尾張廼家苞 四之下
戀の哥とて 式子内親王
はかなくぞしらぬ命をなげきこし我かねごとのうつゝならねば
上句は人のかね言の末のしられぬことをばおもはずして、
たゞ我命の程のしりがたきことをのみなげきこしははか
なかりけりと也。はかなくは俗にばかなといふ、おもひばかりのなき事也。今一
種あへなきことにもいひて二義也。一首の意は、人の契のかやうに
かはる世の中に、そのかね言をたのみて、命のほどの
しられぬをなげきしは、おもひはかりなりし事と也。 結句は、かくの如くかね言の末とほ
らざりける世なるにといふ意也。四ノ句我とある事いかゞ。たゞいた
づらなるのみならず、わが人にいひしかね言のごとく、聞ゆるをや。
我かね言は、我中のかね言也。さるはわれも人も契りし事なれど、我身にとりては
人のかね言をおもひをる事なれば、こゝは人の契なり。さて我といふもじにかはるまじ
きためしにたのみおもひし勢あり。わが中のかね事にてさへかくかはりたる事よと
いふ語勢也。すべて語勢と文章とをおもはずしては、古歌の正義もえがたく、自
よむもあさまなるのみぞいでくる。さてこの難は文章しらぬ童子輩の難ず
べき事なるを、世にめでたき我先生のいはれん事ともおもはれず。不審萬々なる
事なり。しべtれ文章中といふものは、たゞ打いひたる詞のうへの義にはあらで、おもひて
後に其義をうるやうなるがある事は、和漢古今の常なるを、それしりながら此
説あるはいかなる事ぞ。たとへば孟子に、以燕伐燕何以勧之とある。上の燕は斉の事也。
かく文章のうへにて一句切いでゝは、自他のたがふやうなるも、一段勢にては、一ッの燕
は斉の事なりとしるきがことく、こゝもわがかね言は人のかねごとなる事
あきらかにて、ことばづかひ羣に抜いて、めでたしともかぎりなきをや。
辨
過にけるよはの契もわすられていとふうき身のはてぞはかなき
過にけるは、契の絶てむかしになれるよし也。よろ
し。よゝは世々
にても夜々にてもよし。世々也。今生後生をかけて契りし事。三四ノ句は
今生にてわすれし事にて、いはゆるかけ合也。 わす
られては、今は契のたえぬる事をもおもはずして也。此注はき
こえ難し。
此句は四ノ句へつゞきて、人にわすられてわが身をいとふ也。
わが身をいとふとは、今は命もたえよかしとおもふなり。 結句はてとは、今を
いふ也。契のかはりしことをうらみ/\て、はてには其事をもおも
はず、たゞひたすらうき身をいとふやうになりたる也。然ば
四ノ句うき身をいとふとあるべきに、いとふうき身のといへるは、
我身をいとふやうになりたるうき身のはてといふ心にかね
たる也。うき身をいとふと云べき詞つゞきニあらず。いかゞ、過にしほどの今生後生を
かけたる契も今人に忘られて、此世から命しなばやといふやうになりたる
うき身の果の
はかなき事と也。
崇徳院に百首歌奉りし時
俊成卿
おもひわび見し面影はさておきて戀せざりけむ折ぞ戀しき
初句わびといえること一首の趣にわたりて殊に力あり。此注
よろし。
二三の句の注なし。むつかしき所なれば説るべき也。みし面影とは忘れし人の俤也。
みし人の俤の戀しきはしばらくさし置て也。戀しさといふもじは結句より
ひゞき來る也。さておきてといふ詞けざやかに耳
にたちて、玉葉風雅のながれをなし濫觴也。 下句は云々。其人をこひざりし
時といふ意也。一首の意は、思ひ侘ては、みし人の姿のかたちの戀しき殊はしばらく
さし置て、一向に人をこひざりし時がこひしい、其時分は物お
もひがなかり
しにと也。 けむと疑ひたるいかゞ。これは人のうへをいえるにも
あらず。我身の昔の事なれば、けるとこそいふべけれ。此難は
いはれ
たり。けむといふ方しらべ勝れゝど、かやうの
事は、しらべに拘りて事を枉がたし。 又結句のをりもいかゞ。すべて
をりとはたしかにさす時のある時をいふなれば、戀せしをり
とはいふべく、せざりしをりとはいふべからず。こゝはほどゝこそ
いふべけれ。
尾張名古屋本町七丁目
永樂屋東四郎
書肆 江戸日本橋通本白銀丁
同 出店
※孟子に、以燕伐燕何以勧之
孟子 巻之四 公孫丑章句下「今以燕伐燕,何爲勸之哉」(今燕を以て燕を伐つ。何為れぞ之を勸めんや)
※過にけるよはの→過にけるよゝの