文治二年ノ春建礼門女院世をすてゝこもりゐ
させたまへるもとにいかさまにしていまそかるら
むとて夜おこめてしのひ乃御幸ありけり。そ乃
をハします所にいと(あやし)けなるあま乃とし
おひたるありけるに女院ハいつくにおハしますそ
とゝはせたまひけれはこのうゑ乃山にはなつミに
いらせたまひぬといらゑけり。いとあハれにきこし
めしていかてか世をすつといひなからミつから
ハときこゑさせたまへはあま乃申すやう家を
いてきさせ給者かりにてはいかてかさる御をこなひも
侍らさらむ切利天ノ億千歳乃たのしみ大梵天
ノ深禅定ノ樂にもかやうの御をこなひ乃ちから
にてありせたま者んするには侍らすやうき世を
文治二年の春、建礼門女院世を捨てゝ隠り居させ給へる元に、如何樣にしていまそかるらむとて、夜おこめて忍びの御幸ありけり。
その御座します所にいと賤しげなる尼の歳老ひたる有りけるに、
「女院はいづくにおはしますぞ」と問はせ給ひければ、
「この上の山に花摘みにいらせ給ひぬ」といらゑけり。
いと哀れに聞こし召して
「如何でか世を捨つと云ひながら、自らは」
と聞こゑさ給へば、尼の申すやう
「家を出で来させ給ばかりにては、如何でかさる御行ひも侍らざらむ。
忉利天ノ億千歳の樂み、大梵天の深禅定の樂みにもかやうの御行ひの力にて、ありせ給はんずるには侍らすや。
うき世を