建春門院の殿上の哥合に、關路落葉と云題に、頼政卿の哥に、
都にはまだ青葉にて見しかども紅葉散しく白川の關
と詠まれ侍りしを、其度此題の哥あまたよみて、當日までおもひわづらひて、俊惠を呼びて見せられければ、
此哥は、かの能因が『秋風ぞ吹く白川の關』と云哥ににてはべり。されども、これはいでばへすべき哥なり。彼哥ならねど、かくもとりなしてむと、いしげによめるとこそ見えたれ。似たりとて難ずべき樣にはあらず。
と計らひければ、
車さし寄せて乗られける時、
貴房のはからひを信じて、さらば是を出だすべきにこそ。後のとがをばかけ申すべし。
と言ひかけて出でられにけり。
其たび、この哥思ひのごとく出ばへして勝にければ、歸て則よろこびいひつかはしたりける返事に、
見るところ有て、しか申たりしかど、勝負きかざりし程は、あいなくこそ胸つぶれ侍しに、いみじき高名したりとなむ心ばかりは覺えはべりし。
とぞ俊惠は語て侍りし。
※頼政卿
源頼政 源三位。長治元年ー治承4年5月26日 宇治平等院合戦で戦死。
※かの能因が『秋風ぞ吹く白川の關
都をば霞とともに立ちしかど秋風ぞ吹く白河の関 拾遺集 羇旅 能因
※俊惠
永久元年(1113年) - 建久2年頃? 源俊頼男。白河の坊を歌林苑と称して歌会を開く。長明の歌の師。