この間、松阪市の
深緑茶房というところにお茶を飲みに行きました(ガラ悪目にいうと、茶ぁしばきに行ったわけです)。
僕はこれまで、それこそ”お茶なんて何でも一緒やん”に近い考え方をしていました(とはいえペットボトルに入って売っているお茶をすすんで買うようなことはあまりないですが…)。そんな僕だったのですが、ここの茶寿というやたらめったら手間暇がかかり、深緑茶房の気持ちがこもっているお茶を飲んでひっくり返りそうになってしまいました。
なんか今まで知らんかった味がしよるんですわ、思うに本当のお茶のおいしさこそがその味なのでしょう(海原雄山はきっとこういうお茶を毎日飲んではるんやろいうなぁ、と思いました)。
っということは僕はこれまで生きてきて何千、何万杯もお茶を飲んできて本当のお茶を知らなかったということになってしまいます。
モノを知らないということは恥ずかしいですし、大損こいていると感じました。