新古今和歌集の部屋

絵入横本源氏物語 賢木 除目の不遇 蔵書

         源心
なく泪ぐまる。まらうともいと物

あはれなる気色に、うちみまはし

給て、とみにものもの給はず。さま

かはれる御すまゐに、みすのはし、

御木丁のあをにびにて、ひま/\より

ほの見たるうすにび、くちなしの

袖ぐちなど、中々なまめかしう、

おく床しう思やられ給。とけわ

たる池のうす氷、きしの柳のけ

しきばかりは、時をわすれぬなど、
                    /
さま/"\ながめられ給て、むべも心ある

と忍ひやかにうちずじ給へる。また

なうなまめかし
  源             か
  なかめかるあまのすみ家と見

るからにまづしほたるゝ松かうら嶋
         藤
と聞え給へば、おくふかうもあらず、

みなほとけにゆづり聞え給へるおまし

所なればすこしけぢかき心ちして
 藤
  ありしよの名殘"だになきうら

しまにたちよる波のめづらしきかな。
                 源
と、の給ふもほの聞ゆれば、忍ぶれど

泪ほろ/\とこぼれ給ぬ。世を思ひ

すましたる、あま君"たちの見る

らんもはしたなければ、ことずくな
        藤ノ女◯◯心
にて出給ぬ。さもたぐひなくねびま

さり給かな。心もとなき所なく、世に

さかへ時にあひ給し時は、さるひと

つものにて、なにゝつけてか世をおぼ

ししらんと、をしはかられ給しを、

今はいといたうおぼししづめて、はか

なきことにつけても物哀なるけ

しきさへそはせ給へるは、あひなう

心ぐるしうも有かななど、おいしらへ
                  藤
る人々"うちなきつゝめで聞ゆ。宮も

おぼし出ることおほかり。つかさめし
     藤
のころ此宮の人は、給はるべきつかさ

も得ず、おほかたのだうりにても、
 藤
宮の御たうばりにても、かならずある

べきかゝいなどをだにせずなどして、

なげくたぐひいとおほかり。かくても

いつしかと、御くらゐをさり、みふなど

のとまるべきにもあらぬをことつけ

て、かはることおほかり。みなかねておぼし
           藤ノ
すてゝし世なれど、宮人"共"もより

所なげにかなしと思へる気色ども
        藤
につけてぞ、御心うごくおり/\あれ

ど、我身をなきになしても、東宮の

御代をたいらかにおはしまさばとのみ

 


なく泪ぐまる。

客人もいと物哀れなる気色に、うち見回し給ひて、とみに物も宣

はず。樣変はれる御住居に、御簾の端、御几帳の青鈍びにて、隙々

より、ほの見たる薄鈍び、梔子の袖口など、中々なまめかしう、

奥床しう思ひ遣られ給ふ。解け渡る池の薄氷、岸の柳の景色ばか

りは、時を忘れぬなど、樣々眺められ給ひて、「むべも心ある」

と忍びやかに打ち誦じ給へる。又なうなまめかし。

  ながめかるあまの住み家と見るからに先づ塩垂るる松が浦嶋

と聞え給へば、奥深かうもあらず、皆、仏に譲り聞こえ給へる御

座所(おましどころ)なれば、少し、け近き心地して、

  有りし世の名殘だに無き浦島に立ち寄る波の珍しきかな

と、宣ふも、ほの聞ゆれば、忍ぶれど泪ほろほろと零れ給ひぬ。

世を思ひすましたる、尼君逹の見るらんもはしたなければ、言少

なにて、出で給ひぬ。「さも類ひなく、ねびまさり給かな。心も

と無き所なく、世に栄へ、時に会ひ給し時は、さる一つ物にて、

何につけてか、世をおぼし知らんと、推し量られ給ひしを、今は、

いといたうおぼし鎮めて、はかなき事につけても、物哀れなる気

色さへ、添はせ給へるは、あひなう心苦しうも有るかな」など、

老しらへる人々、打ち泣きつつ、めで聞こゆ。宮もおぼし出づる

事、多かり。

司召の比、この宮の人は、賜るべき司も得ず、大方の道理にても、

宮の御たうばりにても、必ずあるべき加階などをだにせずなどし

て、歎く類ひいと多かり。かくても、いつしかと、御位を去り、

御封などの止まるべきにもあらぬを、ことづけて、変はること多

かり。皆、予ておぼし捨ててし世なれど、宮人共も寄り所なげに、

悲しと思へる気色共につけてぞ、御心動く折々あれど、我が身を

無きになしても、東宮の御代をたいらかにおはしまさば、とのみ

 

 

引歌、本歌

※/むべも心ある 後撰集巻第十五
 西院の后、御髪おろさせ給ひておこな
 はせ給ひける時、かの院の中島の松を
 けづりて書きつけ侍りける
                素性法師
音に聞く松が浦島今日ぞ見るむべも心あるあまは住みけり

 

技法

※ながめかる 長布(海藻)と眺め、海人と尼の掛詞。塩垂るるは涙の比喩。素性法師の本歌取。

 

京都 鳥羽 城南宮庭園 

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