尾張廼家苞 三
きえはてしなり。すべて今の世の歌人は、はてし
はつるといふ詞を、何心なくみだりにそへてよむ
はひがごとなり。(はてしはつるにかぎらず、何詞にてもみ
だりによみてはわろかるべし。母の身
まかられしがきえたるにて、そのなきがらをだにとゞめずをさめ
たるが、きえはてし也といはるれど、身まかられていまだ葬ら
ずとも、蘇生だにせられずは、
消果しともなどかいはざらん。)
母の身まかりにける秋野分しける日もとすみ
侍ける所にまかりて
定家朝臣
玉ゆらの露もなみだもとゞまらずなき人こふる宿の秋風
玉ゆらはしばしといふ意なり。八雲御抄にみえて、此歌も
其意によまれたりと聞ゆ。さて露の風にさわぐさま、泪の
こぼるゝさま、共に玉のゆらぐに似たれば、其よしとをも兼てよみ
給へるにや。(一首の意は、なき人こふる宿には、秋風が吹て、露も
なみだもいさゝかのまもとゞまらぬとなり。 )
父秀家身まかりての秋寄風懐舊
秀能
露をだに今はかたみの藤衣あだにも袖をふくあらし哉
今は露をだにかたみとおもふ藤衣の袖なるを、あ
だに吹ちらす嵐かな也。(あだには物のたまりもあへぬ事。
一首の意は、人にわかれて後は、藤衣の
露なりともかたみにせうと思
ふに、それたへ嵐がふくと也。)今はといふニ心ををつくべし。常ニは袖
の露けさをばいとふわざなるに、今は也。(此心は
なし。)
久我内大臣春の比うせて侍ける年の秋土御門内
大臣中将に侍ける時つかはしける 久我内大臣は、雅通公。土御
門内大臣通親公の父。
殷富門院大輔
秋ふかきね覚にいかゞ思ひ出るはかなくみえし春の夜の夢
(春と秋と對、ね覚と夢と
對にて、合掌の句法なり。)
返し 土御門内大臣
みし夢をわするゝ時はなけれども秋のねざめはげにぞ恋しき
(一首の意は、夢のやうにはかなくなりし人の事を、いつとても忘るゝ事はなけれ
ども、秋のね覚を尋て給はるが、げに其秋のねざめが、中にも恋しき比ぞと也。
みちの國へまかりける、野中にめにたつさままなる冢の
侍けるを、とはせ侍ければ、これなん中将の墓と申と
こたへければ、中将とはいづれの人ぞととひ侍ければば、
實方朝臣の事ぞとなん申けるに、冬の比にて
冬がれの薄ほの/“\みえわたりて、折節物悲しく
おぼえ侍りければよめる。 西行
朽もせぬその名ばかりをとゞめ置て枯野の薄形見にぞみる
(一首の意は、野中の古冢に、実方朝臣のはかと、いつまでも其名ばかりはとゞ
まりて、あたりは枯野のすゝきばかりなれば、それを形見ぞと思ひてみると也。)
同行なりける人打つゞきはかなくなりにければ思ひ
出てよめる 慈圓大僧正
故郷をこふるなみだやひとり行友なき山の道しばの露
(わかき御時、修行せさせ給ひて、旅にて同行の法師の死たりければ、御心ぼそく
て、都こひしくおぼしたる也。一首の意は、故郷をこひしさニおとす涙が、友もなき山
路の、ひとり行道の
道芝の露かと也。)
母の思ひに侍ける秋、法輪寺にこもりて侍けるニ嵐の
いたく吹ければ 俊成卿
うき世には今はあらしの山かぜにこれやなれ行初なるらん
法輪寺は嵐山にあり。歌の意、うき世にはあらじ今はの
がれむと思ひたつ比なれば、(かくおおもひたつは、母の
おもひにふかき故也。 )此あらし
や、程なく此山にかくれ住て、嵐になれ行べきはじめな
らんと也。
定家朝臣の母みまかりて後秋の比墓所ちかき