「榊をいささか折て、持給へるを差し入れて」
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かはらぬ色をしるべにてこそ。いがき
をもこえ侍にけれ。さも心うくと
きこえ給へば
御息所 /
神がきはしるしのすぎもなき
ものをいかにまがへておれるさか木ぞ。
と聞え給へば
源 /
をとめこがあたりと思へはさかき
ばのかをなつかしみとめてこそおれ
おほかたのけはひわづらはしけれど、
源
みすばかりはひきゝて、なげしにを
源心
しかゝりてゐ給へり。心にまかせて
見たりつべく、人もしたひざまに
おぼしたりつるとし月は、のとか成
つる御心をごりに、さしもおぼされ
ざりき。
また心のうちにはいかにぞや。きず
ありて思聞え給にしのち、はた哀
もさめつゝ、かく御なかもへだりぬるを、
めづらしき御たいめんのむかしおほ
えたるに、あはれとおぼしみたるゝこ
とかぎりなし。きしかた行さきお
ほしつゞけられて、心よはくなき給ぬ。
御息所
女はさしも見えじとおぼしつゝむめ
源氏
れど、え忍ひ給はぬ御気色を、いよ
源氏
/\心ぐるしうなをおぼしとまるべき
さまをぞ聞え給める。月も入ぬる
にや。あはれなる空をながめつゝ、うら
地
み聞え給に、こゝら思ひあつめ給へる
御息所
つらさもきえぬべし。やう/\今はと
思ひはなれ給へるに、さればよと中
地
/\心うこきて、おぼしみだる。殿上"の
わかきんだちなどうちつれて、とかく
立わづらふなる、庭のたゝずまゐも、
げにえんなるかたにうけばりたる
有さまなり。おもほしのこすこと
なき御なからひに、聞えかはし給こと
ども、まねびやらんかたなしやう/\
あけ行空の気色、ことさらにつ
くりいてたらんやうなり。
源
暁のわかれはいつもつゆけきを
源
こはよにしらぬ秋の空かな。いて
がてに御てをとらへてやすらひ給へ
地
る。いみじうなつかし。風いとひやゝかに
ふきて、松虫のなきからしたるこゑ
も、おりしりがほなるをさして思ふ
ことなきだに、きゝすぐしがたけなる
に、ましてわりなき、御心まどひ共"に、
変はらぬ色をしるべにてこそ。斎垣をも越え侍りにけれ。さも心
憂くと聞こえ給へば
神垣はしるしの杉もなきものをいかにまがへて折れる榊ぞ
と聞え給へば
少女子があたりと思へば榊葉の香を懐かしみとめてこそ折れ
おほかたの気配、煩はしけれど、御簾ばかりは引き着て、なげし
に押し掛りてゐ給へり。
心にまかせて見たりつべく、人も慕ひざまにおぼしたりつる年月
は、のどか成りつる御心をごりに、さしもおぼされざりき。
また、心のうちには、いかにぞや。疵ありて思ひ聞こえ給にし後、
はた哀れも冷めつつ、かく御仲も隔たりぬるを、めづらしき御対
面の昔覚えたるに、哀れとおぼし乱だるる事限りなし。来し方行
く先おぼし続けられて、心弱く泣き給ひぬ。女は、さしも見えじ
とおぼし包むめれど、え忍び給はぬ御気色を、いよいよ心苦しう、
なを、おぼしとまるべき樣をぞ聞こえ給ふめる。月も入ぬるにや。
あはれなる空を眺めつつ、恨み聞こえ給ふに、ここら思ひ集め給
へるつらさも消えぬべし。やうやう今はと思ひ離れ給へるに、さ
ればよと、中々心動きて、おぼし乱る。殿上の若公達など打ち連
れて、とかく立ち患ふなる、庭のたたずまゐも、げに艶なる方に
うけばりたる有樣なり。おもほし残す事なき御なからひに、聞こ
えかはし給ふ事ども、まねびやらん方なし。
やうやう明け行く空の気色、殊更に作り出でたらんやうなり。
暁の別れはいつも露けきをこは世に知らぬ秋の空かな
出でがてに、御手をとらへて安らひ給へる。いみじうなつかし。
風、いと冷ややかに吹きて、松虫の鳴きからしたる声も、折り知
り顔なるを、さして思ふことなきだに、聞き過ぐしがたけなるに、
ましてわりなき、御心惑ひ共に、
引歌、本歌
※/かはらぬ色を 後撰集 冬歌
ちはやぶる神がき山のさか木葉は時雨に色も変はらざりけり
※/斎垣も越え侍りに 拾遺集 恋歌四 柿本人麻呂
ちはやぶる神のいがきも越えぬべし今はわか身の惜しげくもなし
※/しるしの杉 古今集 雑歌下
我が庵はみわの山もと恋しくはとぶらひきませ杉たてるかど
※/榊葉の 拾遺集 神楽歌
さか木葉の香をかぐはしみとめくれはや八十氏人ぞまとゐせりける
嵯峨野野宮神社