新古今和歌集 春歌上
花歌とてよみ侍りける
吉野山去年のしをりの道かへてまだ見ぬかたの花を尋ねむ 異聞御
山家集
落花の歌あまたよみけるに
このもとに旅寝をすれはよしの山花の衾を着する春風
異本山家集
勅撰集には撰歌されておらず、後世の吉野の桜を代表する歌とするには無理が有る。
新古今和歌集 雑歌下 切出歌
題しらず
ねがはくは花のもとにて春死なむその如月の望月のころ 山異御心
ただし、ブラタモリでは、この歌を、西行の死ぬ前年で、吉野での歌と説明したが、御裳濯河歌合に有り、この説明でもいい加減なものとなっている。
又、旧暦の二月十五日に、吉野で桜は咲かない。
伊勢の内宮に奉納した西行の自歌合。成立は奥州から帰った1187年(文治3)ころか。西行が自己の秀歌72首を選び,左方を山家客人,右方を野径亭主として36番の歌合に構成し,藤原俊成に判を依頼したもの。同じく西行の自歌合《宮河歌合》(定家判)と一体のものであるが,後世自歌合の最初と言われている。自選歌を通して西行の和歌評価基準を知ることができ,俊成の率直な判詞とともに貴重な資料である。【竹下 豊】