエリザベス二世がかつて所有していたもの、もう片方はそのコピーだと説明しました。すると子どもたちは、まったく同じおもちゃであるにもかかわらず、コピーよりもエリザベス二世がかつて所有していたほうを高い価値があると判断しました。


 おもしろいことに、この傾向は幼い頃に毛布やぬいぐるみなどの愛着対象を持っていた子どもでより顕著に見られました。このことから、自分の内的世界を外部の対象に投射するプロジェクションの働きの強さが、魔術的伝染の傾向と関連していることがわかります。


「床に落とされた(かもしれない)クッキーは見たところ汚れてはいないけれど、汚れている(ような気がする)から食べたくない」と思うのは、ネガティブな魔術的伝染によって形成された表象がプロジェクションされた結果であるといえます。


 このように、ネガティブな性質が伝わるばあいには「汚染(contamination)」という用語が使われます。ネガティブな伝染は、セレブリティ伝染のようなポジティブなものに比べて伝染力が強く、効果も長く続きます。


 ネガティブな性質が伝わるばあいとしては、たとえば、殺人者が着ていたセーターは、それがもし完璧にクリーニングされていたとしても、手を通したくないという忌避がとても強いことがわかっています。


 先ほどの事故物件へ感じる恐怖や嫌悪も、まさにネガティブな魔術的伝染であるといえます。事故物件の問題は、部屋がすっかりリフォームされていても、悲惨な死に関する性質や価値が部屋という事物に伝わるという信念が関係しているからです。


(久保(川合) 南海子/Webオリジナル(外部転載))





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