佐藤義
そもそも靜かに案ずるに、にんじんを受くること、ぼんてんより糸をくだして、大海の底なる針をつらぬくがごとしといひ、また、佛法に會ふこと、まうきのうきぎの穴に逢へるに同じと見えたり。されど幻のさかえに心をかけ、いつたんの妻子にほだされて、ごせのくいんを受くること、あはれなるかな。
過ぎにし二十五年の樂しみ、思へばうたたねの夢よりもはかなし。たとひこののち二十年三十年ありとも、いくばくの思ひ出でかあらむ。われら、形をとうゐきに受けたりといへども、はるかにさいてんのけうぼふをきくことを得たり。たれかこの時つとめを行はずして、宝の山にいりて手をむなしくせむや。
この故にりゆうじゆぼさつは、富めるといへどもぐわんしんやまざれば、これをひんなりとし、まづしといへども求むる心なければ、これを富めるといへり。しよしやの上人はひぢをかがめてまくらとす。樂しみ、そのうちにあり。何によりてか、さらにふうんのえいえうを求めむやとのたまへり。
これらのことわりを思ふにも、出家の志いよいよ深しといへども、おほかたてうおんのかたじけなさ、恩愛捨てがたさに案じわづらひて、むなしく月日を送りけること、あさましくおぼえて、
いつ歎きいつ思ふべきことなればのちの世知らで人の過ぐらむ
いつのまに長きねぶりの夢さめて驚くことのあらむとすらむ
何事にとまる心のありければさらにしもまた世のいとはしき
この人、常になにはづの風をあふぎ、心のうちの塵を払ひ、とみのをがはの流れを汲みて、思ひをこらすたよりとす。このゆゑに、君よりも、折りに触れ時にしたがひて、題を出されれば、時を移さずよみそうしけり。
りつしゆんの題にて、
岩間とぢし氷もけさは解けそめてこけのしたみづ道求むなり
うぐひすの聲ぞ霞に洩れてくるひとめともしき春の山里
だいぢ二年十月十日頃、とばどのにごかうならせ給ひて、はじめたるごしょのみしやうじの繪どもえいらんあるに、まことにいうなるみけしきにて、その頃の歌詠みたち、つねのぶ、まさふさ、もととしならびにのりきよなどを召されて、この繪どもを題にして、おの/\一首のえいをたてまつるべきよし仰せ下されけるに、めん/\にいとなみ詠まれける中にも、義、その日のうちにつかまつりて、奏し申しける。
春の雪積りたる山のふもとに、河流れたる所をかきたるに、
降り積みしたかねのみゆき解けにけりきよたきがはの水の白波
山里のしばのいほりに、ひぢりゐて、梅をえいずるやうを描きたるを見て、
とめこかし梅盛りなるわが宿をうときも人は折にこそよれ
花の下にて月をながむる男を書きたる所を、
雲にまがふ花の下にて眺むればおぼろに月も見ゆるなりけり
夏のはじめ、ほととぎすを尋ぬとて、山田の原の杉のむらだちの中に分けいりたる所を、
聞かずともここをせにせむほととぎす山田の原の杉のむらだち
時鳥のはつね尋ぬるかひありて聞えたる所を、
時鳥高きみねよりいでにけりとやまのすそに聲の聞ゆる
しみず流るゝ柳の陰に、たびびとの休むさまをかきたる所を
道のべの水流るる柳陰しばしとてこそ立ちとまりけれ
秋の初風、草葉を結ぶ下葉の露も、置き所なく心ぼそきを、
あはれいかに草葉の露にこぼるらむ秋風たちぬみやぎのの原
山田もるいほのほとりに、しかの鳴きたる所を、
おやまだの庵近く鳴く鹿のねに驚かされて驚かしけり
をぐらのもみぢ、あらしに誘はれ、月さやかなる所を描かれたるを見て、
小倉山ふもとの里に木の葉散ればこずゑに晴るる月を見るかな
高き山に雲かゝり、うちしぐれたるふぜいを描きたるを、
あきしのやとやまの里やしぐるらむいこまのたけに雲ぞかゝれる
かやうに十首そうし申しければ、えいかんに堪へさせましましけり。
その時の手書き、さだのぶときのぶを召されて書かせらる。またのりきよを召されて、とうのべんをもて、朝日丸といふぎよけんをにしきの袋に入れてたまふ。そのほかにょゐんのおんかたへ召されて、ちゆうなごんのつぼねのうけたまはりて、おんはしたものおとめの前をもて、かさね十五のおんきぬを賜はりて、肩にかけてまかりければ、見る者じやうげ目を驚かし、うらやまずといふことなし。
わが身にも、生涯のめんぼく何事かこれにしかむ。こんじやうのしふしん、いよいよ深くやとぞおぼえし。
そのゆふべ、しゆくしよに歸りて、さいしけんぞくつどひ集まり、栄えのまゆを開き、喜びのゑみを含みける。これにつけても、みやうもんりやうは悪道のいんねん、妻子しょじゆうはしやうじのきづなといふことも思ひいだされて、返りて、佛道をすすむるぜんちしきかなと、うれしきかたもはべりき。
※いつ嘆き
831 第八 哀傷歌
※何事に
1831 第十八 雜歌下
※岩間どぢし
7 第一 春歌上
※ 降り積みし
27 第一 春歌上
※ 求め來かし
51 第一 春歌上
※ 聞かずとも
217 第三 夏歌
※ 時鳥
218 第三 夏歌
※ 道のべの
262 第三 夏歌
※ あはれいかに
300 第四 秋歌上
※ 小山田の
448 第五 秋歌下
※ 小倉山
603 第六 冬歌
※ あきしのや
585 第六 冬歌