閏七月
廿九日。晦。天晴る。放生会九月に行はるべしと云々。院に参ず。相次で殿に参ずるの間、巷説に云ふ、佐々木中務入道(一日、官軍となり、先登する輩なり)追討さるべきの由を称し、従類を召し聚めて閉門す。甲士雲の如し。京中又騒動す。但し神泉に御幸し了んぬ。全く然るが如き事有るべきからず。急ぎ、安堵すべき由、仰せ遣はさると云々。聞き入りて退出す。
夜に入り、具親少将来臨す。当時、小野宮の地に居住する事、日来院に申すの処、今日殿下御討ち有るべき由を申さる。此の事、殿に申すべき由、示し合す。早く殿下に参じ、申し入れらる。宜しかるべきかの由、示し了んぬ。即ち、参会するために病を扶けて帰参す。兼時朝臣を招き出し、相逢はしむ。相伝の譲り文等を進む。小野宮右府の自筆にて、彼の外孫の女、祐家卿の室に譲るの文有り。殊に御感あり。祐家卿の室、老後師頼卿の室に譲る(当時入道の母)。件の室、子師光に譲ると云々。而も山僧虚誕に依り、妨を致すの間の事なり。ー略ー
※佐々木中務入道 佐々木経高
※一日 元久二年閏七月二十六日 牧氏事件
※小野宮 惟喬親王居宅で大炊御門南烏丸西
※小野宮右府 藤原実資
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