toru-kon DIARY

撮魂日記
アクティブダイバーの水中写真日記ですよ

いいこと探し

2013-02-20 00:54:40 | 身の回りのこと
今朝、新聞の投書欄を読んでいると、「いいこと日記を書くことにより、”目の前にあるのに気付かない小さな幸せ”をキャッチし、心に潤いを生む」ということを実践していらっしゃる方の文章が載っていました。

僕はそこらへんを歩いている人よりも心が荒んでいると自負しているので、”ケっ、またおメデタイ人がいてはるでぇ”程度の感想を嫁はんにブツけようと
考えていたのですが、折悪しく、嫁はんが忙しそうで、かつイライラ気味だったので、時間待ち的に少し真面目に文章を読んでみました。
すると、その人の文章が”心が荒み気味なオッサン”の心を動かすような良い内容であることに気づけました。

っで、文章の趣旨を自分なりに理解した上で、嫁ハンに”この投書をした人は凄い、なぜならオレはとてもやないけど毎日”いいこと”をみつけることなんかできへんからである”というようなことを言ってみたのです。
すると、嫁はんは”要は「いいこと」の定義の仕方がポイントであって、変に構えずに定義を緩めにしておくと、例えば”メシがメッチャうまかった”とか、”車のブレーキを踏むか踏まへんかのタイミングで信号が青になりよった”とかでも「いいこと」になるちっゅうわけや、と説いてくれました。
頗るさもありなんな心持です。

もう一つ、嫁ハンが言いよったのは、「いいこと日記」は weblog のように keyboad で打つような類のものではなく、絶対に手書きにせないかんということです。なんだかよくわからんですが、妙な説得力を感じます。
この説得力の理由は実績を重ねたことによるのであろうと予測して、そこいらへんのことを嫁ハンに聞いてみると、”つけとったけど1週間でやめた”ととんでもないことをのたまいよりました。

そうはいっても、保健室の先生を生業とする嫁ハンであるわけですから、彼女の”いいこと”は学校の生徒である思春期の少年、少女に関連することが多いと思います。
かつて、所謂不登校ではないものの、学校に来ても教室に行かず、1日中保健室にいた子が、自らの意思で教室へ行った時に、蝶の羽化に準えて自分のことのように嬉しがり、”超弩級いいこと”に指定した嫁ハンは一流の”いいことハンター”なんやと思います。

旦那贔屓的に大げさなもの言いなのでしょうが、うちの嫁の存在によって、(かつて僕にもあった)思春期の不安定な人らが荒まずに和むのであれば、それは僕にとって大変に誇らしいことであって、まさしく”いいこと”であるわけなのです。

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