大唐武帝の御子
蒼舒いはく
象を舟にのせて
水あとさかん
ところをしるし
置きて象を
おろし又物を
積てそれを
はかれば象の
重サをしるべしと
の○ふと也。氣○
ユ夫のさんかん此をくて知る事也。
文化三年丙寅春正月
陳寿の『三国志』魏書巻二十の、曹沖(字名倉舒)の逸話の伝であるが、仏典『雑宝蔵経』の巻一に見え、日本では今昔物語集で天竺の話に、70歳以上の老人を棄てる所謂姥捨山伝説と老人の知恵により難局を乗り切ると言う物がある。
参考
今昔物語集 巻第五 天竺
七十余人流遣他国語 第卅二
前略
其の後、亦、象を遣て、「此の象の重さの員、計へて奉れ」と申したり。其の時に、国王、「此の如く云ひ遣するは、いみじき態かな」と思し煩て、此の大臣を召て、「此れは何が為べき。今度は更に思得難き事也」と。大臣も、「実に然か侍る事也。然りと雖も、罷り出でて、思ひ廻して申し侍む」と云ひて出ぬ。国王、思す様、「此の大臣、我が前にても思得べきに、かく家に出でつつ思ひ得て来るは、頗る心得ぬ事也。家に何なる事の有るにか」と、思ひ疑ひ給ふ。
而る間、大臣、還り参ぬ。国王、此の事をも、「心得難くや有らむ」と思し給て、「何ぞ」と問給へば、大臣、申して云く、「此れも聊に思得て侍り。象を船に乗せて、水に浮べつ。沈む程の水際に、墨を書て注を付つ。其の後、象を下しつ。次に石を拾ひ入れつ。象を乗て、書つる墨の本に水量る。其の時に、石を量りに懸つつ、其の後に石の数を惣て計たる数を以て、象の重さに当てて、象の重さは幾く有ると云ふ事は知るべき也」と申す。国王、此れを聞て、其の言の如くにし計て、「象の重さ、幾なむ有る」と書て、返し遣しつ。
後略
増補頭書 新編塵劫記大全
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