新古今和歌集の部屋

新古今増抄 巻第一 俊成 子の日 蔵書

袖がぬるゝとことわりたり。いたづらと云詞眼字也。

いたづらとは徒字也。徒ハ空也と字注にありて、むな

しき義なり。ねがひむなしくてと云心欤。

一 日吉の社によみてたてまつりける子日の哥

此社者、松尾の同躰也。或説云。山王権現者

磯城嶋金刺ノ宮即位元年、自天降于大和

磯城ノ上ノ郡。現大三輪神。大津ノ宮即位元

年ニ、現老翁形、曰我ハ是大比叡明神也。

傳教大師以天竺金比羅神(一名摩多
             羅神   )為素

戔嗚尊。号曰山王ト為日吉ノ神ト躰。

一 さゞ波や志賀のはま松ふりにけり誰世にひける子日成らん

増抄云。此哥は、志賀の古京を思ひてよめる成べし。

今まである浦松は、むかしのみやこの時、誰世にか引

ける子日の松ぞとなり。古京のよせなき

所にては、松ありとても、子日などはよむまじ

きなり。子日といふものは、都人のするわざなれ

ばなり。この哥はむかしのことをいひて、子日の

題に用たり。又説いま子日のあそびをする

によりて、志賀の浦松をみて、かくのごとく昔

誰引けるならんとの心もあるべし。

奥義抄云。問云。あふみをさゞなみといふ事又いかん。

答云。日本紀にいはく、天智天皇あはつの宮

におはします時、仏寺を建立の御心ざし有て

勝地を求め給ふに、六年二月三日の世の夢に

沙門そうして云。いぬヰの山に霊窟あり。はやくみ

給ふべし。帝おどろきて、光ある所のかたの山を

み給ふに、大なる光ほそくのぼれり。あしたに

人をつかはして尋給ふに、使かへりてそうしていは

く。光にあたる所に小山寺ならびに小瀧水あり。

又優婆塞ありて、経行念誦す。故をとふ

にこたへず。所の操行をみるに、竒勝者と

いひつべし。みおかど其所に幸有。うばそく出む

かひ奉れり。此山の名をとひ給ふに、そうして

云。古仙ノ霊窟伏蔵佐々名実長等山といひ

てうせぬ。その所に、伽藍をたてらる。今の崇

福寺是也。これよりさゞなみながらとよむ也。

此心にては、ながらの山ばかりをぞいふべきに、いかなること

に、萬葉に曰、さゞ波やひらの山風うみふけば

釣りするあまの袖かへるみゆ。とよめり。又大津

とも、あふみとも、さゞなみの國ともよめり。あふみの

うちは、いづくもつゞくべきにこそ。

公事根源云。子日遊。是はむかし人之の野べに

いでゝ、子日するとて、松ひきけるなり。朱雀院

圓融院三条院などの御時にも、此御遊は

ありけるにや。中にも圓融院の子日をせさ

せ給ふけるは、寛和元年二月十二日の事也。

上の程、御車なりしか。紫野ちかくなりて、上皇

は御馬にめされけり。左太臣以下、みな直衣にて

殿上人は布衣也。幄屋をまうけ、幔をひき

めぐらし、打ひつ、檜破子、やうの物を奉り、

人/\和哥を献ず。其時の序は、平兼盛

とかや。清原ノ元輔、曽祢ノ好忠など云哥人

ともにてぞ侍し。

 

 

頭注

金刺宮は欽明也。

大津宮は天智也。

 

志賀の濱松、一松

の事成べし。

 

十節記云。正月子

日登岳何耶

傳云。正月七日登

岳遠望四方得陰

陽静氣除煩

悩之術也。

初学記歳首

祝松枝。

 

 

磯城嶋金刺宮(しきしまのかなさしのみや) 磯の字は石へんに夷とある。大和国磯城郡(奈良県桜井市)に置かれた欽明天皇の皇居。

奥義抄 平安末期の歌学書。著者は藤原清輔(きよすけ)。1124年(天治1)から44年(天養1)の間の成立か。初め崇徳天皇に奉り、その後追補して二条天皇に奉ったと伝える。清輔の追補は4次にわたったらしいことが、伝来写本の内容の相違によって知られる。いま第三次本の内容を概観すると、3巻よりなり、序文に次ぐ上巻は「式」と題して、六義(りくぎ)、六体、三種体、八品、隠題、四病、七病、八病、避病事、詞病事、秀歌体、九品、十体、盗古歌、物異名、古歌詞、所名など歌学の25条の項目について述べて貴重である。中・下巻は「釈」として『後拾遺集』『拾遺集』『後撰(ごせん)集』、『古歌』(万葉集)、『古今集』の順序で語句の注釈を記し、下巻の末尾に24項目が問答体で述べられている。それまでの歌学を集大成した書として重要である。

崇福寺 滋賀県大津市にある飛鳥時代後期から室町時代にかけて存在した寺院の遺跡。3つの尾根にまたがって建築群があり、崇福寺と奈良時代末期に建立された梵釈寺の複合遺跡とする説が有力である。また出土した崇福寺塔心礎納置品は国宝に指定されており、遺跡は国の史跡と歴史的風土特別保存地区に指定されている。

※萬葉に曰、さゞ波やひらの山風うみふけば
新古今和歌集巻第十八 雜歌下
 題しらず
              よみ人知らず
さざなみや比良山風の海吹けば釣するあまの袖かへる見ゆ
 
よみ:さざなみやひらやまかぜのうみふけばつりするあまのそでかえるみゆ 隠 有定隆雅
 
意味:(細波や)比良山から湖に向かって風が吹き下ろすと釣りしている海人の袖がひるがえっているのが見えます。
 
備考:万葉集 第九巻 雑歌 1715 槐本の歌
楽浪之 平山風之 海吹者 釣為海人之 袂変所見
さざなみのひらやまかぜのうみふけばつりするあまのそでかへるみゆ

公事根源 室町時代に一条兼良により記された有職故実書。全1巻。『公事根源抄』ともいう。奥書によると、応永29年(1422年)に兼良が自分の子弟の教育のために書いたものとあり、また後世に書かれた識語には室町幕府将軍足利義量の求めに応じて、19歳の兼良が何の書物も見ずに書いて進ったともある。本文に『年中行事歌合』からの本文引用が多く兼良の著作と呼ぶべきではないとする説もあるが、こうした著作方法は当時の学問では広く行われており兼良が独自に採用した他書の所説も含んでいることから兼良独自の著作とするべきであるとする反論もある。後世において重んじられ、『公事根源集釈』(松下見林)・『公事根源愚考』(速水房常)・『公事根源新釈』(関根正直)等の注釈書が書かれている。なお、本文は一部相違もあるが、『公事根源愚考』(速水房常)からの引用と考えられている。

※十節記、初学記 拾芥抄(略要抄)に記載されたもので、中世日本にて出された類書(百科事典)。全3巻。『拾芥略要抄』(しゅうがいりゃくようしょう)とも呼ばれ、『略要抄』(りゃくようしょう)とも略されていた。『拾芥抄』の撰者については諸説あり、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての公卿・洞院公賢が編纂し、実熙が増補したとする説、永仁2年(1294年、公賢4歳の年)に書写された『本朝書籍目録』写本に「拾芥略要抄」の名が見られることから、鎌倉時代中期に原型が成立し、『本朝書籍目録』成立後の暦応年間に公賢がそれを増補・校訂したとする説などがある。現存本は『口遊』・『二中歴』などの先行の書物の流れを引き継ぎ、歳時以下、経史、和歌、風俗、百官、年中行事など公家社会に必要な知識を中心とした99部(上巻35・中巻25・下巻39)及び「宮城指図」「八省指図」「東西京図」などの地図・図面類を多数含んでいる。『源氏物語』について、その巻名目録に現行の54帖に含まれない「桜人」の巻を挙げるなど独自の記述を有している。現存最古の写本として、室町時代初期のものと推定される東京大学史料編纂所所蔵の残欠本(重要文化財)があるほか、室町時代から戦国時代にかけての写本が多数現存し[4]、江戸時代には慶長古活字本などがたびたび刊行された。

撰者は、古くは『日本書籍考』『槐記』『群書一覧』等に東山左府・東山左大臣の作と記されていることから洞院実熙の著とされていたが、江戸時代後期の国学者である高田與清(小山田与清)、中山信名、前田夏蔭、山川真清等は洞院公賢の著とした。明治に入り国文学者の萩野由之、漢文学者の岡田正之、国語学者の松井簡治も塙本、天文本等の写本の奥書から公賢説を執ったが、和田英松は「拾芥略要抄」の名で『本朝書籍目録』に見え、同目録は永仁以前に収録されたことから、『拾芥抄』は公賢以前に存在して、公賢が抄録したものと論じた。現在、国文学研究資料館の日本古典籍総合目録データベース等では、著者について洞院公賢編、洞院実煕補としている。

 

コメント一覧

jikan314
@kunorikunori 慈円の歌に
わがたのむ七のやしろの木綿だすきかけても六の道にかへすな
と言う物が有り、日吉大社に参拝しておりますので、御覧頂き、参拝されます様に。
今日は、33℃の真夏日です☀️😵💦
https://blog.goo.ne.jp/jikan314/e/65a47b98107586f6a1f2686daf9599b6
kunorikunori
Jikan様

日吉大社は、7つの社… 今、調べてみました!
ありがとうございます!

そこが、まさにヒントになりそうです。
jikan314
@kunorikunori 「者」は、「は」と読んで下さい。
日吉大社は、7つの社が有りますので、その集合体でも有ります。山王権現とは、日吉大社の神社で、大山咋神と大物主神(または大国主神)を神仏習合したものですね😃
千葉の地震なので、小生の所は震度2ですね。ただ震源地が関東直下型の断層地帯なので、保存食などを準備しておきます。
アカシアの季節ですね。
kunorikunori
Jikan様

翻刻、ありがとうございます。
訳していただいたにもかかわらず、さっぱりわからないままの状態ですが、大三輪・比叡、松尾、賀茂、繋がっている部分がそれぞれにあるのだ、と。
また何か機会があった時にじっくりと調べてみようと思いました。

ありがとうございました。
地震、どうかお気を付けください。
jikan314
@shou1192_2010 いつも締め切りギリギリの投稿で、ご面倒をお掛けしております。
私のスランプの原因は、「前頭葉」のような新しいインパクトの有る詞が出来ないのが、原因です😓
私の詞は、皆様には新しく見えるが、古今集以来の詞を利用しております。
出来ない時は、昔の作った歌を投稿致しますので、御容赦願います。
それにしても、皆様の短歌には、大変刺激を受けており、水曜サロンには大変感謝してます。
shou1192_2010
自閑さん こんにちは。
自閑さんの研究の成果に学ばせて頂いています。

新古今和歌集の歌を、万葉集に載る歌と突き合わせて鑑賞することも、興奮する試みですね。
短歌の長い歴史と、その蓄積は私たちにとっても貴重な学びの宝庫ですね。

なお、今週の詠歌をお待ちいたしております。よろしくお願いいたします。
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