一 題しらず
題しらずとばかりあるは、家集などに題
なくて歌ばかりあるゆへなり。
一 俊恵法師 俊頼子十二首
春といへば霞にけりなきのふまで波まにみえしあわぢしま山
増抄云。下三句より上へとりてかへしてみる哥
なり。きのふとは立春のまへ日なり。あわぢ嶋
がなみのあいまにみえしが、今さはみえぬはいかなる
ことぞと不審して、まことにけふ春にてある
ものなれば、かすみにけりなと納得したる哥
なり。又はきのうふまでなみまにみえしが、けふ
はかすみのまにみゆると云心にて、初春なれば
一面にかはかすまぬ心なるべしと、景氣をおも
ひやるべしとぞ。
あはぢ嶋あはとはるかにみし月のちかきこよひは所からかも
この哥や本哥なるべき。古人は、如此は、かくのごとく
おもひよるたぐひおほし。所によりてはるかに
見しも、ちかきとある作か。ひによりてなみ
まにみえしが、かすみのまにみゆるといふに似たり。
頭注
○嶋 十洲記云。海中
曰嶋。
○あわぢ嶋
神代巻云。陰陽
始構合為夫婦
及至産時先以淡
路洲為胞意所不
快故名之曰淡路
洲。
※あはぢ嶋あはとはるかにみし月のちかきこよひは所からかも
新古今和歌集巻第十六 雜哥上
題しらず
凡河内躬恆
淡路にてあはとはるかに見し月の近きこよひはところがらかも
よみ:あわじにてあわとはるかにみしつきのちかきこよいはところがらかも
意味:淡路にいた時は、淡く光って遙かに遠く見えた月も今宵は近くに見えるのは、雲の上(宮中)にいるのだからでしょう。
備考:古今和歌六帖
※十洲記 海内十洲記。漢代怪奇小説。 東方朔撰に仕立てた後人の偽託書。 東方朔が漢の武帝の問いに答える形で、十洲の所在と産物等を述べた事を記している。
※神代巻 日本書紀巻第一 神代上