OUR HOME ISLAND - いおうとう(硫黄島)

戦前に在住していた島民が、戦後の小笠原返還後も故郷に帰ることが許されていない硫黄島についての情報発信をいたします。

現在の硫黄島の様子 森、道、花、道路標識

2009年07月23日 | 硫黄島・小笠原村
昨日は、皆既日食の硫黄島からの生中継がありました。
このブログにも大勢の方にご訪問いただき、
ご覧いただいたコメントも含めて暖かいコメントをいただくように
なりました。ありがとうございました。

父島でいつもお世話になっている、今年は海洋センターに連れて行って
下さりご説明をして下さった「青い鳥」さんからもコメントを
いただきました。
NHKの中継では硫黄島からの生中継と同時間だった船からの映像を
流していましたが、あの横浜から出た船以外にも、
あの近くに船で行っていて、決定的皆既日食を見ることができたそうです。

私どもの硫黄島慰霊墓参便としてもお世話になっている
小笠原丸が、日食便として、北硫黄島近くぴったりの場所に出ていたのに
乗っていたそうです。

このブログの左ブックマークの中の、「エンジョイ!島ライフ」が
「青い鳥」さんのブログです。
日食便の様子、島の生活の様子、ウミガメが産卵した場所を
紹介して下さっている写真など、ためになる小笠原情報満載です。


今回の皆既日食盛り上がりの中で、
私は「日食そっちのけ。」でした。
NHKの硫黄島からの生中継に釘付けでした。
硫黄島からの高感度カメラ映像で太陽の神秘にため息が出て、
急にあたりが明るくなる様子にも息をのみながら夢中でみましたが、
日食よりも
「硫黄島が生中継で放送され、擂鉢山や沈船群などが
紹介されたこと。」
「日食の瞬間を見ようと多くの人が見ているだろう番組で
硫黄島の画像がながされたこと。」の方に興奮しました。

多くの人がテレビ画面で硫黄島を見てくれたと思います。
本当に嬉しいことです。

これからも「激戦の島」であったのに加えて
「戦前は住民が生活していた島だったこと」を
多くの人に知ってもらいたいと思っています。


6月の訪問では、あちこちで写真を撮影して戻ってくるのですが、
解説をメモしていなくて、後から分からなくなってしまう
(特に植物の名前など)のも多くて困ります。
写真を撮り、直後にビデオで撮影して、説明してくれている声や、
自分で、音声を入れたりという方法にしていたのですが、
今年は途中でビデオカメラが壊れました。

今日は、島内の様子が分かるような1枚を選ぼうと思って
この写真にしました。


栗林壕と貨物廠の間の周回道路の辺りです。

すいません。この植物、花の名前は、分かりません。

硫黄島にも、道路標識があります。
写っているのが裏側で何とあったか忘れましたが、
他のも何箇所かで、道路標識を見ました。
「注意」というようなのだったと思いますが、
「ここにこれがあってもなぁ。」というのもありました。

標識の向こう側が外周道路です。
外周道路の向こう側の緑の森の高さが、
標識と比べてもらえると、見当つけてもらえると思います。
このような高さの緑の森が多く上空からの写真では緑色の
現在の硫黄島ですが、多くは戦後に米軍が繁殖させたものです。

銀ネムで、上空から種が散布されたそうです。
繁殖力が強く速く繁茂する銀ネムが選ばれた理由、銀ネムが他の植物相
(島唐辛子は強いですが、銀ネムより低い)に日光が届きにくい
ことなどは、前にも書いた覚えがあります。

この緑の森は枝が多くてなかなか入っていくのが難しいです。
長袖でないと危ないです。

せっかく良い高さの緑があるので、暑い中での活動で
「ちょっと木陰で休憩を」したくなるのですが、太陽が真上なので、
ほとんど、陰を作ってくれません。

今年、周回道路を走った時は、もう16:00頃になっていましたが、
その時間でも太陽が高く、一部、角度によっては、日陰がある程度でした。

戦前からの植物が残っている割合は分かりませんが、
大きながじゅまるの木や、たこの木なども見られます。
コメント
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