新古今和歌集の部屋

平家物語の新古今和歌集 鳴くは昔の人や恋しき

灌頂卷

かくて女院は、文治元年五月一日、御ぐしおろさせ給ひけり。
御戒の師には、長樂寺の阿證房の上人印西とぞきこえし。御布施には先帝の御直衣なり。今はの時まで召されたりければ、その御うつり香も未だうせず。御形見に御覽ぜんとて、西国よりはる/”\と都までもたせ給ひたりければ、いかならん世までも御身をはなたじとこそおぼしめされけれども、御布施になりぬべき物のなきうへ、かつうは彼御菩提のためとて、泣く/\とりいださせ給ひけり。上人これを給はッて、何と奏するむねもなくて、墨染の袖をしぼりつつ、泣く/\罷出でられけり。此御衣をば幡にぬうて、長樂寺の仏前にかけらえけるとぞ聞こえし。

女院は、十五にて女御の宣旨をくだされ、十六にて后妃の位に備り、君王の傍に候はせ給ひて、朝には朝政をすすめ、よるは夜を専らにし給へり。廿二にて皇子御誕生、皇太子にたち、位につかせ給ひしかば、院号蒙らせ給ひて、建礼門院とぞ申しける。入道相國の御娘なるうへ、天下の國母にてましましければ、世の重うし奉る事なのめならず。今年は廿九にぞならせ給ふ。桃李の御粧猶こまやかに、芙蓉の御かたちいまだ衰へさせ給はねども、遂に御樣をかへさせ給ふ。

浮世を厭ひ、まことの道にいらせ給へども、御歎はさらにつきず。人々いまはかくとて海に沈みし有樣、先帝、二位殿の御面影、いかならん世までも、忘れがたくおぼしめすに、露の御命、なにしに今までながらへて、かゝるうき目を見るらんと、おぼしめしつゞけて、御涙せきあへさせ給はず。五月の短夜なれども、あかしかねさせ給ひつゝ、おのづからうちまどろませ給はねば、昔のことは夢だにも御覽せず、壁にそむける殘の燈のかげかすかに、夜もすがら窓うつくらき雨の音ぞさびしかりける。上陽人が上陽宮に閉ぢられけん悲しみも、是には過ぎじとぞ見えし。

昔をしのぶつまとなれとてや、もとの主のうつし植ゑたりけん花橘の、簷近く風なつかしうかをりけるに、山郭公二聲三聲おとづれければ、女院ふるき事なれどもおぼしめし出でて、御硯の蓋にかうぞあそばされける。

ほととぎす花たちばなの香をとめてなくはむかしのひとや戀しき(巻第三夏歌 よみ人知らず)

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