我もしかなきてぞ人に恋られし今こそよそに聲をのみ
きけ
人麿
夏野ゆくを鹿のつのゝつかのまも忘ずおもふいもがこころを
夏草の露分衣きもせぬになどわが袖のかはくときな
き
八代女王
みそぎするならのを川の河かぜに祈ぞわたる下にたえじ
と
清原深養父
恨つゝぬる夜の袖のかはかぬは枕のしたに塩やみつらむ
中納言家持につかはしける
山口女王
新古今和歌集巻第十五 恋歌五
(題しらず)
(よみ人知らず)
われもしかなきてぞ人に戀ひられし今こそよそに聲をのみ聞け
よみ:われもしかなきてぞひとにこいられしいまこそよそにこえをのみきけ 有 隠
意味:私もかつてあの牡鹿のように貴方に求愛されておりましたが、今では隣の部屋の方に妻問う声しか聞こえません
備考:大和物語百五十八段 今昔物語集巻三十 今昔ではナキテゾキミニ イマコソコヘヲヨソニとなっている 。
題しらず
柿本人麿
夏野行くをじかの角のつかのまもわすれず思へ妹がこころを
よみ:なつのゆくおじかのつののつかのまもわすれずおもえいもがこころを 雅 隠
意味:(毎年生え替わるため、)夏野を行く牡鹿の短い角のように、つかの間の短い間も忘れずに思っています。お前の私を思ってくれている心を。
備考:万葉集 第四巻 相聞 502
夏野去 小壮鹿之角乃 束間毛 妹之心乎 忘而念哉
題しらず
柿本人麿
夏草の露わけごろも着もせぬになどわが袖のかわくときなき
よみ:なつくさのつゆわけごろもきもせぬになどわがそでのかわくときなき 定雅 隠
意味:夏草の露に濡れた衣も着ているわけではないのに私の衣の袖は、叶わぬ恋の涙で乾く時がありません。
備考:万葉集 第十巻 夏相聞 露に寄せて 1994 読人不知、古今和歌六帖
夏草乃 露別衣 不著尓 我衣手乃 干時毛名寸
題しらず
八代女王
みそぎするならの小川の川風に祈りぞわたる下に絶えじと
よみ:みそぎするならのおがわのかわかぜにいのりぞわたるしたにたえじと 隠
禊ぎをする楢の小川の川風の中で、祈りしながら渡ってください。貴方との仲が知られないまま、命が絶えないようにと。
備考:古今和歌六帖
題しらず
淸原深養父
うらみつつ寝る夜の袖の乾かぬは枕のしたに潮や滿つらむ
よみ:うらみつつぬるよのそでのかわかぬはまくらのしたにしおやみつらむ 隠
意味:あの人の仕打ちを恨みながら寝る夜の袖が乾かないのは、枕の下に潮が満ちているからだろうか。それほど涙を流しています。
中納言家持に遣はしける
山口女王
(あしべより滿ち來る汐のいやましに思ふか君が忘れかねつる)
よみ:あしべよりみちくるしおのいやましにおもうかきみがわすれかねつる 定雅 隠
意味:葦の生えている海辺より満ちてくる潮のように、貴方を思う心が徐々に増えて、忘れられなくなってきました。
備考:伊勢物語 三十三段 万葉集第四巻 相聞 617
従蘆辺 満来塩乃 弥益荷 念歟君之 忘金鶴
販売者からの情報
永禄二年(1559年)本(奥書から)
筆者不詳。新古今和歌集・古筆切は近衛稙家(文亀二年(1502年)~永禄九年(1566年)従一位関白太政大臣。近衛家16代当主)の筆跡に似ている。
古筆の左上の落款は、旧保有者の仙台藩医・木村寿禎(安永三年(1774年)~天保五年(1834年)陸奥仙台藩医。長崎でオランダ通詞楢林重兵衛に蘭学をまなぶ。寛政十年刑死者を解剖し,非難をあびて藩医を辞任。その際オランダ語のはいった解剖供養碑を建立したという。名は安定)
縦24.7㎝、横16.4㎝
令和5年8月25日 壱