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事件取材にあけくれた64歳の"セカンドライフ"は保育士か、幼稚園教諭か>地下鉄サリン、警察庁長官銃撃…

2024年12月26日 21時03分45秒 | 事件と事故

地下鉄サリン、警察庁長官銃撃…事件取材にあけくれた64歳の"セカンドライフ"は保育士か、幼稚園教諭か | TRILL【トリル】 






2024.12.26
“事件取材の鬼”と呼ばれてきた緒方健二さんは、62歳で新聞社を退職し、北九州市にある短大の保育学科で保育士資格と幼稚園教諭免許を取得した。今後については「模索中」だという緒方さんは、自身のセカンドライフをどのように描こうとしているのか。ライターの辻村洋子さんが話を聞いた――。


40年間の事件記者生活の後、短大で保育士資格と幼稚園教諭免許を取得した緒方健二さん




生活すべてを事件取材に捧げていた
2024年の春、65歳で短大の保育学科を卒業した緒方健二さん。入学するまでは朝日新聞社の社会部記者として、生活のほぼすべてを事件取材に捧げていた。子どもが被害者となる誘拐・虐待・無理心中、殺人、政治家や公務員の贈収賄、過激派テロ、暴力団抗争など、報じた事件は枚挙にいとまがない。


そんな“事件取材の鬼”が、退職後は短大生に転身し、保育士資格と幼稚園教諭免許を取得。記者のときから抱き続けてきた「子どもを守りたい」という思いを実現すべく、第二の人生を歩み始めている。


卒業後は、朝日カルチャーセンターで事件・犯罪講座の講師を務めながら、児童虐待事件の加害者などへの取材を継続。記事の執筆や講演活動と並行して、記者時代や短大時代のエピソードを綴った本『事件記者、保育士になる』も上梓した。


その一節を自ら朗読したYouTube動画は、ありのまますぎる姿と「巻き舌」が受けてSNSで話題になっている。




「当初は保育所や幼稚園の先生になることも考えていましたが、今は子どもの最善の利益のために何をすべきか、その手段を模索しているところでございましてね」


ドスのきいた声でそう話す緒方さん。模索している手段の中には、自分が理想とする施設や園をつくることも入っている。実際、そうした施設の運営者からオファーを受けたこともある。


一緒に卒業した同級生たちからも、「園を作ってほしい」「緒方さんが園長をするなら絶対働きに行く」といった声が上がっているという。ただ、その実現には膨大な準備と資金が必要になる。


「宝くじにもすがりたく存じます。でも、もうここ40年以上買い続けていますけど、当たった額は最高で1万円ですよ」


冗談めかして語った後、ではいかにして子どもを守っていくかという話になると一気に眼光が鋭くなった。


保育学科で専門知識を身に付けたことで、思いの実現には一歩近づいた。それでも心境に変化はなく、現状に満足するつもりも毛頭ない。卒業後は、かえって今の社会に対する危機感が強まった。


子どもの虐待事件は年々増え続けているのに、その子たちを守るはずの機関や制度はいまだ十分に整備されないまま。緒方さんは「現場の実態を知れば知るほど怒りが込み上げてくる」と語る。


収入の当てはなかった
記者時代、大事件が起きた際には、自分たち記者がここで真相を追求しないと読者の求めに応えられないと必死で働いた。まったく家に帰らない、ほとんど睡眠がとれない、そんな状況が半年ほど続いたこともあった。


「それでも記者なら、自分のことなど顧みずそうすべきだというのが私の意見です。それが務めですから。保育所や幼稚園、福祉施設などで子どもと関わるお仕事に就いていられる方々にも、同じ志を持っていていただきたいと切に願っています」


62歳で「このまま記者を続けていても子どもの被害防止に役立つことはできない」と退職したとき、収入の当てはまったくなかった。生活費以外の収入はほとんど取材に注ぎ込んでいたため、蓄財もほとんどなかった。


雇用保険を受けるために行ったハローワークで、職員から「あなたの年齢だと紹介できる仕事は非常に限られる」と聞かされたこともある。


「決断」というほどのことではない
そのうちに講師や執筆などの依頼が舞い込むようになったものの、金銭的に余裕があるとは言えない中で短大に入学するというのは、勇気のいる決断だったに違いない。60代で退職した後、まったく畑違いの分野に、極端に違う環境に、緒方さんのように飛び込める人は決して多くはないだろう。


そう伝えると、「いやいやとんでもない」と首を振った。


「たまさか、子どもを守るためにこんなおのれに何ができるのかと考えた末に短大に入る道を選んだだけで、決断というほどのことじゃないんですよ。子どもを守るということを記者生活では十分に成し得なかったから、その知識を身につけたいと思っただけで、全然大した話ではないんです」


自分は何も成し得ていない。色んな記事を書いてきたけれど、そんなものは屁の突っ張りにもならない。昔も今もろくでなしのハンパ者だと、謙遜でも何でもなく心底そう思っている。真剣な眼差しでそう語ってくれた。






時間のやりくりは今の方が大変
記者として十分すぎるほどのキャリアを築いた後の、第二の人生。しかし、本人は今の状況を「別にセカンドライフだとは思っていない」という。


新聞社を退職後、時間のやりくりはむしろ大変になった。記者時代は警視庁の記者クラブに詰めていたため、会社にはあまり行ったことがなかった。いつどこへ行こうとほぼ自由だったし、いつどこへ行こうとほぼ自由だった。


だが、短大では毎日決められた時間に決められた場所へ行かなければならない。最初は大変だったそうだが、入学時に心に決めた無遅刻無欠席は何とか達成できた。


卒業後の今も「スケジュール管理には苦労しています」と苦笑いする。特異な経歴のおかげで、メディアから取材を受ける機会も、本や雑誌に記事を書く機会も増えた。その取材日や締め切り日を間違えてはいけない、遅れてはいけないと思うたびに緊張が走る。


緒方健二さんが今も持ち歩く黄色いオーガンジー。手の中で膨らませる「ひよこさん遊び」や「いないいないばあ」で子どもを笑顔にできる

緒方健二さんが今も持ち歩く黄色いオーガンジー。手の中で膨らませる「ひよこさん遊び」や「いないいないばあ」で子どもを笑顔にできる

はないちもんめでは「緒方さんがほしい!」
退職後、確かに環境や生活リズムは変わった。一般的にはそれをセカンドライフと呼ぶのかもしれないが、緒方さんは「自分自身の心境には何の変化もない」と語る。



緒方健二『事件記者、保育士になる』(CCCメディアハウス)
軸になっているのは今も、子どもを守りたいという強い思いと、どんな相手とも理解し合える関係性をつくろうとする姿勢だ。


保育学科という、年齢も育ってきた環境もまったく異なる人たちの集団に飛び込んだとき、まず心がけたのは「互いに理解し合える関係になろう」ということだった。その姿勢はやがて相手にも伝播し、同級生たちとの仲は日に日に深まった。


たとえば、幼児体育の授業で「はないちもんめ」に取り組んだときのこと。2チームに分かれて、歌を歌いながら仲間にほしい人を取り合う遊びだが、誰も自分をほしがらないだろうと思っていたら、相手チームの女子学生たちが声を揃えて「緒方さんがほしい!」と言ってくれた。


人気アイドルグループ「SixTONES」のことを「しっくす とーんず」と読んだときは、同グループを推す女子学生から「ストーンズって読むんですよ」と笑顔で、かつキッチリと指摘された。


学生からプライベートな相談ごとを持ちかけられたこともあれば、将来は一緒に仕事をしたいと言ってもらえたこともある。


こうしたエピソードから伺えるのは、構えることなくやりとりできる気安い関係性だ。同級生たちが心を開いてくれたのは、この人は一生懸命自分たちを理解しようとしてくれていると感じたからこそだろう。


新聞記者時代も今も変わらない
「先入観にとらわれず、精一杯の配慮と支援を心がけて、自分は何者でもないんだという姿勢で関係を築こうと努める。そうすれば理解し合えるんだなと実感しました。結局、社会って、さまざまなことが異なる人と人がいろんな関係を紡ぎ上げることでつくられるものなんだなとも思いましたね」


その点は、記者でもセカンドライフに入った人でも同じだろうという。記者には、取材相手が誰であれ、その生い立ちや考え方への理解を深め、心を開いて話してもらえるよう働きかける姿勢が欠かせない。セカンドライフに入った人も、新たな環境で周囲との関係をいかに築き深めるかが肝要なのではないか――。


「偉そうなことを言いましたが、やっぱりそこが大事かなと思います。現に私のような野良犬がですね、保育学科で45歳も年下の同級生の皆さんに助けてもらえるようになって、無事に卒業できたわけですから」


原動力は「怒り」
現在気になっているテーマは、親子の無理心中や内密出産、発達障害と診断された子への保育・教育、保育士や教員による性加害。子どもを取り巻く法や支援のあり方とともに、子育て世代に対する福祉の不十分さについても取材・発信していくつもりだという。


原動力は怒りだ。


1995年ごろには、学校で授業についていけず、教師や親から無視されて犯罪に関わるようになった「非行少年」たちを取材した。犯罪に関わって矯正施設から戻っても、行くところがない。居場所を求め、暴力団員に提供されたアパートに集うようになった子どもたちも少なくなかった。


同じころ、難病で学校に通えない14歳の子どもについても記事にした。この子は週に数回、「訪問教育」という制度で自宅に来る教員とのふれあいを楽しみにしていたが、当時の制度では高校生の年齢になると、訪問教育を受けられなくなる。制度にこだわり延長を渋る役所をしつこく取材。その後、訪問期間の延長が認められた。


本来なら国が率先して子どもや親を守るべきなのに、そのための制度や仕組みはいまだに穴だらけで、予算も人手も十分に確保できていない。さまざまな不備を厳しく指摘した後、「本当に許せないし、腹が立っています」と語気を強めた。


志を持って自分の道を歩み続ける緒方さん。悠々自適の生活に興味はない。知識も経験も人脈も、記者時代と短大時代を通して培ったすべてを注ぎ込んで、子どもを守りたいという思いの実現を目指していく。




インタビューに答える緒方健二さん。子どもを取り巻く環境について語り始めると、手に力が入る

辻村 洋子(つじむら・ようこ)
フリーランスライター
岡山大学法学部卒業。証券システム会社のプログラマーを経てライターにジョブチェンジ。複数の制作会社に計20年勤めたのちフリーランスに。各界のビジネスマンやビジネスウーマン、専門家のインタビュー記事を多数担当。趣味は音楽制作、レコード収集。






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