がびさんけつのうた
峨眉山月歌
がびさんけつはんりんのあきかけはいつて
峨眉山月半輪秋影入
へいきようこうすいになかるよるはつして
平羌江水流夜發
せいけいをむかふさんかうにおもへともきみを
清溪向三峽思君
ずみへくたるゆしうに
不見下渝州
ふねにのりこのやまのひたをとをり見
れは月がはんぶんはやまにおゝわれそ
の月かけかこうすいにいりなかれ
このしふんにたにあいをふねに
のりいたしてさんかうあたりへのり
こめはもふくらくして見へぬとふそ
やしゆう あたりへゆきたなち
は月か すこしは見ゆるで
あろふと
おもふて
すひふんのりゆくてある
しごくふねのはやいを
いふ。川かみより川しもへ
のりくたすぢや。きみとは
月の事をいふ。
りはく
李白
王元美曰く。これはこれ太白が
佳境二十八字のうち峨眉山
平羌 江 清溪 三峽 渝州
の五つの地名あれとも後人を
してこれが為に痕跡にたへざらしむは
此老鑪錘の妙なりとなむ。
この後宋蘇子瞻なともこの詩を賞
此格にならひはべれとも太白が妙境には至
がたしとなむいへり。
峨眉山月歌
李白
峨眉山月、半輪の秋。
影は平羌の江水に入りて流る。
夜、清溪を発して三峽に向かふ。
君を思へども見えず、渝州に下る。
意訳(自説による)
峨眉山の上空には、下弦の秋月が出ている。
その光は、平羌の江(岷江)の水に反射して、舟と共に流れて行く。
私は、清溪(板橋渓)の船着場から夜明け前に出発し、険しい三峡の難所に向かっている。
故郷に残った君を思っても見る事は叶わず、渝州(重慶)に下って行く。
※王元美 王 世貞(おう せいてい、嘉靖5年11月5日(1526年12月8日) - 万暦18年11月27日(1590年12月23日))は、中国明代の学者・政治家。字は元美、号は鳳州(ほうしゅう)、または弇州山人(えんしゅうさんじん)。南直隷蘇州府太倉州の出身。官は刑部尚書に至った。弟に詩人の王世懋がいる。
※王元美曰 藝苑巵言「此是太白佳境。然二十八字中,有峨嵋山、平羌江、清溪、三峽、渝州,使後人為之,不勝痕跡矣;益見此老鑪錘之妙。」
※宋蘇子瞻 宋蘇軾。北宋の政治家、詩人、書家、画家で、字は子瞻。蘇東坡とも呼ばれる。
※峨眉山 中国四川省の山で、道教や仏教の聖地。一番高い峰が万仏頂で、標高3,098m。
※清溪 岷江の船着場。色々な説が有るが、楽山市の岷江と青衣江が合流する地点から上流約16kmの板橋渓が有力。同じ合流地点から少し下流に有るとの説も有る。
※三峽 瞿塘峡、巫峡、西陵峡を一般的に言うが、もっと上流の峨眉山に近いと言う説も有り、確定していない。
※君 月を意味すると考えられるが、友人、彼女と言う説も有る。
※渝州 重慶市。
古越龍山 紹興酒 浙江省
唐詩選畫本 七言絶句 巻一