新古今和歌集の部屋

絵入横本源氏物語 賢木 右大臣世 蔵書

ましう、みなほか/\へと出給ほとにかな
            藤つほ
しきことかぎりなし。宮は三条

の宮にわたり給。御むかへに兵部卿

みやまいり給へり。雪うちちり風は

げしうて、院のうちやう/\人めかれ
               源
ゆきてしめやかなるに、大将殿"こな

たに参り給て、ふるき御物語聞え

給。おまへの五えうの雪にしをれて、
                兵部
した枝かれたるを見給て、みこ
 兵卿
  かげひろみたのみし松やかれにけん

した葉ちり行としの暮かな。な

にばかりのことにもあらぬに、おりか
           源
ら物あはれにて、大"将の御袖いたう

ぬれぬひまなうこほれるに
 源        /
  さえわたる池のかゞみのさやけ

きにみなれしかげをみぬそ悲しき。

とおぼすまゝに、あまりわか/\しうぞ

あるや玉命婦"
 命婦"
  としくれていはゐの水もこほり
                    地
とぢ見し人かげのあせも行かな。その

つゐでにいとおほかれど、さのみかきつゞ

くべきことかは。わたらせ給ぎしきかは

らねど、思ひなしに哀にて、ふるき宮

は、かへりてたびの心ちし給にも、御さと

ずみたえたるとし月のほど、おぼし
          源廿三才
めぐらさるべし。年かへりぬれど、世

中いまめかしきことなくしづかなり。
 源
大"将殿"はものうくてこもりゐ給へり。

ぢもくのころなど、院の御時をば

さらにもいはず、とし比"おとるけ

ぢめなくて、みかどのわたり、所なく、

たちこみたりし馬車うすらぎ

  三ケク◯也
て、とのゐものゝふくろおさ/\見えず。

したしきけいしばかり、ことにいそ

くことなげにてあるを見給ふにも、
 藤つほ心
今よりはかくこそはと思ひやられて、
           朧つく
物すさまじくなん。みくしげどのは、

二月にないしのかみに成給ぬ。院の
         院ノ思ひ人誰共なし
御思に、やがてあまになり給へるかはり

なりけり。やむごとなくもてなして、

人がらもいとよくおはすれば、あまた

まいりあつまり給中にも、すぐれ
        ◯
て時めき給。后はさとがちにおはし、

まいて参り給時の御つぼねには、
                    朧月 
梅つぼをしたれば、こきでんにはかん
        とうくはでん
の君すみ給。登花殿のむもれたり

つるにはれ/"\しうなりて、女房"など

も数しらずつどひ参りて、いま

 


ましう、皆他々へと出で給ふ程に、悲しき事限りなし。

宮は、三条の宮にわたり給ふ。御迎へに、兵部卿宮参り給へり。

雪うち散り、風激しうて、院の内やうやう人目枯れゆきて、しめ

やかなるに、大将殿こなたに参り給て、古き御物語聞こえ給ふ。

御前の五葉の雪にしをれて、下枝枯れたるを見給ひて、親王、

  蔭広み頼みし松や枯れにけん下葉散り行く年の暮かな

何ばかりの事にもあらぬに、折りから物哀れにて、大将の御袖い

たう濡れぬ。隙なう凍れるに、

  冴え渡る池の鏡のさやけきに見馴れし影を見ぬぞ悲しき

とおぼすままに、あまり若々しうぞあるや。玉命婦、

  年暮れて岩井の水も凍りとぢ見し人影のあせも行かな

そのつゐでに、いと多かれど、さのみ書き続くべき事かは。渡ら

せ給ふ儀式、変はらねど、思ひなしに哀れにて、古き宮は、帰り

て旅の心地し給にも、御里住み絶えたる年月の程、おぼし巡らさ

るべし。

年返へりぬれど、世の中、今めかしき事なく静かなり。大将殿は、

物憂くて篭りゐ給へり。除目の比など、院の御時をば、更にも言

はず、年比劣るけぢめなくて、帝のわたり、所なく、立ちこみた

りし馬車うすらぎて、宿直者の袋、おさおさ見えず。親しき家司

(けいし)ばかり、ことに急ぐ事なげにてあるを見給ふにも、今

よりは、かくこそはと思ひやられて、物すさまじくなん。

御匣(くしげ)殿は、二月に尚侍(ないしのかみ)に成り給ぬ。

院の御思に、やがて尼に成り給へる代はりなりけり。やむごとな

もてなして、人柄もいとよくおはすれば、あまた参り集まり給

ふ中にも、優れて時めき給ふ。后は、里がちにおはし、まいて参

り給ふ時の御局には、梅壺をしたれば、弘徽殿には尚侍(かん)

の君、住み給ふ。登花殿(とうくはでん)の埋れたりつるに、晴々

しう成りて、女房なども数知らず集ひ参りて、今

 

 

本歌

※/池の鏡の 大和物語七十二段 平兼盛 池はなほ昔ながらの鏡にて影見し君が亡きぞ悲しき

 

京都堀川通 風俗博物館

コメント一覧

jikan314
ことねこ様
コメント頂き、とても嬉しいです。
本当は、現代語訳も書ければ良いのですが、時間的に無理と言う事で、ご容赦願います。
源氏は、登場人物が多く、役職も変わり、主語を省くと言う特徴が有り、江戸時代もそこは、注記していますね。
原文だけではつまらないかと、撮り貯めた写真を入れてあります。
又御来室頂ければ幸いです。
拙句
あせも行く記憶の中のけふの月
(王命婦の年暮れての本歌取り。浅せとアセ(-_-;)の掛詞。私の歳も暮れて)
ことねこ
拝見していて、読んでも全くわからない古文も多々ある中、源氏物語がなんとなく書いてあることがわかるのはなぜなのでしょうか。
現代に近い時代でもないのに…。 
不思議です。
美しい言葉ですね。
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