むかし『歯車』って題の小説があったのを思い出しながら
この日記を記す。
会社を大きな機械に例えるとする。
ボクは樹に例えたいところなんだけど
この方がわかりやすいだろうから。
会社という機械は無数の制御盤と
歯車その他の部品で構成されている。
ある日、機械が場所をとるから
スリムにしたいと考える。
部品や制御盤、歯車とかを
小さくしたくなったのだろう。
機械を分解して修理して新しい機構
再構築しようとした。
会社という機械は部品というものは
無数にあるからなんでも取替えが効くと思った。
でもね。
その同じ働きをする部品が
簡単に見つからないことは知らなかった。
再構築は困難を極めて
特定の箇所に負担を押し付けては
その部品を破壊してしまうことになった。
ここに来てやっと気がつき始めた。
その働きをする部品と
その他たくさんの部品とでは取替えが効かない。
外部の部品に仕事を任せると
会社という機械自体の価値を損ねる。
ボクは単純に
the person と a person とは確実に違う
ということを書いている。
団塊の世代の集団離職を前に
何を会社という機械は考えるのだろうか。
再び世の中の動向を見たい。
自殺防止法。
企業がなかなか離職を許さない事例。
パートが辞めにくい。
や、安いから働きたくない事例。
パートに仕事を教えてもらう正社員。
さてどのような構成が長期的にみて正しいのだろう。
会社という機械は考えている。
ひとつの行為にこうも制御盤はいらんなあ。
さて考える。
この部品ひとつじゃあ強度が足らんし
複雑な動きをさせすぎやなあ。
この部品が壊れたときの取替えが効かんなあ。
『続・歯車』
僕は会社を本当は樹に例えたいんやけど。