新古今和歌集の部屋

昔男時世妝 紀有常


  ○有常君がみけしの哥の段
むかし紀の有常といふ人有。淳和、仁明、文徳の三代の御門に
つかふまつり、時にあひけれど、後は代かはり、時うつりにければまづ


此有常といふ人は、紀の右大臣名虎の子にて、妹は文徳天皇第
一の皇子惟高の親王のお袋さま。さればその惟高の親王首尾
よく御即位だにましまさば、有常どのには忝くも御叔父○なれ
ば、何ほどかは御繁昌にて、栄へ給はんお身なれども、㐧四の皇子惟仁親王、位あらそひに勝せ給ひ、すでに帝位にそなはらせ給ふが
ゆへ、お惣領の惟高親王、お笑止○や是非もなや。終に御出家まし
まし、小野のおくの山里に、浮世を幽に暮させ給ふ。さやうの事
のまゝならぬ浮世ゆへ、有常はよにおとろへ次㐧に貧しく、今は早散/"\
の躰となられしとか。併それでも、世の常の人の如くにもあらず。人柄は
心うつくしく、貴なる事とて、風流にけだかき事をのみ好み、世間の
人は似ずまづしかりし世を経てもなをむかしよかりし時の心なが


らに世の常の人のすべき事をもしらず暮されし。年比そはれし妻、かゝ
る貧しき世を経んよりはと、在常を見捨、やう/\床離れてつゐに尼に
成先だちて、姉の尼に成てゐらるゝ所へゆくと、夫に暇乞せらるゝ
に、在常は誠にむつま○○もない、水くさい心かなとはおもひながら
、今はと行を、いと哀とはおもへば貧しければ、何一ツかふもとするわざ
もなさに、おもひ侘てねんごろにあひ語らひける。友だちの元へ此
友だちとは、なり平の事也。さればわが妻かう/\したる首尾にて
今はとて罷れるを、兼て御ぞんじの通の我らなれば、いさゝか露
斗のこゝろざし、何事も得せでつかはす事、いと胸しほれ覚ゆると
、こま/"\とふみかきおくに
  手を折てあひ見しことをかぞふれば


   とをといひつゝ よつはへにける
此哥は有常の中將の方へよみてやられし哥。扨もわが妻のそひ馴し
こし方、手を折てあひみし年数を計ふれば、十ツといひつゝよつは
経にけりとて、十づつ四つ、四十ねんのなじみなれども、今かゝる仕合
ゆへ是非もなく離別の有様、思ひやり給へかしとの心をこめてよま
れたり。かの友だちの業平これを見て、いと哀におもひて、折ふし
そこに有合せし色品、装束小袖帯、夜の物まで取そろへて
、いさゝかしながらわが志なれば是なりともと、文そへ送て扨よめる
  年だにもとをとてよつはへにけるけるを
   いくたび君を たのみきぬらん
此哥は業平、かの妻の遁世を助けてよみ給ふ意味あり。年さへ


とをとて四つ、四十年ものおなじみそれをかく今更別離し尼に成
給はんとのおこゝろ、いかゞ堪がたくやおはすらん。しかれば君を頼みにし
、どふぞけふを暮さんと、幾たびかはおもひ返されとも、とかくに万
あんまりと不自由○。○くては結句、何かに付ておもひをもかけ
まいらする。せめて我一人也とも出家し、君が世話を少し成共
軽くなさばやとは、せんかたなさの女心。そのおこゝろねもおいとし
う社と、ふかく断給ふ詞づかひ。かくいひやらせ給ひければ、又有常
  これやこの あまのはごろもむべし社
    君がみけしと  奉り ける
よろこびに絶で又
  秋や 来る 露やまがふと思ふまで

 
   有は なみだの ふる にぞ 有ける
此二首ながら、有常の文の返し。初の哥はかの中將の着なれ給ひし
衣装をほめ、又おこゝろざしの至て深い、嬉しい所を詞にふくめ、是や
此天人の羽衣ならめ。しかれば尋常ならねば、むべしこそ尤の事
。そも君が御衣とて、かゝるめでたき裏表のない、お心のごとくなる
品/"\は、何者かは奉りけめとの心也。しかし此哥は、衣装をほめし
詞のみにて、送られしこゝろざしの嬉しい悦びの浅からぬ礼の心の
、はっきりと聞へぬま○、扨こそ又、悦びのに絶でとて後の哥、是は
御懇切のかたじけなさ。覚えず袖に落る涙は、身をしる雨の秋や来
るか、露やまがふけりとおもへば、さにはあらでわが悦びの落涙にて有
けるぞとの哥の心。是にて業平厚く礼を伸られし心社は


深からめ。世にひすらこい世智な目から、零落たよい衆の果を
ば、乗馬おろしで駄ちん付はならぬの、いや水晶のけづり屑で
うつくしう香車な斗でも、半錢の足にもならぬのといふたぐひ
爰の此紀の有常のお身の上も、重ど右の譬の如し。昔も
今も世の様は

新古今和歌集巻第十六 雜歌上
業平朝臣の装束遣はして侍りけるに
              紀有常朝臣
秋や來る露やまがふと思ふまであるは涙の降るにぞありける
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