はじめに
初めてネットワークに参加したのは、HPだった。マンションの管理組合が定めたブロバイダーと契約して光通信を始めた。
既にネットワークに参加していた叔父が、ウェッブリブログと言うのを勧めたので、2006年10月28日に参加してみる事にしたのが、ブログ名 花鳥風月だった。俳句のブログ友達も5人ほど出来たが、それぞれの方も止めて行った。当時はガラケーで写真を撮っていたので、画像が粗く小さい。それでもあちらこちらを撮って歩いている。
2023年1月に閉鎖されると言う事で、急遽引っ越しをしている。1日分を掲載していたが、読む読者も疲れるだろうと以下をまとめて、俳句集「花鳥風月」と名付ける。
梅雨明け 2010年07月16日
木(こ)の影もはっきりとして
梅雨の明け
今日の東京はとても暑い。12時で31℃。もう梅雨明け宣言しても良さそうな天気。
蝉も鳴き初め、浮かんでいる雲も夏らしい。
来週からは学校も夏休みらしい。
地球温暖化 ’10 2010年07月17日
今日が暑いというだけなら我慢
世界の6月平均気温、観測史上最高
酷暑’10 2010年07月20日
スカラベが今日も暑さを運びおり
スカラベは、古代エジプトの糞転がしで、毎日太陽を運んでいるそうです。
今日の東京は35℃を越えるかもしれません。
コンクリート、アスファルトでクーラーがどんどん排熱して、湾岸開発が涼風を遮断するヒートアイランド現象だそうです。
田舎で40℃近くを経験しましたが、水田の蒸散作用か、夜はあまり暑く無かったですね。東京は夜も気温が下がらない。
獅子鮟鱇樣の
ブログにヒントを得たのですが、トラックバックが出来ず。
盆踊り 2010年07月20日
仄暗きてうちんの揺れ盆をどり
近所の公園では、盆踊りをしていました。
秋の季語ですが、東京は新暦で行いますので。
先祖霊を迎え、供養をする踊りですが、私の田舎では顔を見せない聖霊・死者の踊りです。
東京の音頭は派手ですね。
静寂暑 2010年08月16日
コンクリートにしみ入る残暑かな
気温が、体温並に上昇してきた。
夏休みだから人がいないのか?こんな気温の時はテラスで食事はしたくないのか?何時ものテラスは人っ子一人いない。
静寂の中に蝉の声しかしない。木の葉が少ししか動かない程。
蝉と残暑の季重ねを避ける為に芭蕉の有名な句を本歌取りした。
それにしても暑い。中高年は、若年より水分補給が大事だとか。
熱中症だけは気をつけたいものだ。
距離200m 落雷の衝撃的瞬間 shocking lightning bolt
雷鳴と蝉 2010年08月20日
閃光一射轟音
また
蝉時雨
電車の中でふと思い付きました。
雷が突然近くに落ち、轟音が鳴り、今まで鳴いていた蝉が鳴り止み、暫く静寂が流れ、そしてまた蝉が何事も無かったように鳴き始める。
そんな緊迫感と弛緩の風景を切り取れないかと。
一瞬の静寂を平仮名にしてみました。
蝉時雨’10 2010年08月22日
うるさくもひとよの命蝉しぐれ
恋に泣くものとぞ思へ蝉時雨
せみしぐれ雑音も消え独りゐる
鳴き果てば寂しくなるかせみしぐれ
蝉時雨
突き刺さりつつ歩きけり
蝉時雨を四句作ってみました。
一句追加。
残暑虫 2010年08月31日
昼35℃(さんじゅうごど)
夜は秋の虫
目茶苦茶残暑が厳しく、夜になっても気温が下がらない。
熱帯夜と化した都会の公園も秋の虫が鳴いている。コオロギまで。
「風の音にも驚かれぬる」と藤原敏行が、「日はつれなくも秋の風」と芭蕉が詠んだが、それに勝る驚きだろう?
だってその当時、京都がいくら暑いからといって、30℃以上が連日続く残暑は無かったでしょうから。
秩父廻り 2010年09月04日
さまざまの仏に布施し残暑かな
とにかく暑い。
諸仏もと思い、水を布施した。
一仏ごとに十分ではないが。
秋扇活躍 2010年09月05日
しうせんのあきもこなくて動きけり
秋扇の縁語飽きと秋の掛詞。
連日の猛暑に。
秋列車 2010年09月12日
駅弁を食べる旅あり
稲穂揺れ
先週は、埼玉秩父の旅行、九州出張で、今日は山梨県出張。
温泉での会議なのに日帰りで、入浴も無し。
まあ、駅弁でも食べ、缶ビールを開けながら帰るか…。
列車から見える稲穂は、列車の風圧で揺れていると詠みました。本当は、山梨なので葡萄畑ですが。
曇名月 2010年09月23日
観ることもなく過ごしけるけふの月
未だ早い雲に隠れて十日月
昨日は夕方、ビルの谷間から十五夜の月が見えた。
今日は、月見で一杯と思っていて、雑事に追われて、コンビニにお酒を買いに行ったら、月が何処にも無い。
悔しい限りです。
こんな事なら雑事なんかほっといて、月見を楽しむべきだった…。
今日の月とは、今日しか無い月だなあ。
十日月は、「お?月が出ているなあ。あ!雲に隠れてしまった。残念。」と思ったら口を付いて出た。
秋雨前線が、日本列島を通過して、かなり涼しくなった。前日が30℃を上回ったらしいので、気温差は大きい。急いで長袖のシャツを出して着た。
曇名月 その2 2010年09月26日
名月の代わりに眺む松の友
古物商から、作者不明の掛け軸を春に買い、十五夜に飾ろうと思っていた。
今日本棚から何故か落っこちて来て(山積みか?)飾れとの事かと。
実は、誰の筆か判ればウン十万円だと密に思っている。
例え誰の筆か判らなくても取らぬタヌキの皮算用的にニマニマしているのも面白い。
いつかは鑑定団に…。その時は、伝仁和寺御室〇○法親王筆とでも適当な事言って、50万円…で物笑いの種になるのも一興。
読めませんが、書いてあるのは、寂蓮法師の新古今の賀歌
高砂の松も昔になりぬべしなほゆく末は秋の夜の月
読めないのに書いてあるのが判るのも不思議かと。
十六夜 2010年09月27日
十六夜の影正しうす水の面
芋の露連山影を正しうす 飯田蛇笏
の本歌取りです。
俳句の中に、澄みと月の縁語を隠してあります。隅田川なので地名でスミをいれるか迷いました。
本当は十七夜なのですが、待ちに待って、いざ今宵としたかったので。
分かりにくい写真ですが、上が本物で下が影です。
長月の雨 2010年10月09日
長月の雨は心を染めかねて
晩秋に入り、冷たい雨が降ってる。
この頃沈みがちな事ばかりで、この暗さは気が滅入る。
図書館で源氏物語を読み、外に出るとふと口に出た。紅葉の華やかさとは対照的だ。
作ってアップしてから、似たような新古今の秋下 藤原俊成の歌があり、追記する。本歌取りになるのかなあ。
心とや紅葉はすらむ龍田山松は時雨に濡れぬものかは
初紅葉 2010年10月24日
紅葉そむ
君の居ない道
Edith Piaf - Autumn Leaves (Les Feuilles Mortes)
枯葉よの方が邦題としては有名ですよね。
エディット・ピアフ。上司がカラオケで得意としていた。越路吹雪の方かどうかは未だ聞いていない。
秋時雨 2010年10月28日
待つことに慣れていないよ
………………………秋しぐれ
今日は小雨が降ったり止んだり。
初案は、「慣れてはいない」で、「いないよ」と恋人同士の会話にしました。
一般的には初案かなあ。
時雨止む 2010年10月29日
仄暗きまま時雨道を通り行く
代々木公園にて。
昨日の雨は止んだものの、今日は曇り空。
深い杜の木々の暗さが、これが都会のど真ん中だと言う事を忘れさせてくれます。
初案では、「この道」とした所ですが、季語が無い事に気が付き急遽字余りにしました。
良き季語があれば推敲しなければ。
秋果つ 2010年11月06日
秋果つる
涙はどこに捨てゝゆこう
秋に流した涙を、明日から冬という事で、涙の棄て場所に困ってしまうというものです。
どっかに類歌があるかと探したが見付かりませんでした。
行こうと云う事で、意志でもあり、迷いでもあります。
秋果つ2 2010年11月06日
秋果つる
からすの鳴いてさあ帰ろ
六義園に久し振りに来た。
秋は夕暮。閉園間際にさっと入ってさっと帰る。一瞬一瞬風景が変わっていくのを楽しみながら。
枕草子より
秋は、夕暮。夕日のさして、山の端いと近うなりたるに、烏の寝どころへ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど、飛び急ぐさへあはれなり。
落葉’10 2010年11月13日
行く道を落葉の色が覆ひけり
小春風 2010年11月14日
うとうとと
小春の風の通りゆく
今日は、神田神保町の古本屋街を歩いていたら、閉店セールをしていた。
古本屋で古き良き本を探すのが楽しみな者に取って、寂しいものがあります。
一冊300円という事で、今昔物語集を4冊買い、肩にずっしりと重くなってしまった。
源氏物語が、古典文学の華であるならば、今昔物語集は、人々の息遣いが見えるだいこんの花なんだろうと思います。
帰りに近所にある靖国神社に立ち寄り、骨董市を覗く。
初冬の物悲しさはあるものの、寒くは無いのが救い。
骨董と古本と古いものに縁のある日です。
英霊に感謝しつつ。
宿借 2010年11月15日
宿かりの
あてもなくてや初しぐれ
どうも雨の風景は写真になりにくいです。
ヤドカリとは何も関係は無く、ふと窓の外の景色を見た同僚の「雨が降ってきた」の一言で思いつきました。
謡曲の江口がイメージにありました。
世の中を厭ふまでこそ難からめかりのやどりを惜しむ君かな
西行
直前の四案と迷うところ
宿借りの
あてもないまま初しぐれ
一茶忌 2010年11月19日
一茶忌と
一日遅れのワインと
実は飲んでいない
もう既にカラだった。
(ノ>ロ<)ノ
一茶忌とボジョレー・ヌーボーは何の関係も無いのだか。
紅葉電車 2010年11月29日
旅を栖とするや紅葉(こうよう)電車
所用で、滋賀県の米原から東海道本線の電車に乗りました。
電車の行く先は、姫路行き。
と云う事は、大津、京都、大阪、神戸と4府県約200kmを日に何十便と通勤通学客や紅葉狩りの観光客、私のような通過するだけの者も乗せて走っているんだと何故か感動してしまいました。
おくの細道
月日は百代の過客にして行かふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらへて老をむかふる物は、日々旅にして旅を栖とす。
一字字数を間違えていました。(;^_^A
風流の旅には、紅葉、時雨は合いますよね。
クリスマスソング 2010年12月01日
X’masソングを聞きながら食事
人間ドックの帰り、昼食を食べる為に喫茶店に入るとクリスマスソングが流れていました。
そういえば今日から12月。1年は早いものですね。
近くの靖国神社に参拝して、この一年安らかに過ごさせて頂いた事を報告してきました。
勿論みみ樣の叔父樣の分も。
落葉雨 2010年12月21日
紅葉葉は朽ちゆくままに流されて
完全な露光不足の写真になってしまった。
冬の土砂降りの雨の中の帰宅は、物悲しさを感じてしまいます。
四季句題のための習作 2010年12月23日
春
我も又体育会系日脚伸ぶ (日脚伸ぶ)
田楽の木綿の焼き目味噌あまし (田楽)
ふらここの空と地の間に母のゐて (鞦韆)
夏
萬緑に吸って吐いてとゝゝのへて (万緑)
五月闇前に行こうか戻ろかな (五月闇)
をけら焚く煩わしさも脱ぎ棄てゝ (蒼朮を焼く)
秋
乞巧奠逢ふ事難し車窓見る (七夕)
おとづれる色なき風も色加へ (色無き風)
世の中は紅葉かつ散り急ぎ足 (紅葉かつ散る)
冬
億劫よ火燵を出るも決心に (火燵)
やれすゞめ木守の柿を落とさずに (木守)
去年今年見慣れぬものもなきままに (去年今年)
四季の俳句を作ってくれと依頼があり、普段使わない季語でと作ったものです。
子規庵 2011年01月15日
ここにあり
子規の命のまんなかに
酔っ払って間違って鶯谷で下りてしまいました。
ラブボテル街を抜けて子規庵。
季語はと考えたけど無いので無季。でも子規だけで季語と同等になりますね。
寒梅 2011年01月17日
冬の梅
シャッター街に咲きにけり
伊豆の温泉に会議に行った。
不況の風は強く、駅前をちょっと行くとシャッター街だった。
咲きにけりと当たり前な凡句なのですが、活性化策が何かで、厳しい環境を乗り切って欲しいという願いを込めて。
梅に目白 2011年01月24日
花を待ち鶯谷に眼白飛ぶ
「梅に鴬」と古来から云われており、古くは万葉集から歌われているとか。
万葉集 巻第五
春の野に鳴くや鴬なつけむと我が家の園に梅が花咲く
古今集春上 素性法師
春立てば花とや見らむ白雪の掛かれる枝に鴬の鳴く
この歌は、「立春」、「梅」、「雪」、「鴬」のキーワードにより歌ったものであるそうです。
気象庁の生物季節観測によるとウグイスの初鳴きは三月上旬。梅の開花時期は、1月下旬~2月中旬。
立春の2月4日にはウグイスは鳴かない事になります。
さて、梅の花に寄ってくるのは、実はメジロだとか。メジロは花の蜜を吸いにやってくるが、ウグイスは虫を食べる為、特に梅の木に寄る必要が無いとか。
この誤認は、色まで続き、「ウグイス色」はメジロの羽の色だそうです。
花札の図案までメジロだとか。
当blogトップの写真もメジロですね。
ここまでなら、普通のコメントなのですが、実は「メジロ」は、ホトトギス新歳時記では、秋(10月)。現代俳句協会の俳句データベースでは、夏。
Yahoo!の辞書は大辞泉、大辞林の両方調べられるのですが、大辞泉は夏、大辞林は秋としています。
本来であれば、「梅に目白」と春の目立つ鳥になっていたはず。それが、夏、秋と俳句の世界でも曖昧(対立?)になってしまっています。
梅は、奈良時代に唐から輸入されたそうですが、鴬は輸入された訳では無いので、中国の本来の鴬は、黄鳥のコウライウグイスとか。
正岡子規の子規庵は、鴬谷にあり、同じ山手線に、目白(こちらは目白不動尊から)があり、俳諧味を感じて。
季語は、敢えて「目白」で『春』としたい。
俳句のための習作 2011年01月30日
先ずは観て遠く眺めて春の園(季語:春の園)
五感
闇の夜や見えずも覚ゆ梅の花(季語:梅花)
季語
はるははなほたるもみぢと冬寒し(季語:寒し)
推敲
推し敲きこゑに出してぞ月の門(季語:月)
写生
見るままに紅葉散りけり又ひとつ(季語:落葉)
実感
樣々の思ひは述べず除夜の鐘(季語:除夜の鐘)
虚構
大げさな嘘もありとや狐なく(季語:狐)
戯句
秋桜しきをよんでも虚しかり(無季)
俳句のコツという題でした。面白かったので。
水原秋桜子の『俳句の作り方』で提唱した禁忌八条
・無季の句を詠まない
・重季の句を詠まない
・空想の句を詠まない
・や・かなを併用した句を詠まない
・字あまりの句を詠まない
・感動を露出した句を詠まない
・感動を誇張した句を詠まない
・模倣の句を詠まない
というのを知った。素人への警鐘とは思うが、子規であれ、中村草田男であれ、これに反しているなあと。
降る雪や明治は遠くなりにけり
について、虚子は何も言わなかったということです。
これにほとんど同調していない俳句ばかりです。
いそじ 2011年01月31日
いそのかみ経るの歳月冬寒し
昔五十歳といえば、沢山の経験を積み重ね、もっとしっかりしていて頼りがいのある者と思っていた。
今の自分はふらふらしていて、自分の未来すら予測もできない。
石上は布留を導く枕詞です。五十と古の掛詞。
五十歳になった途端、冬が寒いとか、当たり前の事を言うつまらない句風になった。
実感そのままに。
寒風 2011年02月04日
かじかんだ
心の隙(すき)に通り行く
歳時記のかじかむを見たら、手はもう言い尽くされている気がして。
寒風がという主語を省略してみました。かじかむで、寒いイメージがあるので。
昨日まで、駅からの帰りだけでも、手がかじかんで、とても辛かったのですが、立春の今日は少し良いみたいです。
何か寒いイメージと考えましたが、特になく、駅前の放置自転車の写真を。
霙 2011年02月14日
みぞれはゆきより凍みて行く
雨の落ちる影のスピードが遅くなったと思ったら霙だ。
歩いている間、どんどん服に染み込んで来る
東北の雪は、服に積もっても染みては来ないので、払えば落ちた。
霙はそのまま、体を冷やす。
9時頃から本格的な雪となり、積もり始めめた。
霙、雪、凍みと三季語で、今は春なのですが、季語は霙:冬とさせて下さい。
靖国‘11春 2011年02月25日
靖国神社に参詣して英霊の遺書を読みて。俳句を併せたり。
音もなく降る春雨の杜の梅盛とすらむ。
たらちねの父母を思ひて
愛ほしき妻を想ひて
未だ見ざる吾子を念ひて
防人は便りを書きて
海行きて水朽屍
山行きて草生す屍
空行きて雲紛ふ屍
遠つ國の土より帰る。
國靖らかに
魂安良かに
反句
春の日を愛ほし人の安らかに
人間ドックで肺に影があるというので、CTスキャンをかけてもらい、自分の輪切り図をみた。
異常無し。と診断され一安心。
実は、最近胸が痛く、もしかしたらと思っていた。臆病という病だったらしい。
HbA1cは、7.2と相変わらず高く、先生から怒られた。
運動は毎日しているのだが。
春散歩 2011年02月27日
また一歩歩いて次の春に会ふ
今日はとても暖かく、木々の芽も張る春になっていて、散歩には持ってこいのシーズンですね。
次の角を曲がると次の春のものを見つけると云う散歩の楽しさを。
玄関に鉢植えの梅が飾ってあったので(-/■ゝ=☆パチリ
春一番‘11 2011年03月05日
春一番煩わしさも吹きて春
季重ねというものを考えてみた。
季重ねというと一番有名なのは、
目には青葉山ほとゝぎす初かつを 素堂
でホトトギス新歳時記にも『初鰹』の筆頭で出てくる。
松尾芭蕉も
春なれや名も無き山の朝かすみ
ほととぎす鳴くや五尺のあやめ草
夏かけて名月暑き涼みかな
芹焼やすそ輪の田井の初氷
梅が香に追戻される寒さかな
寒からぬ露や牡丹の花の蜜
朝露に汚れて涼し瓜の泥
いったい季語はどれ?と思うようなものもあるが、何度も読んでみると強弱が分かり、二つ三つある事に違和感は無い。
正岡子規は、
花火やむあとは露けき夜也けり
秋はまた春の残りの三阿弥陀
野分して蝉の少なきあした哉
があり、これを秀句として選んだのが高濱虚子だった。
季語が二つ三つあるのが駄句では無いのでは?と思うが、固定概念に囚われ過ぎている。
俳句はもっと自由だなあ。
春のあは雪 2011年03月07日
マジかよ~(´o`)
雪じゃん
歩いて来たね
う~寒
本歌
今さらに雪降らめやも陽炎のもゆる春日となりにしものを
(万葉集巻第十 新古今 春歌上)
酒旗 2011年03月09日
酒家の旗
吾を誘ふな
春のよひ
江南 杜牧
千里鶯啼綠映紅 千里鴬啼いて緑 紅に映ず
水村山郭酒旗風 水村山郭 酒旗の風
南朝四百八十寺 南朝 四百八十寺
多少樓臺烟雨中 多少楼台烟雨の中
題酒家 韋莊
酒綠花紅客愛詩 酒は緑にして花は紅く客は詩を愛す
落花春岸酒家旗 落花の春岸酒家の旗
尋思避世爲逋客 尋思し世を避け逋客と為る
不醉長醒也是癡 酔はずつねに醒むるは也是痴ならむ
の本文取りです。
酒旗はこれらの詩から春の季語といっても良いが、使われていないですね。
宵と酔ひの掛詞。
匂ひ起こせよ 2011年03月15日
何もかも
失ひ人に匂へ梅
震災地の惨状を目にするたびに、津波の恐ろしさと今寒さと絶望と空腹に耐えていらっしゃる被災地の方々にお見舞い申し上げたい。
又、救助活動に寝る間も惜しんでいる自衛隊や警察の方に感謝申し上げたい。
日本は、関東大震災、東京大空襲、広島、長崎の原爆、阪神淡路地震と何度も焼け野原から復活を遂げて来ている。
今の被災地の方に、今は辛くとももうじき遅い春が来る。希望は捨ててはいけないと。
交通システムは寸断され、ライフラインは壊滅状態だが、一日一日、今日より明日、明日より明後日復旧されていく。
世界中から、災害救助に駆け付けて頂いている多くの人々にも感謝申し上げたい。特に未だ傷の癒えないニュージーランドやオーストラリアからも駆け付けて頂いている。その機動力と決断には、ただただ頭の下がる思いだ。
停電の月 2011年03月20日
停電の
月夜もよいか
西行忌
ここ二日は、計画停電も中止となり、節電には努めているものの、洗濯機を回し、掃除機をかけ普通の生活をしている。
スーパーに出掛けると照明が半分になり、ここも節電。商品の状況を見ると、なんとトイレットペーパーが無い。
オイルショックの失敗を経験していない者達が押し入れいっぱいに買ってしまったとしか考えられない。愚かな事だ。
文治六年二月十六日西行は河内の弘川寺で亡くなったので本来は今日が西行忌。季語では昨日になってしまっている。
何時もより月が明るいと思ったら19年に一度の最接近とか。「スーパームーン」と言うそうだ。
支援 2011年03月27日
花一輪
いちりんほどに温かに
多くの人々が被災地で不自由を感じつつも、日一日づつ、支援物質が届いているとニュースが報じていた。
姉が、次兄一家に必要物資を届けたと姪二人の写真を添えて送信してきた。
北国は未だ寒く雪も降るが、日一日と暖かくなるだろう。
全国の温かい支援に感謝し、咲き始めた桜に祈りつつ。
停電くらいは何とも無い。
ミネラルウォータを買い溜めた人をみると人のエゴと昨日今日の寒さを痛烈に感じてしまう。
足るを知り寒さも耐える戻りかな
帰雁 都の花の盛に引越 2011年03月31日
花も見ず立ち去る雁の名残かな
東京から金沢へ引っ越す事となり、新古今和歌集の部屋を暫く閉鎖します。
6年も続けて1200首。その他関連する伊勢物語から源氏物語、西行物語、古今著聞集の物語、無名抄や子規の歌論等の文献を集め、充実させたと思っております。名残は尽きないのですが、まあこれも人生。
blogは、携帯からも投稿出来るので、続けます。
gooのブログを立ち上げて一部写し替えました。
本歌 古今集 伊勢
春霞立つを見捨てて行く雁は花なき里に住みやならへる