和歌こそなほをかしきものなれ。あやしのしづ山がつのしわざも、言ひ出でつればおもしろく、おそろしき猪のししも「ふす猪の床」と言へば、やさしくなりぬ。
この比の歌は、一ふしをかしく言ひかなへたりと見ゆるはあれど、古き歌どものやうに、いかにぞや。ことばの外に、あはれに、けしき覚ゆるはなし。
貫之が、「糸による物ならなくに」といへるは、古今集の中の歌屑とかや言ひ伝へたれど、今の世の人の詠みぬべきことがらとは見えず。その世の歌には、姿ことば、このたぐひのみ多し。この歌に限りてかく言 ひたてられたるも、知り難し。源氏物語には、「物とはなしに」とぞ書ける。
新古今には「残る松さへ峰にさびしき」といへる歌をぞいふなるは、まことに、少しくだけたる姿にもや見ゆらん。されど、この歌も、衆議判の時、よろしきよし沙汰ありて、後にもことさらに感じ仰せ下されけるよし、家長が日記には書けり。
歌の道のみいにしへに変らぬなどいふ事もあれど、いさや。今も詠みあへる同じ詞歌枕も、昔の人の詠めるは、さらに、同じものにあらず、やすく、すなほにして、姿もきよげに、あはれも深く見ゆ。
梁塵秘抄の郢曲の言葉こそ、また、あはれなる事は多かンめれ。昔の人は、たゞいかに言ひ捨てたることぐさも、みないみじく聞ゆるにや。
※ふす猪の床
後拾遺集 巻十四 恋四 和泉式部 かるもかき臥す猪の床のいを安みさこそ寝ざらめかからずもがな
八雲御抄 巻第六 用意部
寂蓮法師がいひけるは、「歌の様にいみじきものなし。ゐのしゝなどといふ恐ろしき物も、『ふすゐのとこ』などいひつればやさしきなり。」といふ。
毎月抄
まづ哥は和國の風にて侍るうへは、先哲のくれ/"\かきをける物にも、やさしく物あはれによむべき事とぞ見え侍るめる。げにいかにおそろしき物なれど、哥によみつれば、優にきゝなさるゝたぐひぞ侍る。それにもとよりやさしき花よ月よなどやう物を、おそろしげによめらんは、なにの詮か侍らん。
※糸による
古今集 第九巻 羇旅歌 東へまかりける時、道にてよめる 紀貫之
糸によるものならなくに別れぢの心細くも思ほゆるかな
※物とはなしに
源氏物語 総角
みづからも参うでたまひて、今はと脱ぎ捨てたまふほどの御訪らひ、浅からず聞こえたまふ。 阿闍梨もここに参れり。名香の糸ひき乱りて、「 かくても経ぬる」など、うち語らひたまふほどなりけり。結び上げたるたたりの、簾のつまより、几帳のほころびに透きて見えければ、そのことと心得て、「 わが涙をば玉にぬかなむ」とうち誦じたまへる、伊勢の御もかくこそありけめと、をかしく聞こゆるも、内の人は、聞き知り顔にさしいらへたまはむもつつましくて、「 ものとはなしに」とか、「貫之がこの世ながらの別れをだに、心細き筋にひきかけけむも」など、げに古言ぞ、人の心をのぶるたよりなりけるを思ひ出でたまふ。
※残る松さへ
新古今集 第六 冬歌 春日社歌合に落葉といふことをよみ奉りし 祝部成茂
冬の來て山もあらはに木の葉降りのこる松さへ峯にさびしき
元久元年十一月十日 和歌所
※歌の道のみいにしへに変らぬ
寂蓮法師人々勸めて百首歌よませ侍りけるに否び侍りて熊野に詣でける道にて夢に何事も衰へ行けど此の道こそ世の末に變らぬ物はあれ猶この歌よむべきよし別當湛快三位入道俊成に申すと見侍りて驚きながらこの歌を急ぎ詠み出して遣はしける奧に書きつけて侍りけ
西行法師
末の世もこの情のみ變らずと見し夢なくばよそに聞かまし
※家長が日記
源家長日記 元久元年十一月十日春日社歌合
祝部成茂と申ものはじめて歌めさるれば、「成中がまご政中が子也。重代のうへによみくち」と人々申しあへり。読てたてまつりしうち落葉といふ題の歌、
冬の來て山もあらはに木のはふりのこる松さへみねにさびしき
此御歌合、和歌所にて衆儀はん也しに、この歌をよみあげたるを、たび/"\詠せさせ給、よろしくよめるよしの御氣色なり。