2004年オリンピックの年、イラク戦争が起きた。ボクは幻聴のために恋がすれ違い
まったく見当違いにも、幻聴と戦いを始めた。文字を書き言葉をほとんど発せず、身振り手振りを使って戦った。イマジネーションを結合して、まったく関係のないブッシュ大統領と北朝鮮の将軍さんの間の戦争を封じていた。核ミサイルにボタンを押そうとするとその人が死にその場でミサイルが爆発するように妄想で仕掛けた。悪という悪を破壊した、そして宇宙の果てに行こうとしとき、父に下手打つなよといわれて、宇宙の果てにいけなかった。光の射すほうにいこうとしたのだ。そして三度寝ているうちに布団のへりをもち、自分の首を絞めた。チカラを入れれば死んでいる。ボクは咄嗟に「仕方がない」と思った。父ならば仕方がない。でも父じゃなかった。二度目に「ご先祖様なら仕方がない」と思った。でも仏壇に異常はない。そして三度目は自分だとわかった。どのときもやるならばやっても良いよとチカラを抜いて死を受け入れた。しかし死ななかった。チカラを入れて首を絞めているのは自分なのだから・・・。そして幻聴はボクを殺せないことを知った。妄想の果てにボクはなにものかと問われた。咄嗟に自分のなを言わずにバランス・オブ・ザ・サンといった。妄想の世界に吸収されて、この世がおもちゃのように見え始めてきた。そして入院した、ボクはこの病院には死者しかいないと思った。なぜならば妄想でアメリカと北朝鮮が日本上空で戦争を始めていたはずだからだ。生死の境にいると思った。すべて病院にいる人はいままでであった誰かの身代わりだと思った。時は過ぎ、仕事に就き病院で出会った娘と結婚・離婚した。
ある日、社長のメールが消えたその謎を解くべく昔の壊れたパソコンを取り出して実験を繰り返した。そして、あるとき不意に、フラッシュバックを始めた。入院後の記録しかない。そしてはじめてメールをしたときの数通とがあり、空白の時間があった。フラッシュバックを始めた。北朝鮮がミサイル実験、核実験を始めた。空白のメールを探していたのに、それがフラッシュバックと妄想の種を運び出した。
そうはじめて入院したとき、テレビがおかしいといった瞬間に偶然にもテレビがおかしくなり、放送事故が新聞に載ったのだ。ボクは妄想の世界とインターネットの世界と試行錯誤しながら戦いを始めた。フラッシュバックに妄想。ミサイル実験に核実験。ブログには実験の痕跡が残っている。偶然にも金融市場の動きが先読みされた僕の怒りも残っている。ボクは潰しても意味のない悪に気がついた。人間には光と影があり、幻聴や妄想で人は殺せない。ならば光で照らしてみるかと思った。
すべてを光で照らし出して、光の彼方に悪(闇)を放出する。作業は終わった。自分の現在地点がわからなくなった。仕事を休ませてもらった。ニュースは北朝鮮の後継問題になっている。オウムのように連呼していたインフルエンザのニュースもパニックを起こしかねないニュースの仕方もなくなっていた。
ボクは何もしていない。フラッシュバックと妄想が起きた。ボクの中の戦いは関係ないだろうが、イメージをプラスにすれば、プラスに変わる。不幸は望んでいるからくるのではないかとも思えてきた。神さまは使いよう。飢饉の神は大洪水を起こす地域ではよい神様である。おいらは何様だろう。妄想とフラッシュバックは終わった。
ボクは自分に戻った。誰も傷つけることなく、自分の中の戦争を終わらせた。ボクの中ではミサイルは自爆する。欠陥部品のために発射を失敗してその場で爆発する。妄想の中で戦いは終わった。この間ボクは窒息死しそうになっている。寝ているうちに呼吸困難になり、夢の中のボクが体からはなれて窓を開けて呼吸困難から救っている。このわけのわからない文章は何のために書くのかはわからないが、イマジネーションによって、つまりとらえようによって、未来の変化の仕方が変わるのではと思っている。幻聴は潜在的な味方であり、彼女が何故声に出てくるのかはわからない。ボクの話は理解不能だろう。話すだけ無意味に近いし狂人ぶりを示すだけだろう。
未来を悲観すればするほどにそのように向かう。向いた方向に向かうのであろう。
なにが言いたいのかはわからない。
先の話でボクは人間を生きなおしてるようなことを書いた。
エヴァンゲリオンじゃないけど、設定は自由なのに何故そのようなストーリーを書くのか、恋愛小説でもよいし、青春ハッピーストーリーでも良い。何故にボクは妄想で心の中で戦争をとめなければならなかったのか、フラッシュバックを起こさなければならなかったのか。イドから飛び出て空の彼方に飛ばなければならなかったのか。わからない。忘れたはずの心理術のドラマがやっているのかもわからない。みんなの無言のイメージによって未来が築かれているなんていっても受け入れられないだろう。時間が自然に流れているのと同じでみんなの思いが人気投票みたいに集まって未来が築かれて許容されたりしていくのか説明にはならない。理解がより深い溝を生むこともある。著名な発明の有名人はだいたいが狂人である事実は伝えられない。文学にしても、なんにしても。
この文は駄文だ、言い訳でしかない、理解されない。
タロットの結果がそう出ていた。いくら奇蹟を起こしても誰も理解できないと、イマジネーションをいじったといってもわからないだろう。ボクは普通の病人だから障害者だから聖人ではない。実際に犯罪も事件も起きているし、世界が変化したなんてわからないだろう。ふたりの男が夢の中でスポットに入ったことも知らないだろう。彼らの未来は変わった。
訳のわからない妄想はもうとまるはずだ。ここに記して終わりにする。
これからは病的じゃないハッピーな妄想をしたい。
世界のことなんか知らん。ないもんはない。頭の中の話やから、やっと復帰したのに書くのもアホやけど、記しておく。狂人の発言です。
次の人が今度イメージを使うときは
光で包むようにイメージするとよいことだけ告げておく。
村上春樹のようにイドを掘ってはならない。エスを呼んでアガペかなんかを注げばよい。ただそれだけイメージすればよい。イメージ。妄想終わり。
まったく見当違いにも、幻聴と戦いを始めた。文字を書き言葉をほとんど発せず、身振り手振りを使って戦った。イマジネーションを結合して、まったく関係のないブッシュ大統領と北朝鮮の将軍さんの間の戦争を封じていた。核ミサイルにボタンを押そうとするとその人が死にその場でミサイルが爆発するように妄想で仕掛けた。悪という悪を破壊した、そして宇宙の果てに行こうとしとき、父に下手打つなよといわれて、宇宙の果てにいけなかった。光の射すほうにいこうとしたのだ。そして三度寝ているうちに布団のへりをもち、自分の首を絞めた。チカラを入れれば死んでいる。ボクは咄嗟に「仕方がない」と思った。父ならば仕方がない。でも父じゃなかった。二度目に「ご先祖様なら仕方がない」と思った。でも仏壇に異常はない。そして三度目は自分だとわかった。どのときもやるならばやっても良いよとチカラを抜いて死を受け入れた。しかし死ななかった。チカラを入れて首を絞めているのは自分なのだから・・・。そして幻聴はボクを殺せないことを知った。妄想の果てにボクはなにものかと問われた。咄嗟に自分のなを言わずにバランス・オブ・ザ・サンといった。妄想の世界に吸収されて、この世がおもちゃのように見え始めてきた。そして入院した、ボクはこの病院には死者しかいないと思った。なぜならば妄想でアメリカと北朝鮮が日本上空で戦争を始めていたはずだからだ。生死の境にいると思った。すべて病院にいる人はいままでであった誰かの身代わりだと思った。時は過ぎ、仕事に就き病院で出会った娘と結婚・離婚した。
ある日、社長のメールが消えたその謎を解くべく昔の壊れたパソコンを取り出して実験を繰り返した。そして、あるとき不意に、フラッシュバックを始めた。入院後の記録しかない。そしてはじめてメールをしたときの数通とがあり、空白の時間があった。フラッシュバックを始めた。北朝鮮がミサイル実験、核実験を始めた。空白のメールを探していたのに、それがフラッシュバックと妄想の種を運び出した。
そうはじめて入院したとき、テレビがおかしいといった瞬間に偶然にもテレビがおかしくなり、放送事故が新聞に載ったのだ。ボクは妄想の世界とインターネットの世界と試行錯誤しながら戦いを始めた。フラッシュバックに妄想。ミサイル実験に核実験。ブログには実験の痕跡が残っている。偶然にも金融市場の動きが先読みされた僕の怒りも残っている。ボクは潰しても意味のない悪に気がついた。人間には光と影があり、幻聴や妄想で人は殺せない。ならば光で照らしてみるかと思った。
すべてを光で照らし出して、光の彼方に悪(闇)を放出する。作業は終わった。自分の現在地点がわからなくなった。仕事を休ませてもらった。ニュースは北朝鮮の後継問題になっている。オウムのように連呼していたインフルエンザのニュースもパニックを起こしかねないニュースの仕方もなくなっていた。
ボクは何もしていない。フラッシュバックと妄想が起きた。ボクの中の戦いは関係ないだろうが、イメージをプラスにすれば、プラスに変わる。不幸は望んでいるからくるのではないかとも思えてきた。神さまは使いよう。飢饉の神は大洪水を起こす地域ではよい神様である。おいらは何様だろう。妄想とフラッシュバックは終わった。
ボクは自分に戻った。誰も傷つけることなく、自分の中の戦争を終わらせた。ボクの中ではミサイルは自爆する。欠陥部品のために発射を失敗してその場で爆発する。妄想の中で戦いは終わった。この間ボクは窒息死しそうになっている。寝ているうちに呼吸困難になり、夢の中のボクが体からはなれて窓を開けて呼吸困難から救っている。このわけのわからない文章は何のために書くのかはわからないが、イマジネーションによって、つまりとらえようによって、未来の変化の仕方が変わるのではと思っている。幻聴は潜在的な味方であり、彼女が何故声に出てくるのかはわからない。ボクの話は理解不能だろう。話すだけ無意味に近いし狂人ぶりを示すだけだろう。
未来を悲観すればするほどにそのように向かう。向いた方向に向かうのであろう。
なにが言いたいのかはわからない。
先の話でボクは人間を生きなおしてるようなことを書いた。
エヴァンゲリオンじゃないけど、設定は自由なのに何故そのようなストーリーを書くのか、恋愛小説でもよいし、青春ハッピーストーリーでも良い。何故にボクは妄想で心の中で戦争をとめなければならなかったのか、フラッシュバックを起こさなければならなかったのか。イドから飛び出て空の彼方に飛ばなければならなかったのか。わからない。忘れたはずの心理術のドラマがやっているのかもわからない。みんなの無言のイメージによって未来が築かれているなんていっても受け入れられないだろう。時間が自然に流れているのと同じでみんなの思いが人気投票みたいに集まって未来が築かれて許容されたりしていくのか説明にはならない。理解がより深い溝を生むこともある。著名な発明の有名人はだいたいが狂人である事実は伝えられない。文学にしても、なんにしても。
この文は駄文だ、言い訳でしかない、理解されない。
タロットの結果がそう出ていた。いくら奇蹟を起こしても誰も理解できないと、イマジネーションをいじったといってもわからないだろう。ボクは普通の病人だから障害者だから聖人ではない。実際に犯罪も事件も起きているし、世界が変化したなんてわからないだろう。ふたりの男が夢の中でスポットに入ったことも知らないだろう。彼らの未来は変わった。
訳のわからない妄想はもうとまるはずだ。ここに記して終わりにする。
これからは病的じゃないハッピーな妄想をしたい。
世界のことなんか知らん。ないもんはない。頭の中の話やから、やっと復帰したのに書くのもアホやけど、記しておく。狂人の発言です。
次の人が今度イメージを使うときは
光で包むようにイメージするとよいことだけ告げておく。
村上春樹のようにイドを掘ってはならない。エスを呼んでアガペかなんかを注げばよい。ただそれだけイメージすればよい。イメージ。妄想終わり。