百人一首拾穂抄 下之二
先師貞徳翁の百人一首の説は、玄旨法印の御かうせち
をまのあたり承りて、門弟子のわきて執学のものに
ひそかにつたえられ侍し。されば作者のよみくせ、哥のてに
をは秘訣のおもむきなど、すべて彼法印の口授のむねにて
其傳来の故ふかし。しかるに世に尩弱の学者、偽の注解を
なして、是かの老人の説にして予が抄せしなどいひふるゝ
事ありとかや。名哥の本意をたがへて見む人をまど
はし、先師の故実をおほひて後の代〃にも疑ひをのこす。
かくのごとくの、ちゞのとがをわが身ひとつにおふべきに
似たり。ことはり正さずはあるべからず。よりて玄旨の御
抄をもととし、師説をまじへ、諸抄の中のとるべきところを取
用ひて、愚息湖春に清書せしめ、百人一首拾穂抄と名
付侍し。其五ケノ秘訣は一家の深秘授受の血脈
なれば、みだりにせん事おそれあれば、是にはもらし
侍けらし。 天和元年霜月冬至日 北村季吟書
著者 北村季吟
宗祇注・幽斎抄・貞徳説、及び先注を集大成し、北村季吟の自説を加えたもので、二条家歌学の骨髄を探る上で欠かせない注釈書。
抜 天和元年(1681年)