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渋沢栄一 旧渋沢庭園 東京・飛鳥山公園

2010年09月05日 17時45分28秒 | 偉人①渋沢栄一
渋沢栄一 旧渋沢庭園 東京・飛鳥山公園

東京都立飛鳥山公園を猛暑の盛りに訪れた.JR京浜東北線の王子駅沿いのこの公園に桜の時に来ることはあっても、真夏に来ることはまずなかった。

現役時代は通勤の通過駅だった。八代将軍吉宗が桜を植えさせ、庶民用の花見公園にしたこの公園(隅田川沿いの墨堤は武士用だった)には、上野の花見の後に近くの立ち飲み屋で「ちょっと一杯」とよく立ち寄った。

今度わざわざ来たのは、栄一のことを調べていて、彼の別荘「曖依村荘(あいいそんそう)」がこの公園内にあったと知ったからである。

難しい名前だ。漢学に強い栄一らしく、中国の詩人陶淵明の詩の一節「曖々遠人村、依々墟里煙」によるものという。漢語林を見ると、「遠く人が住む村は霞み、寂れた村落の煙がぼんやり見える」という意味のようだ。

案内板によると、1879(明治2)年から、この地で亡くなる1931(昭和6)年まで、初めは接待用別荘、後には本邸として使われた。

王子には、「名主の滝」などがあり、王子稲荷神社には関東一円の狐が集まり参詣したと伝えられる。落語「王子の狐」で名高いこの地は、当時は閑静で別荘向きだったのだろう。

公園の上中里駅寄りの角の敷地は約2万8000平方mの広大さで、日本館、西洋館をつないだ母屋など総建坪約1千900平方mのほか、茶室などがあった。

空襲で焼失、今では建物としては大正期の「晩香盧(ばんこうろ)」と「青淵文庫(せいえいぶんこ)」(いずれも国指定重要文化財)が残されている。

民間外交に力を入れた栄一が、インドの詩人タゴールや米国の第18代大統領グラント、中国の蒋介石などをもてなした場所である。

その庭園が無料で一般開放されている「旧渋沢庭園」である。鬱蒼と古木が茂っていて、夏の猛暑も遮り、快い風も行き交う。エアコン入らずの名所だ。

朝9時開門。私と違って、こんなことは熟知の近くの老人たちが、この涼しさとベンチや座り場を求めて、飲み物や本を手にやってくる。蚊取り線香を焚きながらで、本を読んで寝そべっている人もいて、「さすが」と恐れいった。

この地で、死ぬまで東京の養育園の面倒を見た栄一の「忠恕(ちゅうじょ)=まごころと思いやり=」の精神が、今なお生きているのをまざまざと見た。

庭園より一時間遅く開く「渋沢史料館」も素晴らしい。一階でビデオを見た後、二階に上がると、本で読んできたものの実物を見ることができる。

フランスを訪れた時のシルクハットをかぶった栄一の写真と、初めて作った株式会社「第一国立銀行」の錦絵が出迎えてくれる。

パンフレットによると、栄一は小柄で、私もこれよりちょっと大きいぐらいなので、親近感が増して来る。栄一の達筆ぶりに、いつも感心する。

関連の本も売っていて、私は、末子の渋沢秀雄著「渋沢栄一」(財団法人渋沢栄一記念財団)を買った。入門書としては一番読みやすく、面白い。これも米国仕込みの、倫理のかけらもない経済学者や財界人にも読んでほしいものだ。



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