源氏物語夕霧 筆者不明断簡コレクション
るべきかぎりとゝのひて、なにごともあらまほしく、
たらひてぞものし給ける。この御中どものいどみこそ、
あやしかりしか。されどうるさくてなん。七月にぞ
藤つほ中宮に立給事也
きさきゐ給ふめりし。けんじの君さいしやうにな
り給ぬ。みかどおりゐさせ給はんの、御心づかひちか
うなりて、此わかみやをばうにと思ひきこえさせ給
に、御うしろみし給べきひとおはせず。御はゝかた、みな
みこたちにて、げんじのおほやけごとしり給ずぢ
藤つほ
ならねば、はゝ宮をだに、うこきなきさまにしをき
奉りて、つよりにとおぼすになんありける。こうきて
んいとゞ御心うごき給ことはりなり。されどとうぐう
の御世いとちかくなりぬれば、うたがひなき御くらゐな
地
り。おもほしのどめよとぞきこえさせ給ひける。げ
にとうぐうの御はゝにて、はたとせあまりになり給へる
ねうごををき奉りては、ひきこし奉り給ひが
たきことなりかしと、れいのやすからず、世人もきこ
藤つぼ中宮ノ行啓也 源
えけり。まいり給夜の御ともに、さいしやうの君もつ
かうまつり給ふ。おなじきさきときこゆる中にも、
きさいばらのみこ、玉のひかりかゝやきて、たぐひ
なき御おぼえにさへものし給へば人もいとこと
源心
に思ひかしづききこえたり。ましてわりなき御
心には、御こしのうちも思ひやられて、いとゞをよび
なき心ちし給に、そゞろはしきまでなん
源
つきもせぬ心のやみにくるゝかなくもゐに人
をみるにつけても。とのみひとりごたれつゝ、もの
冷泉
いとあはれなり。みこはおよすけ給ふ月日にし
たがひて、いとみたてまつりわきがたげなるを、
藤つほ
宮いとくるしとおぼぜと、思ひよる人なきな
地
めりかし。げにいかさまにつくりかへてかはをとら
ぬ御ありさまはよにいでものし給はまし。月日
のひかりのそらにかよひたるやうにぞ、よの人
もおもへる
るべき限り整ひて、何事もあらまほしく、足らひてぞ、ものし給ひける。
この御中共の挑みこそ、あやしかりしか。されど、煩くてなん。
七月にぞ后ゐ給ふめりし。源氏の君、宰相に成り給ぬ。帝、おりゐさせ給
はんの、御心づかひ近うなりて、この若宮を坊にと思ひ聞こえさせ給ふに、
御後見し給ふべき人おはせず。御母方、皆親王たちにて、源氏の公事、知り
給ふ筋ならねば、母宮をだに、動き無き樣にしをき奉りて、つよりにとお
ぼすになんありける。弘徽殿、いとど御心動き給ふ、ことはりなり。され
ど、「東宮の御世、いと近くなりぬれば、疑ひ無き御位なり。思ほしのど
めよ」とぞ、聞こえさせ給ひける。実に東宮の御母にて、二十年余りになり
給へる女御(ねうご)を置き奉りては、引き越し奉り給ひ難き事なりかし
と、例のやすからず、世人も聞こえけり。参り給ふ夜の御供に、宰相の君
も仕うまつり給ふ。同じ后と聞こゆる中にも、后腹の皇女、玉の光輝きて、
類ひ無き御覚えに、さへものし給へば、人もいと殊に思ひ傅き聞こえたり。
まして、わりなき御心には、御輿のうちも思ひ遣られて、いとど及び無き
心地し給ふに、そゞろはしきまでなん。
尽きもせぬ心の闇にくるるかな雲居に人を見るにつけても
とのみ、独りごたれつつ、物いと哀れなり。皇子は、およすけ給ふ月日に
従ひて、いと見奉り、分き難げなるを、宮、いと苦しとおぼぜど、思ひ寄
る人無きなめりかし。実にいかさまに作り変へてかは、劣らぬ御有樣は、
世に出でものし給はまし。月日の光の空に通ひたるやうにぞ、世の人も思
へる。
和歌
源氏
尽きもせぬ心の闇にくるるかな雲居に人を見るにつけても
意味:尽きない貴女への思いに、心の闇に暮れて行くんだな。手の届かぬ宮中の中宮になった人を仰ぎ見るにつけても。
備考:心の闇の本歌取として、「人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道にまどひぬるかな」(後撰集 藤原兼輔)や「かきくらす心の闇にまどひにき夢うつつとは今宵さだめよ」(伊勢物語 六十九段)と言う説もある。