百首ノ歌奉りし時
帰るかりいまはのこゝろありあけに月と花との名こそをしけれ
詞めでたし。此月花に、鳫の心をとゞめず、みすてゝ
ゆかむは、鳫にめでられぬならば、あたら月花の名をれ
ぞと、月花のために、名ををしみたるなり。今はといへる
も、心といへるも、下句に正しくあたらず、心有明といへるも、しひ
たるいひかけなり。又三の句のにもじも、たゞよはしくきこゆ。
又月には、有明といへるあへしらひあれども、花のあへしらひの詞のなきも、たらはぬこゝちす。ふるき抄に、月と花と
を見捨てゝゆく悪名をばいかゞせんと、鳫に教訓したる也と
いへるは、いみじきひがごとなり。
守覚法親王ノ家ノ五十首ノ歌に 定家朝臣
霜まよふ空にしをれしかりがねの帰るつばさに春さめぞふる
めでたし。霜につばさしをれて来りし鳫の、今又
春雨にしをれて帰るとなり。しをれしを、春雨の方へも
ひゞかせ、つばさを、上へもひゞかせ、又帰るといへるにて、上は、去年の
秋来たりしことなること、おのづから聞えたり。かやうの
所をよく心得ざれば、昔の歌の趣も見えがたく、みづからの
歌も、よきはよみえがたきわざぞかし。
百首ノ歌奉りし時 摂政
ときはなる山のいはねにむす苔のそめぬみどりに春雨ぞふる
むす苔のと切て、そめぬ緑とつゞけて心得べし。むす苔のそめぬとつゞきては、そまぬといはではかなはず。そめぬは、春雨のそめぬなり。ときはも岩根も、そめぬ意をたすけたり。
建仁元年三月歌合に霞隔遠樹
権中納言公經
高瀬さすむつだのよどの柳原みどりもふかくかすむ春かな
詞めでたし。淀の水の深きにむかひて、緑もふかく霞む
となり。下句、詞はめでたけれども、こゝろまぎらはしく、聞ゆ。
其故は、深く霞みて、柳の緑の色をへだつる意なるべきに、みど
りも深くといへるは、霞む故に緑の深きと云やうに聞ゆれば
なり。或抄に、柳のみどりもふかく、霞も深きなりといへ
るは、さらに詞にかなはず。其うへ霞の深くは、いかでか緑の深きは見
えん。