新古今和歌集の部屋

美濃の家づと 一の巻 春歌上7

百首ノ歌奉りし時

帰るかりいまはのこゝろありあけに月と花との名こそをしけれ

詞めでたし。此月花に、鳫の心をとゞめず、みすてゝ
ゆかむは、鳫にめでられぬならば、あたら月花の名をれ

ぞと、月花のために、名ををしみたるなり。今はといへる
も、心といへるも、下句に正しくあたらず、心有明といへるも、しひ
たるいひかけなり。又三の句のにもじも、たゞよはしくきこゆ。
又月には、有明といへるあへしらひあれども、花のあへしらひの詞のなきも、たらはぬこゝちす。ふるき抄に、月と花と
を見捨てゝゆく悪名をばいかゞせんと、鳫に教訓したる也と
いへるは、いみじきひがごとなり。

守覚法親王ノ家ノ五十首ノ歌に   定家朝臣

霜まよふ空にしをれしかりがねの帰るつばさに春さめぞふる

めでたし。霜につばさしをれて来りし鳫の、今又

春雨にしをれて帰るとなり。しをれしを、春雨の方へも
ひゞかせ、つばさを、上へもひゞかせ、又帰るといへるにて、上は、去年の
秋来たりしことなること、おのづから聞えたり。かやうの
所をよく心得ざれば、昔の歌の趣も見えがたく、みづからの
歌も、よきはよみえがたきわざぞかし。

百首ノ歌奉りし時          摂政

ときはなる山のいはねにむす苔のそめぬみどりに春雨ぞふる

むす苔のと切て、そめぬ緑とつゞけて心得べし。むす苔のそめぬとつゞきては、そまぬといはではかなはず。そめぬは、春雨のそめぬなり。ときはも岩根も、そめぬ意をたすけたり。

建仁元年三月歌合に霞隔遠樹
              権中納言公經

高瀬さすむつだのよどの柳原みどりもふかくかすむ春かな

詞めでたし。淀の水の深きにむかひて、緑もふかく霞む
となり。下句、詞はめでたけれども、こゝろまぎらはしく、聞ゆ。
其故は、深く霞みて、柳の緑の色をへだつる意なるべきに、みど
りも深くといへるは、霞む故に緑の深きと云やうに聞ゆれば
なり。或抄に、柳のみどりもふかく、霞も深きなりといへ
るは、さらに詞にかなはず。其うへ霞の深くは、いかでか緑の深きは見
                              えん。

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