新古今和歌集の部屋

百人一首拾穂抄 持統天皇




 

四十一代
 持統天皇 高天原廣野天皇日本紀諱鸕野讃良皇女

         女帝 在位十一年 藤原都

日本紀云、天智天皇㐧二皇女。母曰遠智娘紹運録ニ云越智姫

大臣蘇我石川丸女孝徳元年ニ降誕紹運録天皇四年正月

即天皇位、八年十二月遷藤原宮大和高市郡日本紀

大宝二年十二月十日崩。天武天皇后、草壁皇子母紹運録

春すぎて夏来にけらししろたへの衣ほすてふ天のかぐ山

新古今夏巻頭題しらず云云。万葉㐧一藤原宮御

宇天皇代。天皇御製歌云云。衣乾有(サラセリ)とあり。御抄云、

この哥、夏の巻頭に入たる。更衣のうたと云所をよく

見たてたり云云。師説、白妙とは、いたりて明白なるを

云也。衣ほすてふとは衣ほすといふとの詞也。更衣の日は白重(シラカサネ)

を用る故に、山のけしきにおもひよそへたる也。天香久山(カグヤマ)

は風土記云、天上有山分而墮地一片為伊与(イヨ)ノ圀之天山、一片

為大和国天香久山八雲御抄云。天の香来山はあまり

にたかくて、空のにほひの来(キタル)によりて云か。日本紀にみえ

たり云云。藤原の都より西にあたりて、昔は高山な

りしを、今はわづかに残侍り。哥の心は、詠哥大概抄云、

天のかぐ山春の間は霞ふかくおほひて、それともみえ

ざりしが、春過ぬれば、露も立散(サン)じて、首夏の天

 

※藤原都より西に 実際は東。

に此山あきらかにみゆるを、白妙の衣ほすとはい

へり。ほすは衣の縁也。夏来て霞の衣をぬぎて、山の

明白なるを、白妙の衣ほすとよみ給へり。香久山の久

の字清て讀べし云云。師説、此哥夏来にけらしと云る詞、

心をつくべし。清和の天になりて、此山の今朝は、明白な

るに感じて、扨は春過夏になりぬるならんといへる也。

御抄云、春過て夏来にけらしといへる、√二月既破(ヤブレテ)三月

来杜子美(トシミ)が句也。此句に心相似たり云云。愚案、万葉に

赤人哥√冬過て春ぞ来ぬらし朝日さす志賀の

山邊にかすみたなびく、此類なるべし。亦此哥より、香

久山に衣をほすと云事、後世おほく詠ならはせり。√春霞

しのに衣をゝりかけて幾日ほすらんあまのかぐ山後京極摂政

√白妙の衣吹ほす木枯のやがて時雨るゝあまのかく山雅経√佐

保姫の衣ほすらし春の日の光にかすむ天のかくやま宗尊親王

其外此哥をとりて、√大井川かはらぬ井せきをのれ

さへ夏来にけりと衣ほすなり定家

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