明月記 建永二年 四月 二十三日。天晴る。召しに依り未の時に参上す。名所の内、若の浦を入れざる如何の由、仰せ事有り。人々の定むる所か。仍て清範と示し合せ、摂津の国小屋(昆陽)、長柄橋を止め、紀伊国若の浦、吹上の二所を入れ、之を書き置く。最勝講御聴聞了んぬ。出でおはしますの後に退下す。ー略ー 此の間に又、和歌の沙汰。三代集の歌以下と又書き進むべしと。纏頭し了んぬ。