わが衣手のかはく時なき
とつねのごとぐさにいひけるをきゝおひけるお
とこ
夜ゐごとにかはづのあまたなく田には
水こそまされ雨はふらねど
有常ガ妻遁世シテノ事ナリ
むかしおとこともだちの人をうしなへるが
もと
にやりける
◯◯ 花よりも人こそあだになりにけれ
友則 いづれをさきにこひむとかみし
伊勢物語
第百八段
(むかし、女、人の心を恨みて、
風吹けばとはに浪こす岩なれや)
わが衣手のかわく時なき
と常の言ぐさに言ひけるを、聞き負ひける男、
宵ごとにかはづのあまた鳴く田には
水こそまされ雨は降らねど
第百九段
むかし、男、友だちの人をうしなへるがもとにやりける。
花よりも人こそあだになりにけれ
いづれを先に恋ひむとか見し
新古今和歌集巻第十一 恋歌一
題知らず 紀貫之
風吹けばとはに波こす磯なれやわがころも手の乾く時なき
よみ:かぜふけばとわになみこすいそなれやわがころもでのかわくときなき
※かはづのあまた
かはづは、通常はカジカガエルを指すが、これはアマガエル。蛙の泣く涙で田んぼの水が増している。
古今和歌集巻十六 哀傷歌
さくらをうゑてありけるに、やうやく花咲きぬべき
時に、かのうゑける人身まかりにければ、その花を
見てよめる 紀茂行
花よりも人こそあだになりにけれいづれを先に恋ひむとか見し
※有常ガ妻遁世シテノ事ナリ
段を間違えたか?
※◯◯友則
不明。紀友則では、紀貫之の父である紀茂之と世代が異なる。
極札
油小路殿隆継卿 わが衣手の
油小路隆継
応仁三年(1469年)―天文四年(1535年)
父は西川房任で権大納言油小路隆夏の養子になった。従二位権中納言
古筆了珉 琴山印
正保二年(1645年)-元禄十四年(1701年)57歳。
江戸時代前期の古筆鑑定家。
古筆宗家5代。古筆別家初代一村の孫で、宗家4代了周が早世したため、その跡をつぐ。別家の了仲とともに幕府につかえ、寺社奉行支配の古筆見となった。姓は平沢。名は重政。通称は六蔵。別号に即空庵玉翁。
切 癸酉四 印
鑑定年不明
令和2年5月10日 弐點弐