新古今和歌集の部屋

雑歌中 無主宿 恵慶集下巻

下巻 8頁オー10頁オ 民部卿女筆

くれの春かはらの院にてはるか

に(山の)さくらみる。かねてはあれたる

やどのむかしのあるじこふる

心ばへの哥よみ人は

もとすけかねもりよしのぶ

のぶまさ?
とかねすけ也。

けふはゝつかひとひになりにけり。

のこりの春もいくばくならず。そらの

◯◯◯(かすみ)もたち返ぬべし。あを

やぎのいとまのひまにしらまゆみ

はるのやま(べ)にゆきちりぬべき花

            の色

をもおしみ返ぬべきとりのこゑ

をもしのばむとかたらひてたまぼ

この道のまに/\あしびきの山の

ほとりをたづねゆくほどにあかね

さすひのくれぬれてあさぢがはら

あれたるやどにとゞまりてつれ/"\と

そのありさまをみればきしの

まつかたぶきてふるき風つた

ふるもあれ也。にはのこけふりて

むかしのあとみえぬもかなし

ひむがしをみれば山ざくらかすみ

          のまより

にほひたり。みなみをのぞめば

つまぎひろふ山がつのゆきかふも

いそがし。かゝるにつけてもゝのゝあは

れいとゞしきくれになむありける。

けふの人々かきのもとのまうち君

にもおとらず花のまへのまらうどゝ◯る

にたえたるかぎりなり。これが中に

まつのもとにこけのころもにやつ

れたるひとりの山ぶしあり。花の山の

ちりにもつかずうぢやまの風も

あふがぬ身なれどもしらくもの

かゝるにはにめしあふぐなれば

そらをあゆむ心ちしてものおも

ほえずなむありける。

 はるかに山のさくらをみる

とほめにはなをぞわかれぬ山ざくら

いざやどかりてゆきておしまむ

 ぬしなきあれたるやど

うへをきしまつもいはほもかはらぬに

むかしの人はいづちなるらん

 住持の法師 さくら

あれにけるやどにはゝるもしられねば

山のさくらをよそにこそみれ

 するがのさきのかみ かねもり

道とをみゆきてはみねば山ざくら

こゝろをやりてけふは返ぬ

 ぬしなきやど

いしまよりいづるいづみぞむせぶな

むかしをしのぶこゑにやあるらむ る

 さくら    もとすけ

春かすみたちなかくしそうすくこく

にしきとみゆる山のさくらを

 ぬしなきやど

いにしへを思やりつゝこひわたる

あれたるやどのこけのいはゞし

 

 

暮の春、河原の院にて、遥かに山の桜見る。かねては、
荒れたる宿の昔の主人恋ふる心映への歌。よみ人は、
元輔、兼盛、能宣、信政と兼輔也。

今日は二十日一日になりにけり。残りの春も幾ばくならず。空の霞も立ち

返りぬべし。青柳のいとまの暇に、白真弓春の山辺に行き、散りぬべき花

の色をも惜しみ、返りぬべき鳥の声をも偲ばむと語らひて、玉ぼこの道の

まにまに、足引の山のほとりを訪ね行く程に、茜差す日の暮れぬれて、浅

茅が原荒れたる宿にとどまりて、つれづれと、その有樣を見れば、岸の松

傾きて、古き風つたふるもあれ也。庭の苔ふりて、昔の跡見えぬも悲し。

東を見れば、山桜、霞の間より匂ひたり。南を望めば、妻木拾ふ山賤の行

き交ふも忙し。かかるにつけても、物の哀れいとどしき暮になむありける。

今日の人々、柿本のまうち君にも劣らず、花のまへの客人(まらうど)と

するに、たえたる限りなり。これが中に、松の元に苔の衣にやつれたる一

人の山伏あり。花の山の散りにもつかず、宇治山の風も仰がぬ身なれども、

白雲の懸かる庭に、召し仰ぐなれば、空を歩む心地して、物おもほえずな

むありける。

 遥かに山の桜を見る
遠目にはなをぞわかれぬ山桜いざ宿借りて行きて惜まむ

 主なき荒れたる宿
植へ置きし松も磐もかはらぬに昔の人はいづちなるらん

 住持の法師 桜
荒れにける宿には春も知られねば山の桜をよそにこそ見れ

 駿河の前の守 兼盛
道遠み行きては見ねば山桜心をやりてけふは返りぬ

 主なき宿
石間より出づる泉ぞむせぶなる昔を偲ぶ声にやあるらむ

 桜      元輔
春霞立ちな隠しそ薄く濃く錦と見ゆる山の桜を

 ぬしなきやど
いにしへを思やりつつこひわたるあれたるやどのこけのいはばし

新古今和歌集巻第十七 雑歌中
 ぬしなき宿を     恵慶法師
古へを思ひやりてぞ恋ひわたる荒れたる宿の苔のいはばし

よみ:いにしえをおもいやりてぞこいわたるあれたるやどのこけのいわばし 隠 有隆

意味:遠い昔にこの河原院を作った源融のことを恋偲んでしまう。主人がいなくなって、荒れた宿の苔が生えてしまった当時からある石橋を見て渡ると。

備考:恵慶集によれば、河原院で清原元輔らと三月二十一日に集まって歌を読んだとある。題は「ぬしなきやど」。渡るは橋の縁語。「いしばし」と表記した伝本もある。定家十体では濃様の例歌。久保田淳、藤平春男らは、この歌の前の表記がある清原元輔の歌としている。

 

※もとすけ 清原元輔  908ー990

※かねもり 平兼盛    ?ー991 977年駿河守

※よしのぶ 大中臣能宣 921ー991

※のぶまさ 藤原陳政? 一条天皇期の貴族

※かねすけ 藤原兼輔? 877ー933兼盛が駿河守だった前に死んでいる。歌には「かねずみ」とあり、同時代の歌人である源兼澄の誤記の可能性が大きい。ウィキペディアによれば、清原元輔、恵慶、安法法師らと交流したとある。

※住持の法師 安法法師?源融の曾孫で河原院に住んだ。

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