軒端の梅 明月記 式子内親王病状
明月記 正治元年五月 一日 天晴る。大炊殿女房告げ送りて云ふ、雑熱の事候ふ間、医師等を召すと云々。 十二日 天晴る。巳の時許りに大炊殿に參ず。御肩に雑熱。一日より大黄を止め、膏薬...
式子内親王集 山家の道
正治二年後鳥羽院初度百首 287 我が宿は つまきこり行く 山賤の ...
軒端の梅 明月記 後鳥羽天皇譲位
明月記 建久九年正月 七日 天晴る。青侍等説に云ふ。譲位あるべしと云々。辰の時許りに或人告げて云ふ。此條実説なり。來たる九日、大炊殿に行幸。十三日、傳國あるべしと云々。兼定を以て...
軒端の梅 明月記 正治二年十一月 七条大火
明月記 正治二年 十一月 三十日天晴る。風病甚だ不快。午の時許りに、京を出で、日吉に參詣。蓮華王院の邊りに於て、西の方に火を見る。風甚だ猛なり。烟、巽に赴く。須く歸宅すべしと...
軒端の梅 明月記 常光院の喧嘩
明月記 正治元年七月 十八日天晴る。辰の時許り、大臣殿に參ず。巳の一点に御出。院に參ぜしめ給ふ。地下進退谷まると雖も、應ひて參入す。昇らしめ給ふの後、下侍《殿上の下》の縁の邊りに昇...
軒端の梅 明月記 式子内親王咒詛事件
明月記 建仁二年八月 廿二日天晴る。…略… 一品宮御目の病、此の間忽ちに御平滅。広隆寺より直ちに院の御所におはしますべしと云々。此等の事、皆...
軒端の梅 明月記 妖言事件洛外退去
明月記 建久七年六月 十九日 天晴る。巳の時、大炊殿に參じ、御共して參内す。小時にして九條の御堂に渡りおはします。例講始むるの程に退出す。今夜齋院、密々七條坊門大納言の局舊宅に渡...
軒端の梅 玉葉 式子内親王記事
玉葉 巻六十六 建久八年三月 十六日《庚寅》閑院、遷御大炊御門齋院御所云々。或云爲蹴鞠云...
軒端の梅 玉葉 建久三年二月 後白河院所領処分
玉葉 建久三年二月 十七日辛庚申晴。晩に及び院に參る。昨夜殊夜の外辛苦し給ふと云々。その後落居すと雖も猶快からずと云々。右大臣《兼雅》に謁す。密に御処分の事を語る。北面の下臈等競...
軒端の梅 玉葉 建久三年五月一日 大炊御門殿明け渡し要求
玉葉 建久三年五月 一日壬申雨降る。…略… 前齋院(式子内親王)この亭に渡らるべし《法皇の処分によるなり》と云々。仍つて兼親を以て使となし、...