あづ
ま
くだりの
段
○東くだりの三段
むかし男有けり。京に有わびて、あづまにいけるに、此段より
三段、みな業平の東くだりといふ所。そも業平の東くだりといふ
事、しつかりとした所見はなけれど、しかし此伊勢物語、古今の哥
の詞書にもあづまに行ける時などゝ、慥に書れたれば、是より外の證
據はあらじ。殊に大江の匡房は、二条の后と縁を切ふ手管がなさ
に一ツときの無分別坊主になり給ひしが、その髪を延さんが為
みちのく八十嶋に下り給ひ、小野の小町の髑髏に、薄一村生出し
が、秋風のふくに付てあなめ/\といふ声を現に聞付給ひし
とうふ事もあれば、所詮なり平の東下り、たしかな事と思ふた
がよかるべし。されば伊勢尾張の海頭を行に、いかさま此あたり
桑名熱田鳴海などゝて、名に聞へたる遠浦、方量、無辺の
海のうへに、白波のいと高く、汀の並木の松風も、塩じみたる旅
の心。殊になり平は、都そだちのお上臈、こゝろにかゝるかた○は
あり、ものわびしいはお道理かな
いとゞしくすぎゆくかたのこひしきに
うら山しくもかへるなみかな
となん讀せ給ひける。もとより友とする人ひとりふたり
此一人二人の友は、浮世をば捨人か。但は和哥の修行の人か此躰
なればはか/"\しく、下人とてもつれ給はじ。勿論又、お乗物のお駕籠のと、そんな沙汰はおもひもよらぬ事おいとしや雲の上人、かう
いた/\しう、御身をば痛しめ給ふ事は、畢竟おぬしのお心より
とはいひながら、笑止といはふか、いたはしいといはふか。和かなお足
を、しづ心ない、わらんぢはくはふし。元より雨具も有まいなれば、降
たらばぬれさせ給はん。恋ゆへのうき御苦労ぞや。扨淺間の嶽
の哥の段。此所をばある理屈くさい三度飛脚が、娘が寺で伊勢
物語を習ふて来て讀を聞て、馬鹿/"\しい。拙者らが月には二三
度づゝも五十三次を、よるとなく晝となく、上下をばするは、伊勢尾
張の方から、淺間の嶽に煙たつを見てとは、佐渡と越後とでつ
もないと笑らひぬ尤さふはさふなれども、此下の段に、道しれる
人もなければ、まどひいきけりとは書れたり。そのうへいせ尾張の
みにもあらず。陸奥までも下り給ひし事なれば、段の跡先に
はなつたにもせよ、淺間の嶽をば見給はでは有まじ。扨こそ
しなのなるあさまのだけにたつけぶり
をちこち人の見やはとがめぬ
此哥は只景気のおもしろきを見給ひ、上の句にさら/\と
よみ下し此景遠近人、扨も面白い名所誠に是はと見
やはとゞめねとの御詠哥。
新古今和歌集巻第十 羇旅歌
東の方に罷りけるに淺間の嶽に立つ煙の立つを見てよめる
在原業平朝臣
信濃なる淺間の嶽に立つけぶりをちこち人の見やはとがめぬ
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