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OUR HOME ISLAND - いおうとう(硫黄島)

戦前に在住していた島民が、戦後の小笠原返還後も故郷に帰ることが許されていない硫黄島についての情報発信をいたします。

今年の硫黄島訪問で初めて行った場所(4) 鶉石のある上陸海岸‐2

2009年07月11日 | 硫黄島・小笠原村
今年、降りた、鶉石のある海岸、米軍が上陸した海岸から、
突起岩越しに擂鉢山の写真です。

この写真の、手前側をご覧いただくと、突起岩のこちら側ですが、
砂浜から斜面があって、一段高くなっているのがご覧いただけると思います。
これは、せんごの隆起ですので、戦争当時とは変わっています。

この地点の正面の海側の足元も、同じように、波打ち際までは、
斜度で、20度ぐらい、長さで、2、3メートルの斜面でした。

「今年の訪問に持っていく装備」で、行く前に紹介した、
水深3メートル対応デジカメ。
父島からのパパヤのツアーの兄島海中公園のサンゴと魚をシュノーケリング
(昨年が初体験)で撮影がメイン目的でしたが、
この浜で、海も撮影したい、とチャンスを狙っていました。

特に理由はありませんが、硫黄島で海の中を撮影できる
チャンスがあるとしたら、この上陸海岸だけですし、
当時と海岸線が変わってしまっていて、今の海岸線は戦時の海中ですが、
鶉石のある浜の海の底はどんなになっているのか、
腿ぐらいまでじゃぶじゃぶ海に入って、鶉石取りなどそこそこに、腿ぐらいまでじゃぶじゃぶ海に入って、海中を撮影したいな、とひそかに狙っていました。

いつもの擂鉢山に近い浜なら、入っていけそうだと、
思っていましたが、
今年の場所は、波打ち際からすぐに斜面でした。
波もありました。降りて降りられないことはなかったですが、
波打ち際から、すぐに戻れる平らな浜ではなかったので、
同行の班のメンバーにも、遅れると迷惑をかけるので、やめました。

斜面を降りるのはやめて、斜面になるぎりぎりのところまで
行き、そこで、鶉石を拾いました。

私たちの班の班長の村役場職員の方は、今年が硫黄島初参加の
方でしたが、責任感があって、明るくさわやか、親身で優しい
人でした。
同じバスのもう一人の村役場職員の方は、一昨年、
元山からの参加が、私より若い人と私と、二人だけだった時に、
一緒に、硫黄ヶ丘から天山慰霊碑まで歩いてくださった方でしたので、
本当に、班行動しやすいグループでした。

班長さんと、一緒に隣同士で、一番、海に近い地点で、拾いました。
毎年、拾っていますので、もう、数多くはいりません。
形が良くて大きいのを見つけて拾うことができました。


一昨年、擂鉢山に近い浜で拾った時に、
「何度も行っているベテラン、大先輩の方が、拾うのを
手伝って、私にくれた。」と、このブログ記事に書きましたが、
現在は父島在住の、その方と、
今年の祈念館宿泊の夜にお話をする機会がありました。

昭和19年の小笠原強制疎開の1年前に、硫黄島から北硫黄島へ
引っ越していて、北硫黄島から、本土へ引き揚げた方だそうです。
火山列島三島の中で、硫黄島だけでなく、北硫黄島も、
戦前は住民が生活していた島だった様子を
直接、お聞きすることができました。
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