後朱雀院かくれ給ひて上東門院白河にこもり給ひにけるを聞きて 女御藤原生子
うしとてはいでにし家をいでぬなりなど故里にわが歸りけむ
おさなかりける子の身まかりにけるに
源道濟
はかなしといふにもいとど涙のみかかるこの世をたのみけるかな
後一條院中宮かくれ給ひて後人の夢に
故里に行人もがなつげやらむしらぬ山路にひとりまどふと
小野宮右大臣身まかりぬと聞きてよめる
權大納言長家
玉のをの長きためしにひく人もきゆれば露にことならぬかな
小式部内侍身まかりてのち常に持ちて侍りける手箱
読み:うしとてはいでにしいえをいでぬなりなどふるさとにわがかえりけむ
意味:後朱雀院の崩御に伯母上様は御出家の身でも憂く辛いと感じて、またお住まいを出られたと聞いているのに、私は出家も出来ずなぜこの実家に帰ってきてしまったのでしょうか
作者:ふじわらのせいし1014~1068藤原教通の娘。後朱雀天皇の女御。
備考:栄花物語 根あはせ 上東門院彰子は後朱雀院の母
読み:はかなしといふにもいとどなみだのみかかるこのよをたのみけるかな 隠
作者:みなもとのみちなり?~1019方国の子、信明の孫。正五位下筑前守。中古三十六歌仙の一人。
読み:ふるさとにゆくひともがなつげやらむしらぬやまじにひとりまどうと 隠
意味:娑婆に行ける人がいたら言伝をたのむのに。その人に私は見知らぬ死出の山路(中有)をさ迷っていると。だから追善供養をお願いしたい。
備考:藤原道長の娘 威子だが、袋草紙、十訓抄では藤原高遠の幽霊
読み:たまのおのながきためしにひくひともきゆればつゆにことならぬかな
藤原長家ふじわらのながいえ1005~1064道長の子。大宮、三条と号する。俊成の曽祖父。
平成27年3月25日 點七