千五百番歌合に 藤原雅経
白雲のたえまになびく青柳のかつらぎ山に春風ぞふく
めでたし。上句詞めでたし。青柳は、葛城の枕詞なる
を、やがて其山に生立る柳に用ひたり。さて柳は、風のふく
によりてなびくなるを、たしかにさはいで、なびく青柳の
とまづいひて、春風ぞ吹ととぢめたるは、柳のなびくによりて、
春風の吹が見ゆるさまにて、ゆるやかなる物也。或人、柳は
山の上にある物にあらずと難じたれど、かの家隆朝臣の、
末の松山波にはなるゝ横雲などをこそ、さもいはめ。山の上
に柳をよめるばかりのことは、此集の比にとりては、なでふ事かあ
らん。
有家朝臣
青柳の糸に玉ぬくしら露のしらずいくよの春かへぬらん
詞めでたし。へぬらんは、糸の緑也。拾遺元輔√青柳の糸の緑
をくりかへしいくらばかりの春をへぬらむ、と云歌にことなるところ
も見えず。玉も用なく聞ゆ。
宮内卿
うすくこき野べのみどりの若草に跡まで見ゆる雪のむら消
四の句めづらかなり。よくとゝのへる歌也。跡とは、雪の消果たる後
をいへるにて、雪の縁の詞にてもある也。雪は残らず消果ての
後迄、始めの村消の跡の見ゆるよしなり。
西行
よし野山さくらが枝に雪ちりて花おそげなる春にもあるかな
ちりてといへる詞、花のかたへひゞけり。下句、此集のころに
ては、此法師のふりなり。
摂政家百首歌合に野遊 家隆朝臣
思ふどちそこともしらず行くれぬ花の宿かせ野べのうぐひす
下句めでたし。本歌√春の山べにうちむれて云々、√くれ
なばなげの花の陰かは。六百番歌合判に、素性が哥を
とり過たるやうにいへれど、さはあらず。