新古今和歌集の部屋

壬生忠岑 筆者不明公任三十六歌仙色紙コレクション



  壬生忠峯

子の日する
  野辺に小松の
何  なかりせば
 を
ひか  千世の
 ま
 し     ためしに

拾遺集第一 春歌
 題知らず
                  忠峯
子の日するのべにこ松のなかりせば千世のためしになにをひかまし

公任三十六人撰 忠見
和漢朗詠集   忠岑
忠岑集、忠見集

※拾遺集、和漢朗詠集は忠岑となっているが、公任三十六人撰は、忠見となっている。両者の家集にもこの歌が入っており、混乱が生じている。


全体 約 37.7×25.8cm
個々色紙 約10.7×9.4cm

令和4年7月10日 壱/4

コメント一覧

jikan314
@kunorikunori 3000人の僧侶や僧兵を養うには、沢山の資金👛が必要ですね。大寄進者の親族でも無いと入れないでしょう?
富木常忍については、ネットでも有りましたが、その母となると難しいですね(-ω- ?)
お賽銭閻魔の沙汰有る盂蘭盆会
(お布施が少ないともしかしたら?)
kunorikunori
Jikan様

日蓮の母は、頼家、実朝の乳母であった富木常忍の母と古くからの知り合いであった説があります。

その辺りが解明できれば、一歩前進なのですが、、停滞中です。

Jikan様の様に、天台宗の名士にだけ許される!の角度、良いですねー!

日蓮が若かりし頃、を、探してみると、良く知った比企氏であった?など、何かありそうです。
jikan314
@kunorikunori 日蓮の出生については、卑賤の出自と有るが、彼の経歴を見ると、その頃のエリート比叡山で修行している。
普通の出自では、あり得ないですね。
川越の中院には、日蓮が伝法灌頂を受けたと有りました。
天台宗のエリートには、名士の息しか入門がゆるされていませんね😃
と私は推察します。
雨はやみ次の雨雲発達中
kunorikunori
Jikan様

こちらの記事の忠見様が、片岡氏の調べものの中に登場しました。忠岑の息が忠見になるのですね。

小槻宿禰の裔、宇都宮氏に仕えてたり、三善氏と婚姻関係があったり、また中原氏や大中臣氏と同じ職種ですね。

また、畠山重忠の領域に大中臣・壬生系清原が住んでいたそうです。(埼玉県入間郡金子郷三木)八高線の金子駅近くあたりでしょうか。

https://genshu.nichiren.or.jp/genshu-web-tools/media.php?file=/media/shoho42-16.pdf&type=G&prt=1078

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台風が近いですね!
どうぞお気をつけてお過ごしください~♪
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