源氏物語 若紫
見てもまた逢ふ夜まれなる夢のうちにやがて紛るゝ我が身ともがな
と、 むせ反り給ふ樣も、 さすがにいみじければ、
世語りに人や伝へむたぐひなく憂き身を覚めぬ夢になしても
思し乱れたる樣も、いと道理にかたじけなし。
命婦の君ぞ、御直衣などは、 かき集め持て来たる。殿に御座して、泣き寝に臥し暮らし給ひつ。御文なども、例の、御覧じ入れぬ由のみあれば、常の事ながらも、辛ういみじう思しほれて、内裏へも參らで、二、三日籠もり御座すれば、又、いかなるにかと、 御心動かせ給ふべかめるも、恐ろしうのみ覚え給ふ。
(21分05秒)
道 長 小鳥を追い掛けていた比のお前は、この樣に健気では無かったか。
まひろ 嘘は吐くし、作り話はするし。
道 長 ふん。とんだ跳ね返りであった。
(まひろ ナレーション)
こうして御逢いしても、又御逢いできるとは、限りません。夢の中に、このまま消えてしまう我が身でありたい、と、むせび泣いている光る君の御姿も、流石にいじらしく、世の語り草として、人は伝えるのではないでしょうか。
類なく辛いこの身を、覚めない夢の中の事としても、と、藤壺の宮が思い乱れている樣も、真にもっともで、畏れ多い事です。
(藤の風景)
宮も、なほいと心憂き身なりけりと、思し嘆くに、悩ましさも勝り給ひて、とく參り給ふべき御使、しきれど、思しも立たず。真に、御心地、例のやうにも御座しまさぬは、如何なるにかと、人知れず思す事も有りければ、心憂く、いかならむとのみ思し乱る。暑きほどは、いとゞ起きも上がり給はず。
三月になり給へば、いとしるき程にて、人びと見奉りとがむるに、 あさましき御宿世のほど、心憂し。人は思ひ寄らぬことなれば、
「この月まで、奏せさせたまはざりけること」と、驚き聞こゆ。 我が御心一つには、しるう思しわく事も有りけり。
三月になられると、はっきりと分かる樣になり、女房たちがお見受けして気にしているので、宮は嘆かわしい宿世の程を、情けなく思われました。
道 長 う~ん。この不義の話は、どう言う心づもりで書いたのだ?
まひろ 我が身に起きた事にございます。我が身に起きた事は、全て、物語の種にございますれば。
道 長 うむ。恐ろしい事を申すのだな。
道 長 お前は、不義の子を産んだのか?
まひろ ひと度物語になってしまえば、我が身に起きた事なぞ、霧の彼方。真の事かどうかも、解らなくなってしまうのでございます。