龍山公
むら/\ たゝ
の ぬ
にしき まは
はゝそ とぞみる
の さほや
もみぢ まの
きり
和漢朗詠集
紅葉
むらむらのにしきとぞ見る佐保山のははそのもみぢ霧たたぬ間は
藤原清正
龍山公
近衛前久
近衞前久は、戦国時代から江戸時代初期にかけての公家。近衞家当主であり、動乱期に関白左大臣・太政大臣を務めた。初名は晴嗣。
天文5年(1536年)-慶長17年5月8日(1612年)
改名晴嗣、前嗣、前久
別名一字名:竜・山・杉・春
道号:竜山
前久は藤原氏嫡流の五摂家らしく、和歌・連歌に優れた才能を発揮した。書道は、青蓮院流を学び、有職故実にも詳しかった。更に馬術や鷹狩りなどにも抜群の力量を示して「龍山公鷹百首」という鷹狩りの専門的な解説書を兼ねた歌集も執筆し、秀吉と家康に写本を与えている。京都を離れ、地方を流浪遍歴することを余儀なくされたが、前久にとっては、単に経済的困窮や戦乱を逃れるためのものではなく、むしろ政治への積極参加のための手段の一つであった。同時に地方に中央の文化を伝播する上で重要な役割を果たしたと評価されている。
日本書蹟大鑑 第十三巻 近衛前久19短冊
能
の
乃
平成30年9月20日 参